うなー と オカメ飼いナース

うなー と オカメ飼いナース

ナース9年目のトゥエンティです


日々の仕事における話、趣味の話、まれに彼氏の話など書いてみたいなぁ、と思ってます(´∀`)


2015.4.15 追記
3月に うなーを出産しました。妊娠、出産、育児についても書いてみたいなぁと、思います。


看護師による妊娠、出産、育児ブログ。
趣味やペットのオカメインコについても書ける時に(^◇^;)
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書くのが辛くてブログからだいぶ遠ざかっていたけども、みぃみぃがママの体から出てきた後の続きがある。

休みの間はみぃみぃの入ったビンと一緒に寝たりしていた。

休み明けの日にみぃみぃの入ったビンを持って、受診に行った。
「胎嚢が出たら持ってきて」と言われていたからだ。

診察で胎嚢が出たことを告げて、内診。
胎嚢も胎盤もしっかり出ていて、子宮の中は綺麗になっており、子宮内を綺麗にする手術は必要がないことを説明された。

その後、胎嚢を見せるように言われ、ホルマリンに漬けられそうになった。

私はみぃみぃは家に連れて帰って、我が家の木の下に埋めようと思っていたので、ビックリして、ホルマリン瓶に入れようとした看護師と先生に、胎嚢を連れて帰りたいことを説明した。

すると、それまで(手術で私の機械出しが遅くても、上の子の時にお世話になった時でも)声を荒げたことのない先生が怒った。

「それは手術で切った胃や腸と同じだ!調べないと病気を見逃すことになるかもしれない。持って帰ることは許さない!」


先生が心配したのは胞状奇胎のことだろう。

胞状奇胎とは、精子が入った卵子の中で、絨毛細胞が異常増殖して、子宮内を埋め尽くしていき、最終的には悪性の高く、そして転移しやすいガンになっていってしまう。

医師の判断は当然の判断だ。

しかし、こんなこと先生に知られたらまた怒られるだろうが、産科には疎い私ではあったなりに、それまでに撮ったエコー写真や胎嚢自身を見て、「多分、胞状奇胎ではないだろう。」と思っていた。

ネットでは診察後に胎嚢を家に連れて帰って庭に埋めたという話もあり、私はみぃみぃを連れて帰れるものだと思っていた。

それが想定外の病理検体としての提出。

ホルマリン瓶に入れられ、刃物で薄くスライスされ、顕微鏡で調べられる。


何のために掻爬術をせずに、自然に出てくるのを待ったのか!
亡くなってしまったみぃみぃの体だが、それでも掻爬術でバラバラにされないようにと思って、出血や感染のリスクを犯して、みぃみぃが自然に出てくるのを待った。
みぃみぃが綺麗に胎嚢に包まれて、胎盤と一緒に出てきた時はホッとしたのに、のうのうとみぃみぃを病院に連れてきた結果、検体として出すことを強いられるなんて‼︎

医師の判断は当然の判断で、私の思いは通ることはなく、みぃみぃは病理検体として提出することとなった。

突然の別れに納得しきれず、せめて自分の手でホルマリン瓶に入れ、病理室に連れて行くことを先生にお願いし、「必ず持って行くこと」を約束に、許可をもらった。

外来看護師さんがみぃみぃをホルマリン瓶に入れるよう促してくる。

ホルマリンに浸かってしまえば、もう家には連れて帰れない…。
まだそんなことを思いながらも、泣きながらゆっくりとホルマリンの中にみぃみぃを移した。

伝票とみぃみぃの入った検体瓶を渡されて、看護師さんにも必ず病理室に持って行くよう説明された。


その日はとても綺麗な秋晴れの日で、空がすごく青かったのを覚えている。

みぃみぃをポケットに入れて握りしめたまま、病院の外を散歩した。
隣に綺麗な公園があって、みぃみぃと一緒に咲いてたパンジーを見たり、少し高くなったところから景色を眺めたりした。

1時間ほど散歩をしたが、やはり別れられない。
病院の駐車場に戻り、うちに連れて帰れない悲しみにひたすら泣いた。

「自分はここの職員で、ワガママを通してもらって、みぃみぃと一緒に散歩して、綺麗な景色を見せることができた。」と無理やり自分を納得させ、病理室に向かった。


しかし、病理室の扉を開けることが出来なかった。
扉の前にしゃがみ込んで、みぃみぃを両手で包み込んで、涙が止まらなかった。

リハビリ室に向かう患者さんからは「なんだ、この人」と思われたことだろう。
患者さんを搬送する何人かの看護助手さんやボランティアさんに「大丈夫ですか?」と声をかけられた。

それでも、進めない。
この扉を開けて、みぃみぃを手渡してしまったら、もう会うことは出来ないのだから。

しばらくすると、知り合いの検査技師さんが扉から出てきて、声をかけてくれた。
私が涙と鼻水にまみれた汚ったない顔を上げると、技師さんは私だと気付き、どうしたのか尋ねてくれた。

私は事情を説明し、どうしても扉の先に進めなかったことを伝えた。


技師さんは力強く私の背中を擦ってくれた。

技師さんは自分の妻も流産をしており、私の気持ちが分かること、一度別の部屋で休んだ方がいいことを伝えてくれた。


仕事の邪魔になってることに対する遠慮もあったのも確かだけど、技師さんの絶妙な力強い手に励まされ、なんだか勇気?力?が湧いてきて、お礼を言って技師さんと別れて、扉を開けることができた。

