絶望のどん底にいるわたしにとって、唯一の希望は、
またいずれ、保護猫を迎えてもいい、と夫が言ってくれたことだ。
それはパンドラの箱に残されたただ一つの「希望」で、
ほかにわたしを救えるものは何も存在しない。
けれど「またいずれ」といった夫は、もっとマチに寄り添ってと言う。
これ以上どうやって…?
あなたは映画を観に出かけて、わたしは泣き暮れてダムの底にいるのに。
満月の日にマチは死んだ。
人は月に大きな影響を受けて生きている。
それをあまり感じない人もいるし、感じない生まれの人もいる。
えてして、女性の方が敏感である。
生理を「月経」と呼ぶくらいなので当然である。
HSPや精神疾患患者も、月の影響は受けやすい。
症状は人によるが、満月でハイになる人もいれば、
そのパワーに耐え切れず寝込んでしまう人も。
わたしは後者で、新月もダメだけれど、満月の時は感情は波立って、
それは負のエネルギーなので、精神的に追い詰められることが多く、
さもなければ体調が悪くなり寝込む。
春分の日、秋分の日も地球が大きく変化する節目なので、とてもしんどい。
マチは後年、わたしと同じように、新月・満月の時はよく吐いた。
わたしも調子が悪いので、二人で並んでよく寝込んでいた。
8月に肺炎がわかって…。
8月初旬から咳をしたので、すぐさま連れて行っていればと悔やんでも、
その時はそれが出来ない状況だった。
いまはそれをたまらなく悔いている。
9月になっても好転せず、予断を許さない状態で、
やっと退院の目途がついたら、わたしが過労で入院してしまい、
マチを10日間待たせてしまった。
自分の体を大切にしていなかった自分を呪う。
連れて帰って来たのが9月13日。
その後たった17日間しか、一緒にいられなかった。
酸素室の中だったから、一緒に寝ることも叶わなかった。
秋分の日を過ぎたら好転しないかな…。
月末の満月を乗り切ったら好転しないかな…。
本当にかすかな希望にすがっていた。
どの日だったか…出たがって、出してやり、キッチンにマチがいて、
雷がすごくて、怖いよ~って、ベッドで寝ているわたしに乗って来た。
あれが最後だった。
乗ってくれて、そのあと顔の隣でしばらく寝ていてくれた。
ほんの数分だけ。
それが最後だった。
どんどん食べなくなって、体は副作用副作用でどんどん不具合が出て…。
ああ、今なら、その時点でもうなにもかもやめて、
好きなものだけ食べさせて、
毎日抱っこして、
残り数日を過ごせば良かったと思う。
心の底から悔やむ。
だけど、治したかった。
完治は無理でも、すこしでも楽にしてやりたかった。
だから毎日3本注射を打って、4種類の薬を混入して…。
そこまで必死に頑張ったけれど、マチも本当にけなげに頑張ってくれたけど、
酸素室にいても呼吸がおかしくなってきて、
酸素の吹き出し口に顔を向けているようになった。
もう、だめかもしれない…。
わたしは初めてそう思った。
何度も診察に行こうか迷いながら先延ばしにして、
最後の夜、マチはもう呼吸の音が変だった。
それでも出たいというので出してやると、爪とぎの上でしばらく動かず、
やっとのことで、大好きだったキッチンのマットに横たわった。
夫が来てくれて、酸素室の酸素を切り替えてホースに繋ぎ、
先端のカップをマチの顔の前に置いてやった。
30分ほどそうしていた。
出してやって良かった。
その夜、夫が買ってきたホタテを、レンチンしてカットして、
いつもそうしていたように、お箸を持ってマチのところに行った。
マチが美味しいものを分けてもらえるのはいつもお箸から。
なので、お箸を見ると、体を起こしてこちらを向いた。
「マチ、ホタテだよ。」
お箸を酸素室の窓から差し入れると、マチは喜んで食いついた。
ポロポロ、口からこぼれたけれど、お箸で拾ってお箸であげた。
一粒全部食べられた。
「マチ、明日もあげるからね。」
そう約束したのに。
診察に連れ出したりしたから、マチは死んだ。
ホタテをあげられなかった…。
火葬の時、いただいた黄色い花で箱をいっぱいにして、
取っておいたホタテ一粒と、
お薬を混入してないちゅ~るを3種類入れた。
ごめんよマチ…。ホタテもササミもあげるつもりしてたんだよ…。
最後、胸水だけ抜いてもらって、少しでも楽にしてあげたかったんだよ…。
毎日があまりにも苦しい。
時間が巻き戻らないかと本気で思う。
何も出来ず泣いているときも、何かが出来て動いているときも、
苦しさには変りがないのだ。
永遠に苦しいし永遠に悲しい。
寂しいとかじゃない。
寂しさなんて紛らわせる。
この苦しみをいつまで味わったら赦しがあるの?
それとも赦されないままなの?
明らかにわたしの判断ミスでマチは死んだ。
わたしが死なせた。
苦しんで当然だ。
写真は亡くなる前夜、大好きだったキッチンにて。