明治時代の、八百屋の店主 長兵衛 は、やたらに、囲碁が強かったらしい。
当時の力士と、打ち合わせする際も、お店の商品を買ってもらいたいばっかりに、適当に負けて、都合よくやってっちゃってたらしい。
けれど、囲碁名人と対戦した時に、うっかり本気を出してしまい、互角の勝負になったことで、
まわりの人々は
「長兵衛は、ホントは強いのに、わざと、負けていた。」
と、噂したのだ。
それが、
「八百長」
の 言われ だそうな。
お相撲の世界は、逆境に立たされているな。
大相撲ファンをかれこれ、30年以上やっている私には、
どの報道も、見る、聴くに耐えがたいものだ。
「八百長」
がいけないのは、そりゃ、明白だ。
他のスポーツなら、厳しい処罰も、法律で決まっているものもある。
大相撲が、文科省下の公益法人であること
や
国技
といわれていること
や
心、技、体
などという、
掛け軸に書けそうな文言が、
力士なら、誰にでも、到達出来ている
というような、錯覚。
あるいは、
伝統
というものが、
いまだ、受継がれていくべきものであるのに、
完結しているかのような、傲慢。
力士に当てはまることは、
実は観戦している、私たち側にも
大きな勘違いがある
ということだ と思う。
大相撲の体質改善とやらは、
私たちの知ったところではないが、
観戦者としては、
不完全なものを見ている
と
思い出さなければならない
とおもっている。
どのスポーツも芸術も音楽も、ただただ、完全に近づくよう、
切磋琢磨している途中であって、
そこへの途中が、
人々を、
熱狂させ、感動させ、行動させるのだと思う。
ただ、
力士たちは、
とても、「美しい」。
その体、肌、まげ、四股名、所作。
彼ら自身、
それに気付いているのだろうか。
「美しい」
ことを完徹していくために、
彼らは、けいこ
していくのだ
と思っている。
そこに、お金
が
纏わるのは、
ちと
悲しい。