「愛媛のみなさんへ、

本当にありがとうございます。

それから、お世話になりました。

(略) 

私達は、ひばくしているかもしれないのに、こころよく受け入れてくれて、本当に、感謝しています。

福島の人が来ると、さけたり、いやがったりされます。

中には、福島ナンバーの車にスプレーで、落書きなどする人もいます。

愛媛のみなさんは、こころよく受け入れてくれて、うれしいです。

愛媛のみなさん、ありがとう!」


夫が社会教育アドバイザーをしている関係で、この冬休みを利用して、

福島の小学生を、愛媛県に2週間ほど、招待し、みかん狩りや、外遊びをしたりで、愛媛県の小学生と、楽しい交流の時間を、持った。


この手紙は、福島の子供が、そのお礼に、くれた、はがきの一文である。


何枚か頂いた中に、

ひばくしているかもしれない私たち、僕たち


という言葉が、出てきて、

読んだときに、おもわず、泣きそうになってしまった。

こんな小さな子供が、

自分が被爆者になっているかもしれないということを、明確に、自覚しているという、冷徹な事実。

被害にあるものに、対する、大人げない差別といじめ。

何度も、感謝の言葉を伝える痛々しいほどの、素直すぎる気持ち。

短い文章の中に、大人が、考えなければ、いけないことが、ぎっしりと詰められている。

泣きそうに、なっている自分が、恥ずかしかった。



北白川の恩師宅にお邪魔したときに、いろんな話をした中で、

この話をしたときに、

4人の空気が、一瞬止まったかのようになり、

先生が、うつむいて、泣かれていた。

先生は、先の奥様を、早くに亡くされているが、そのときも、
涙は、見せなかった。


でも、先生が、泣いた。


大人は、泣いている場合では、ない。

けど、権力に反発してこられ、いま、中学生の子育てをされている先生は、

反権力者として、父親として、

大人がしてきたことの無責任さと、

未来を担う子供に負荷をかけた悔しさに、

涙されたのだな、と、思った。

あー、いや、お酒も進んでいたから、単に、可哀想に、思われただけかもしれないな。


先生のことだから、

思うことが、あれば、北白川から、発信されることだろうな。



2時間ほどの、北白川での滞在。

お鍋も、お酒も、おしゃべりも、

予想以上に楽しく、心に残る時間となった。

自分でも、驚いたことは、

いつも、意地悪な私が、

先生が、楽しそうに酔っておられるのを拝見して、

心から、

幸せだな

と、感じたことだった。



人は、やはり、一人では、


生きてはいけない。






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