発病して間もない頃の私は…心の中は痛みの事で頭が一杯。

何故痛むのだろう?
どうしたら痛みは楽になるのだろう?
どうしたら痛みを回避出来るのだろうか?
毎日が痛みとの格闘で、治したい一心でした。
何故?どうして?どうしたら?
必死で考えて、痛みのグラフや痛みの要因と考えられるもの、考えられること、全てを日々書き記して検討していました。
考察して、分析して、日々の生活に生かしていました。
それらは、仕事復帰した後、その日を生きているのが精一杯なほど身体がきつくて、痛みを数値化出来なくなり全く書けなくなりました。
書くゆとりも奪われてしまいました。
なにせ、その日その時を過ごすことでいっぱい一杯でしたから…
生活する上での身体の動き、全てに痛みを伴い仕事をしていました。
今となっては、あんなに痛い状態で、何故仕事が出来ていたのか?が信じられません。
想像しただけで引く~。
仕事の合間、立ち話をしていると3~5分と立っておられずに、激痛が背骨や腰を中心に込み上げて来る。
話の折り合いをつけて、なんとか切り上げるタイミングをみはかろうとするけど、なかなか難しい。
切り上げられなくて、更に我慢して吐き気が出て来る、慌ててトイレで吐いたり…。
話の途中で、青い顔して血の気の引いてくる私の顔に驚いて相手が、気を使ってくれるのがわかりました。
申し訳ない。
それからは、椅子に腰掛けて話をしてくれるようになりました。
私もはじめからことわりを伝えて座りながら仕事を進めて行きました。
いつものようにはいかなかったな。
そんな風なので、帰宅してからの動けなさは酷かった。
帰宅して力尽きて

玄関先に倒れたまま、何時間も動けないまま。
生きた心地はしていませんでした。
取り敢えず、最低限に食べること。寝ること。
これを出来るだけ外さないように心がけるようにしていました。
実際は、出来ないことだらけ、思うようにいかないことだらけの毎日。
なので疲れもMAX

もう、痛みのふりかえりなんぞしてる暇はなくなりました。
痛みのことを考えている余裕なし。
痛みのことを振り返り考えることのゆとりがなくなったため、痛みの振り返りすることを諦め時間を手放しました。
そうしたら、どうしたことか?痛みを忘れる時間が増えました。
痛みを手放す。
痛みのことに執着し考えれば考えるほど悩みは尽きない。
不安はふくらむ。
痛みの連鎖。
痛みの振り返りしても良いのだか、あまり根を掘り起こすとグルグル思考にはまる。
おまけに解決出来ない。
寝つきは悪く、眠りも浅くなりがちになる。
何処かで、痛みの事を考える時間を手放す作業も必要かと思いました。
痛みの事にとらわれすぎないこと大事です。
とはいえ、いつも痛んでいるわけですから手放したくても、離れないじゃないか!!
と思いがち。
身体から手放すのではなく、先ずは、心から手放すと自ずと身体から離れて行ってしまう。

という流れ。
苦しみの時間を楽しみの時間に転換して行く作業を繰り返して行くと、苦しみの時間が減ってしまい解き放たれて行く。

自然な流れ。

痛みをとることは困難だけど、痛みを緩和させるのはお薬だけの力ではない。

という事を闘病体験の中から学んだのでした。
何をどのように手放し解き放つ事が出来るかは、人それぞれ。
あなたは、何をどのように手放しますか

今一度考えて見ませんか

今何が出来るのか?どんな楽しい時間を過ごすのかを決めるのは誰にも出来ない。
自分次第。
さぁ!!どんな楽しい時を過ごしましょうか。

少しでも心地良い時が過ごせますように

空高くそびえ立つ花
皇帝ダリア
皇帝ダリア天高く見上げていると、開放感ありますね。

深呼吸して、心が楽になりました。

