今を生きる …ただ証明したくて | 線維筋痛症とともに:*≪夢の掛け橋≫*:*~愛に包まれて~*:

線維筋痛症とともに:*≪夢の掛け橋≫*:*~愛に包まれて~*:

認知症(DLB)の母を介護していたら、ある日突然、風邪から線維筋痛症(FMS)になったゃった。私は、医療難民で寝たきりに…さて、どうなるの?!







おはようございます音譜





爆弾低気圧で各地で雪ですね。
皆様、いろんな影響があり大変ですね。
大丈夫でしょうか?




こちら氷点下の朝陽は、霜に映えて眩しかったです。








photo:01









七色に光ってます。目






朝陽は、一日のパワー頂けます。







こんな心のゆとり、今までなかった。






今を生きるだけて、精一杯の毎日だったから…






全ての感覚が、痛みに変換されていました。





この病気にならなければ、理解し難い感覚。





暑い、寒い、風、冷気、湿気、光、音、重いものを持つ、アロデニアに触れるなどの感覚が、全て痛みに変換されていました。




温度変化に伴う痛みの感じ方を痛みの三段変容と例えて、昨年は表現していました。





とにかく冬=痛みの悪化が当たり前でしたが、今年は何だか違う[みんな:01]







今まで、冷気が当たると一瞬にして、激しい痛みに変換されていました。





朝から冷気に当たると一瞬にして、激痛に変換されていましたので、外出の時は冷気に当たる面を最小限にするために、完全防備して身体じゅうにあちこちホッカイロを貼りまくりあせる




しかし、今はどうだろう!?





冷気に当り今まで完全に忘れてしまっていた あせる冷たいあせるって感覚が戻ってきました。





波があり、アロデニアが強い時は、冷気を感じにくいけど、アロデニアが落ち着いている時は、冷気を感じることができます。





感覚が蘇ったのかはてなマーク






何もかも、未だに、様々なことはじめての体験ばかり





感覚が回復したのかな。[みんな:02]




もっともっといろんな感覚が、もとに戻ってきますように。





今年は、一昨年のように朝の冷気で刃物の激痛とまでひどい痛みにはなりません。





一昨年の冬は朝から、一日分の仕事をしたくらいの疲労感と激痛で身体を動かすのがやっとの状態でした。




一体どうやって今まで仕事をこなしてきたのか?





思い出せない。[みんな:03]




とにかく必死汗





ゆるやかにきつい。[みんな:05]




とにかく今できることをコツコツと積み重ねていくうちに、身体が仕事に順応してきたんでしょうね。





復帰当初は、重症でした。



初出勤してみたら、職員の顔は覚えているけど、名前が誰一人として思い出せない。[みんな:04]




痛くて痛くて何も出来ない。




座っていられない。




立っていられない。




言葉の単語が出てこなくて、どもったような。



会話の返事をしようとしても、言葉の単語が出てこないくて、沈黙。……。




フラフラで、物を落としたり、力が入らず持ったつもりでばら撒いたり。




惨憺たる復帰デビュー。あせる





誰もが、「再び休職するだろうと思っていた」と最近になって言われました。





私自身、冬場は状態が悪化することを知らずに秋に決めた復帰。



後戻り出来ないまま、よろめきながら今日まで突っ走ってきてしまった。






鍛えられたのか?





いつしか喋れるようになりました。




人の名前、全員思い出せました。




配慮して頂きながら、仕事もこなせています。




ハラハラドキドキから、ようやく落ち着いてきたのかもしれない。




周りも私もアップ




今は、感謝している。




あの心ない一言のお陰で、何が何でも復帰して勤めてみせる。アップって心に誓った。





復帰前の面談で、産業医が言った開口1番の一言「雇っているものは、あなたのような病気(線維筋痛症)は、いかにしてやめさせようかと考えている病気なんだ。」



「…。…。…。」




そして、そのやり取りを上司や幹部に問いただしたら、皆、真っ青に血相を変えて、その場から立ち去っていった。




そうか…。



そういうことか。




心のない言葉。



散々、病院で嫌な思いや辛い思いや、心ない一言、態度、対応を受けていたので、これでもか!
といわんばかりのとどめだった。



凄く傷ついた。




しかも、線維筋痛症の全ての人に対する失礼な発言がドンッ




私の決意を硬くした。




【何が何でも復帰して勤めていく。】





「きちんとコントロールすれば、働くことが可能であることを、証明してみせる。」パンチ!




何が何でも…。




線維筋痛症であっても、働けること、働いている人間がいることを、これから復帰するであろう人のために、ただ、ただ証明したかった。
ただ、その強い想いで、挫けず働き続け根性ものだった。



悔しさをバネに、してきた。





今年は、節目の年です。



春には、発症して三年になります。



冬には、仕事復帰して三年になります。



合格石の上にも三年合格





私の硬い決意を実行した記念日




線維筋痛症であっても、働けることを証明したくて、ただその想いだけで、駆け抜けてきました。



三年たったけど…証明したといえるかしら?




どうか、線維筋痛症であっても、環境が整い、コントロールしながら働けること、病名だけで、いきなりクビになるようなことのないように祈っています。



まだまだ医師の中にも誤った情報や間違った認知により患者は、苦しめられているのです。



病を救う筈の医師の役割を忘れている医師がいることも現実。




そんなことないだろうと思っていたから受け入れ難かったけれど…残念ですが、実際はたくさんいました。





それぞれの立場や状況で、事情があったのかもしれません。




今までは、医師に凄く期待していた故に深く心傷ついたのです。




もう、動揺しなくなりました。




無知なだけです。




見識のある医師に関われば良い。




何も心ない一言に、傷つく必要はありません。




心のある医師に関われば良い。




ただ、それだけ。ラブラブ






ひらめき電球過去を憂えず、未来を安じず、ただ、今を生きる。ひらめき電球






たくさん傷ついた方々、痛い上に、心まで痛められ。



何も悪くない。



傷つかなくてもいい。



ただ、無知なだけ。



昨日の苦しみは、忘れよう。



明日は、新しい時が訪れる。



過去を憂えず。



マイナス思考の不安は、緊張と心のエネルギー消耗してしまい枯渇してしまいます。




未来を安じず



時を大切に生きること。心身ともに穏やかに。


今を生きよう。