朝から

気温は、グングン上昇


こりゃー。真夏日だわ。
カンカン照り

そんな日の夕立ちが来そうな夕暮れ
いつもの夕焼けと違う。
親戚のお見舞いの帰りの夕暮れなのだ。
先日、お話した癌が骨に転移している親戚のお見舞い。
今回行ってみたら、デュロテップパッチは、6.3mgに増量されていた。
そう!私が使っていたお薬と同じで、同じ量になっていた。
「もう痛がられなくなりました。」と医療スタッフからお話を伺い。
部屋を訪問してみたら、何度も声かけして、とりあえず意識はあるけど、返事したらウトウトと眠っちゃった。
もう寝たきりでした。
表情も穏やかで、息もスヤスヤで痛みで苦しそうにしていなくて痛みのコントロールが出来ていてよかったと思いました。
どうしても比較してしまう。
まぁ。自分が体験したこの苦しい時期を想起することは、とてつもない苦しみを伴う。3年経った今だから何とか受け止められるようになったのだろう。
これが、まだ1~2年前なら無理だったと思う。
でも、思い出すことは苦しみだけか?
というとそれだけではなかった。
どんなに苦しくとも辛くともどん底でも、真っ直ぐひたすらに、がむしゃらに、一心不乱に諦めないで頑張って闘い抜いていた自分がみえた。
よく頑張ったよなぁ。。。
その当時、同じように寝たきりになったけど、癌の親戚のように痛みのコントロールがうまく出来ていなかった。
全身の骨という骨の髄まで痛んでいた。
一番困ったのが、呼吸。
息をすることが苦しみでしかなかった。
息を吸ったり、吐いたりが思うように出来ない。
肺を覆う肋骨という肋骨の全ての骨の髄が痛いので、息を吸ったり、吐いたりすると肋骨が自然に動く度に激痛。

肋骨の骨の髄が激しく痛むので息も吸えない、吐けない。
息も苦しい。自然と肩が上がる。
これまた痛む。
息が苦しすぎて酸素が欲しかった。

でも、そんなこと叶わない。病院もみてくれないし自宅だから。
胸式呼吸がダメなら、腹式呼吸をほそぼそとそして、丹田を意識して細く長く呼吸して凌ぐことを体得した。
人間というものは、どんなに窮地に立たされようとも、信念さえあれば知恵と工夫で乗り越えられるものなんだと知った。
骨の髄まで痛むのは、肋骨に限らず全身の骨。
これだけは、いくらなんでも手の施しようがない。
寝返りも激痛。
痛みで寝たきり。
痛みさえ無ければ、動けるのだ。

痛みがコントロール出来ていけば、生活できる。

悔しくてたまらなかった。
だけど、ここまで激しい痛みは生活の全てを阻む。
この動けなくなった身体で、どうやって生きていったらいいのか?
サバイバルな生活の始まり

その実際を知れば、みんな唖然とドン引きしちゃいそうなので…。
その続きのお話は想像にお任せします。

その事実を知った友人達は、想像を絶する。と言ってた。
ただでは、へこたれない私の転機は、買い置きしていた市販の漢方薬で調整して眠れるようになったら痛みが少しずつよくなってきた。


寝たきりの時からリハビリして続けてた。

寝返りが、できる様になって

なんとか座れるようになり

よれよれでも、やっと立ち上がれるようになりました。

車椅子は、痛みで座っていられない。
全身痛むのでこげない。
![[みんな:01]](https://emoji.ameba.jp/img/user/yu/yukinko-days/3836.gif)
なら、歩くしかない。

立ち上がったら、激しく踵の骨と骨の髄が疼き吐き気しながら、痛みは頭のてっべんまで突き上げてくる。
杖を持ってるけど、握る手も痛み、まして杖をつくとなると痛くてつけない。バランス取るためとりあえず持ってる。そんな状態。
よれよれ


寝たきりからリハビリして這い上がりデュロテップパッチ6.3mg使いながら歩くってこと。

これって普通なのかな?ふと疑問に思えた。
ってか、化け物なみの根性ものなのではないか?って…。
寝たきりの親戚の寝顔をみながら、我が体験を思い起こしたりしていた。
そんな体験したことある人の話を聞いたことないから、想像つかない。
癌の末期で、麻薬性鎮痛剤を使っていた知り合いはいて、どのような様子なのか、想像がつくけど…
線維筋痛症でデュロテップパッチを使っている体験者は、身近にいるわけもなく自分がどのような状況なのか?
理解しようとしても理解出来なかった。
今ごろになって、その痛みの苦痛の激しさを再確認した。
癌の末期の痛みのコントロールと線維筋痛症の痛みのコントロールとの違い。
そして、その行方。
見守りながらも、比較していろんなことを検討してみようと思う。
今日のお天気


関東方面へ台風接近しているみたいですね。
身体のダメージに気をつけて、無理せずお大事にお過ごしくださいね。
