※少し暗い話になりますので苦手な方はご注意ください。
貧血でしんどい中、抗がん剤の治療も行うことになり、副作用で体調が安定しない日々が続きました。
また、抗がん剤治療中は無菌室に入るので家族以外の面会もできず…
知り合いの多い父は多方面からお見舞いの申し出を受けていたようです。
その後、たくさんの点滴や治療を行いましたが、残念ながら感染症に打ち勝つことができずに父は亡くなってしまいました。
救急車で搬送されてから約一ヶ月後の9月15日のことでした。
私の妊娠を誰よりも喜んでくれた父。
里帰り出産も快く受け入れてくれて、家の片付けをすると言ってくれていました。
糖尿病の治療と白血病の治療で手も足もパンパンに浮腫んで、最後には体に溜まった水分が水泡になってしまうほどでした。
器用で何でも自分でできた父の手は、父が亡くなる寸前に浮腫みのせいで変色してしまいました。
色々な臓器がダメージを受け、呼吸もできなくなって苦しい中、それまで反応がなかったにも関わらず、私が「頑張って赤ちゃん育てるからね、お父さんも頑張って」と伝えるとうなづいてくれました。
苦しくてしんどくて言葉も出なくなってしまった時も、少しだけ膨らんだお腹を見せると嬉しそうに笑ってくれました。
本当ならまだお腹が大きくなるような週数ではなかったのですが、私は妊娠初期からお腹が膨らみ始めました。
もちろん体重が増えていたせいだとは思うのですが、私は父にお腹を見て貰うためにそうなったのだと思えて仕方ありません。
その後中期に入ってからは膨らむ速度は緩やかになりました。
まだ数グラムだった赤ちゃんの体重を教えると、目に涙を浮かべて嬉しそうにしていました。
それなのに、なぜ。
なぜ68歳という若さで父は亡くなってしまったのか。
これから先、子供が産まれたら誰を頼りにすればいいのか。
誰かが、命は巡るものだから、新しい命が産まれるということは今ある命も失われるということなのだ、と言っていました。
それなら私は父の命を選びたかった。
赤ちゃんなんか望んでない、父に生きていて欲しかった。
そんなことすら思ってしまいました。
でも、父が亡くなって時間が経つにつれて、父がこうなることは最初から決まっていたことのような気がしてきました。
だとしたら。
赤ちゃんはきっと、一人では耐えられない私を支えるために来てくれた。
私を守り、支え、励まし、一緒に頑張るために来てくれた。
今ではそう思えて仕方ありません。
今私は、父との約束を守るために、何が何でも無事に赤ちゃんを産み、育てるのだという気持ちでいます。
それはとても大きなプレッシャーで、その気持ちを抱えていることは必ずしもいいことではないと思います。
でも、私は私を支えてくれた赤ちゃんを、父がきっと守ってくれるであろうこの命を、一生懸命繋いでいきたいと思っています。
最後に…
父の発した最後の言葉は、帰り際の私たちに向けた小さな小さな「サンキュー」でした。
家族が大好きだった父は、ちゃんと全員がICUに揃ってから、私が声を掛けているその時に逝きました。
誰も面会に来ていない時に一度心肺停止したそうです。
それなのに、辛いのにわざわざ戻ってきて私たちに心の準備をする時間をくれたこと、私からも父に最大の「サンキュー」を贈りたいと思います。