友人がマチから告げられたことを教えてくれて、
命日を前に、わたしはずいぶん楽になれた。
いつもお彼岸あたりは、精神がやられてて、体も駄目駄目で、
寝込んでしまうか荒れてどうしようもなくなる。
春も秋も。
今回のお彼岸あたりも精神的にヤバかった。
マチのことを思うと辛く、仕事に逃げるしかない。
うにがいくら鳴いても、わたしは無視するか怒鳴って、
構ってやることすらしなかった。
夫とは敷地内での別居である。
それがわたしの精一杯なのだ。
同じ家で暮らすこと、同じ部屋で寝るだなんて、
とてもじゃないけれど無理だ。
朝五時に起きることを正義だと信じて人にも強要するモラハラだ。
育ちが違いすぎて話にならない。
親の金で大学院まで出させてもらって、
親の金で免許取って、車を買ってもらった人だ。
実家から一度も出たことがなく、引っ越しの経験もない世間知らずだ。
貧乏で、成績が良くても大学になんか行かせてもらえず、
毒親育ちで家政婦のごとくこき使われ、
18歳から働いて、働きながら免許を取って車も買った。
虐めにも遭っていたが、それを親に相談できる土壌もなかった。
少女期から、常に精神的にひっ迫して生きて来たのだ。
安心のできる家などどこにもなかった。
どうにも家賃が払えなくて、待ちますと言われても、
いくら待たれても入金の目途がなく、
ストレスでずっと不正出血をしていたような暮らしだったのだ。
夫が、自分の知り合い経由で話が来たらしく、
今度、動物対話士の方に会って、キジくん(母屋の猫)のことを見てもらうんだと言いに来た。
正確には、夕飯、一緒に外食に行かないか、と誘いに来て、
ついでのようにその話を出した。
わたしは、秒で噴射した。
喧嘩と言うものに慣れてないため、言われたら言われっぱなしで、
いつもモヤモヤしたり一人で泣くことになる、
そんな自分を捨てたくて、夫に対してだけは、
なるべく、頑張って、ちゃんと怒れるように努力している。
「あのさ、キジくんが病気で入院して、退院後、
わたしのお風呂場で療養してたでしょ、
その時にさ、動物対話士の人に会ってもらって、
キジくんの本当の気持ちが知りたいって相談した時、
あなたさ、詳しくも聞かないで、一蹴したよね!」
夫は覚えてもいなかった。
「あの時、けんもほろろに断っておきながら、自分は行くんだ?
そんなのおかしいじゃん!」
夫も気色ばんだ。
「ならさ、その時、見てもらって、キジがキミと暮らしたいって言ったら、
キミは受け入れられたのかよ! 出来もしないくせに!」
「そういう問題じゃない、あなたに一貫性がない、辻褄が合わない、ずるい!」
何ていう人?と聞いたら、有名な対話士さんで、
わたしがお願いしたかったその方だった。
「わたしが頼みたかったのがその人だよ!!」
それで大喧嘩になって夫はプイっと帰って行った。
別居万歳である。
それでも、夕飯一緒に外食に行くつもりだったあいつの、
その鉄のメンタルが信じられない。
大喧嘩するほどの理由があるのだ、
一緒に食事なんか行けるか、
どうせ酔っぱらってまたグダグダと駄々をこねるのだ。
酔った夫が大嫌いだ。
わたしは、改めて誘いを断った。
その次の日も誘われたが断った。
一生行かなくても私は平気だ。
夫には感謝をしている。それもちゃんと伝えている。
けれど、好きではないのだ。
しばらく日が経って、夫が、サンマを買ったから夕飯にどうかと連絡してきた。
わたしは仕事していて、お粥は炊いてあったが、おかずがなかった。
「いただきます」と返事をした。
焼き魚を食べたかった。
すると電話が来て、「で、サンマを、こっちで食べないか?」と
誘われた。
わたしが、魚をうまく食べられないことを夫はもちろん知っている。
海のない県で育ったせいもあり、父が魚が好きでなかったのもあり、
わたしはろくに魚を食べたことなく育った。
(ステーキを始めて食べたのも20歳過ぎてからだった。)
夫は魚をほぐしてくれて、骨と皮と血合いを取り除いてくれる。
なので、「じゃあそっちに行きます」と答えた。
行くと、夫はわたしの分のサンマをもうほぐしていた。
テレビがかかっていたが、消して、
食事を始める前に、スマホとスピーカーをペアリングし始めた。
何かと思ったら、先だっての動物対話士さんと会って来たらしく、
その対話を録音したものだった。
それを聞きながら食事をした。
最初はキジくんの話だった。
キジくんのこと、マチのこと、そしてうにのこと、
そしてそして、マチとうにのことが、
驚愕の事実で語られていくのだった。
マチ…
そうなのね、マチ…
もう一度会いたいよ…。
―続くー
息子たちが来るので片付けた部屋。
この時もうマチは咳をしていた…。