一番痛みが酷かった時からの備忘録を、書き始めました。
激痛発作がある間は書けませんでした。
症状が悪化するからです。
一番の窮地で、酷かった時には本当に困りました。
痛みによって全ての機能が果たせない。
先ず息が苦しくて出来ないとこれから始まって、身動きすら出来なかったので

今になって、冷静に振り返るとよく生きていたなぁ。しみじみ思う。(・_・;)
悲惨な惨状でした。
かなり危険ですね。
どうしたらいいのか?どう生きたらいいのか?…
わかりませんでした。
幸いにも今日ここに命が、繋がったこと奇跡です。

しかも、その当時はかなりの量の医療用麻薬である鎮痛剤が効かずに寝たきりでしたので…
今思えば、いわば医療の限界だったのかな?
常識的に考えれば、あのような状態で入院受け入れないとは…。
適切な対応といえるのか?
はなはだ疑問です。
しかし、たとえ入院出来たとしても、酸素や点滴や尿の管に繋がれていただろう。
しかも、医療用麻薬漬け。当時の主治医の治療方針は、デュロテップパッチは切れない。効果が現われる極量まで増やしていく!でしたから…。
そうなれば、更に気力や体力は奪われ、筋力は落ちて二度と起き上がれなくなっていたかも知れません。
今、快復してきているから、言えることかもしれません。
どうやって生き伸びたのか?
どうやって快復してきたのか?
今の通院している病院に通院出来るようになるまでが、一番苦しくて辛かったけど…。
病院関係者は、そんなこと誰も知らない。
このままでは…線維筋痛症の私たちは、いつまでたっても必要な時に、必要な治療がなされないままになってしまうのではないか?
適切な処置を必要な時に施さなけければ、こんなに短期間で状態悪化してしまうことがわからないまま闇に葬られてしまうのではないか?
お粗末な医療は、もうこりごりだ。
結局は、危機的な状況から脱出することが出来るまで医療の介入は受けられなかった。
というより、受け入れがなされなかった。いわば医療拒否、入院拒否。
まるで【医療難民】

常識的に考えれば、道義的責任を問いたいところではある。
ブログでは、サバイバルな体験と表現していますが…。
想像超える壮絶さ
一度まとめてみたけど、みんなが具合悪くなりそうなんで…(-"-;)表記するの躊躇しちゃう。差し控えよう。
取りあえず、やってきたことを伝えて行こうかな?って思います。
ちょっぴりの生活の知恵と工夫を、やってきた。
我流な生活リハビリが、命を救った気がします。
今まで生きてきた経験と知恵しか…もう突然のことで準備も何も出来ていませんでしたから(ノ_<。)
ただそれだけで、窮地を乗り切りました。
人間って、不思議

ひとたび生きようと思ったら、ものすごい底力を発揮出来るんだな。
ブロ友さんも言ってたな。
“火事場のばか力”ってね。
(*‘‐^)-☆