リス・デイヴィズの結論5 | ゴトーを待ちながら

ゴトーを待ちながら

尽きかけている命の日々に、こぼれていく言葉のいくつか。

本書の最後において、リス・デイヴィズは5つの結論を出している。
それは、どれも重要な観点と思われるが、その最後のものについて、ご紹介したい。


結論五
 最期に、本稿が原始信仰を論じることを目的にしたものでないことをはっきりと述べることで、誤解を解いておきたい。
「原始」という言葉は曖昧である。「洗練されていない」という意味なら、現代の未開人の宗教信仰にもある程度当てはまる。時間に着目して「もっとも初期の」という意味なら、この言葉で含意される一般的理解とよく合致する。しかし、だからといって、宗教の古い部分は必然的に洗練されていないとか、現代の未開人の宗教がもっとも原初の信仰を正しく表しているといったことにはならない。もっとも初期の、もっとも原始的な宗教がどのようなものであったが、誰も知らないのである。それを知ることができる可能性はきわめて低い。
現代の未開人の宗教は、常に変化しながら数千年を経過してきたのであり、原始的信心の断片を不変のまま我々に残してくれているとは考えにくい。我々にできるのは、現代の未開人の信仰を調査した優れた研究が近年いろいろと行われているので、それらの成果を利用して古代の文献に光を当てることである。また、これらの文献を利用して、確実に物証が存在する時代の間、信仰がどのように段階的に変容・発達してきたかを研究することである。したがって我々は、きわめてゆっくりではあるが、確実に、我々の歴史研究の主要議題について、知識を蓄積できる。本稿が読者に提示したのは、このような主要議題の一つに関する一提案でしかない。