今日は、私の大切なあの人の記念日です。



ブログには たくさんのおめでとうが並んでいます。


嬉しい言葉
優しい言葉


そして、長い時間の中で 彼が感じてきたであろう事を様々を想像し…

労い
不憫に思う


「かわいそう」
「辛かったよね」







ひとりの男性が 自分で選んで進んできた道を例えそれが辛そうに見えたとしても、周りが不憫にに思う事には違和感を感じてしまうのは私だけかな?



不憫だから応援するの?


いえいえ、彼には抗えない魅力があるのです。 

たくさんの人を惹きつけてやまない魅力が…




確かにここまでの道のりは容易いものではないでしょう。でも、それはもう過去のことではないですか?今の彼は、不憫な人ではないでしょう?

どんな人でも、我慢していることはあるよねぇ



過去の彼ではなく
今の彼をみませんか?



悩みを相談することさえ、好きではない彼なのに、勝手に考えを巡らせるのではなく、今の彼を、彼自身が放つ光に魅了され酔いませんか?


彼は自分で、「彼」でいる事を選んだのですから。










もうひとり 今日が記念日の私の大切な人は

子どもの頃 お母さんに

「あなたは かわいそうだ」と言われて育ちました。

それは、お母さん自身の周りへの不満が投影された言葉でした。

その言葉は、彼自身が気づかないところで呪いとなり、彼の本質を歪めてしまったのだと思います。

長い間 彼はその呪いに苦しんでいます。

その事に少し気づいてはきているようですが、まだまだ解かれてはいない様です。








本当に「かわいそう」「辛かった」のは
「彼」ですか?

あなたではないですか?