カラオケ....

 君がへこたれて ゆううつな時は

 君の瞳に 涙がいっぱいの時は

 その涙を乾かしてあげよう

 君の味方だもの

 つらい時がきて 

 頼る友達もいない時は

 明日に架ける橋のように

 僕が身を投げかけてあげよう...カラオケ


1960年~70年代に活躍した、サイモン&ガーフィンクルの「明日に架ける橋」の一節です。

この時代は洋楽が頻繁に、深夜のラジオ番組から流れていました。「カリフォルニアの青い空」(アルバート・ハモンド)や「悲しき鉄道員」(ショッキング・ブルー)、「霧の中の二人」(マッシュマッカーン)など、今でも頭の片隅に刻まれ懐かしさに溢れた「記憶に残る」秀逸な洋楽が流れていました流れ星


夜遅くに、何をするでもなくひたすらラジオから流れる洋楽を聞いては、まだ見ぬ海外の景色を想像したり感傷に浸ったり「生きる力?」を与えてくれる存在でした。いつの間にかそんな音楽も流れなくなり人々の情緒や感情が薄れつつあります。


そんな中でも「明日に架ける橋」は私にとっては大好きな曲で何度も聞いては胸の奥深くに染み渡り、その度に溢れる感情がありました。

先日もこれらの洋楽をYouTube で何度となく繰り返し聞いては胸を熱くしていました。時には(不覚ながら)涙を流していました悲しい


昨今の世の中の流れを見ていると、人の悲しみや出来事を可笑しく揶揄したり、時には誹謗・中傷を平気で投稿します。一部の週刊紙などは売上げ伸ばす為?なのか、個人の気持ちや立場を考えずに長期に渡って掲載します。

またワイドショーなどでは、文化人?と称されるタレントや評論家を登場させ、大袈裟に問題を取り上げて内容のない議論や言葉を投げかけます。


これって可笑しいですよね。何の権利があって何の目的があってそんな行動をするのでしょうか??

「人権」などと堅苦しい言葉ではなくて、報道の先、言葉の先には一人の人間が存在します。その方の生活があり人生があります。特に近年はSNS が発達してyoutuberなる人の存在感が独り歩きをして、ますます過激さを増していますグラサンハート


ネットやSNS が急激に発展しました。それと友に人間の感情が過激になり「優しさ」が失くなりつつあります。全ての出来事に対して「他人事」ではなくて無理やりに「自分事」として捉らえ、「私ならこうする」「私はこう思う」などと勝手な持論をネットに投稿し相手の気持ちなど「お構い無し」です。イヤな世の中になりました!!


街中が音楽で溢れ秀逸な洋楽がラジオから流れ、その曲に心を奪われ時には涙を流す...そんな優しさに溢れた良き時代はいつの間にか遠くに消え去りました。


自分の言動を振り返り、今の立ち位置を確認する必要がありますね!!