頭の片隅で、看護師の私が「タッチング、もっと勉強しなきゃのぅ!」と決意してた。



みぃみぃの入ったホルマリン瓶を担当の技師さんに手渡して、お願いしてきた。

病理室を出るまでに、また顔見知りの技師さん数名に声をかけてもらい、「今はまだ運転したら危険だ!休んでいくように!」と技師さんの休憩室に連れて言ってもらい、涙としゃっくりが止まるまで休ませてもらってから、病院を離れた。


みぃみぃは5年間はあの病理室にいる。
もう1年経ってしまった。
その分、うなーは成長した。

朝、仕事に来た時には、心の中で「みぃみぃおはよう」と声をかけ、帰りには「みぃみぃ、またね。」と病院を見上げて思う。

みぃみぃと一緒の建物にいるというこの支えが無くなる時はまた泣くんだろうか。
それとも涙なしに乗り越えられるんだろうか。

2日はいつもの通りにうなーとみぃみぃと一緒に仕事へ。

午前中はたまにお腹が少し痛むくらいで普通に働いていた。昼前に脳カテの準備で寒いカテ室にいたらその後腹痛と出血がひどくなってきた。

拳2つ分もあるかと思うような血の塊が2回も出てきて、「この中にみぃみぃがいるかも⁉︎」と慌てて便器の中からさらってみたけど、血の塊だけだった。

夕方の帰る間際には大量出血して、一回で多い日用のナプキンから溢れて、ズボンまでビショビショになるくらいの出血がでた。

腹痛も強くなり、パパに運転してもらって家族みんなで帰宅。


家に着く頃には痛みはほとんどなかった。

ナプキン代えないとなぁ、とトイレに行ったら、大きめの塊が出てきた。

でももう1つ、ママの体の出口で留まってる塊があった。


みぃみぃだった。


「みぃみぃに会えた!」と嬉しい気持ちとみぃみぃが体から出てしまった悲しみが半々だったような気がする。


嬉しい気持ちを持てたのは、みぃみぃが一緒に過ごせる限りある時間を教えてくれたから。みぃみぃと一緒に星空や晴れた気持ちのいい秋空を見上げることができたから。何人かにお腹を撫でてもらえたから。パパから「美味しいものがいっぱいあるってみぃみぃに知ってほしいから、美味しいおすしをいっぱい食べた方がいい」って教えてもらって、みんなでおすしを食べることができたから。もう少しみぃみぃといろんなことをしたかったけど、きっと切りのない話になっちゃうね。


その後、パパを呼んで、みぃみぃを見てもらった。

ねぇ、みぃみぃ。きっとみぃみぃはおうちに帰ってきたかったんだね。

助産師さんや他の看護師さんからは「胎嚢が出る前は一際痛みが強くて、その後に出て来る」と聞いていたけど、みぃみぃが出てくる前は全然痛くなかったよ。優しいみぃみぃ。


みぃみぃと胎盤を綺麗に洗って、消毒したビンに湯冷ましで作った生理食塩水を入れて、そこで休んでもらった。


今考えると、みぃみぃが出てきたのは2日の帰宅直後。

みぃみぃが家に帰ってきたかったのもあるだろうし、もしかしたら、「ママ、ゆっくり休んでね」と最大限の時間を作ってくれたのかもしれない。


1日の夜に「みぃみぃ、もう出てきてもいいよ。」と声をかけてから22時間のことだった。

うなーと一緒で「出てきていいよ」と声をかけてからの行動が早い(笑)兄弟(妹?)だね(●´ω`●)


やっぱり急に悲しみの波が強くなって、泣き叫んでしまうこともあるけれど、みぃみぃが作ってくれた大事な時間、すごくありがたかった。

そして、うなーと一緒で、いろいろ気を使って出てくる時間を考えてくれていることにもなんだか少し和んだ。


ありがとう、みぃみぃ。

ずっと大好きだよ。

また来てね、待ってるから。

1日は主治医に診察してもらい、みぃみぃの成長も心臓も止まっていることを説明を受けました。

手術勧められたけど、みぃみぃともう少し一緒に過ごしたいのと、みぃみぃがバラバラになってしまうのが嫌なので、1週間待ってもらって、また来週手術について考えることにしました。

「みぃみぃがお腹にいる間の貴重な時間。どう過ごせばいいかわかんないけど、大事に過ごしたいね。」とパパと相談しました。

パパが「みぃみぃにいろんな美味しいものがあるって知ってほしいから」と夜はおすしを食べた。美味しいおすしがいっぱいだったね。

夜に「みぃみぃ、もう出てきてもいいよ」と声をかけたら、出血量が増えてきた。みぃみぃ、準備始めたんだね。

みぃみぃの好きなタイミングで出てきていいよ。それまで一緒にいられることを大事な思い出にするね。


今思えば、日曜日にみぃみぃの心臓止まってること聞いてすごく悲しかったけど、残り限られた時間だとみぃみぃが教えてくれたんだと思った。


みぃみぃ、大好きだよ。

パパが作ってくれたみぃみぃの旗を目印にまた帰ってきてね。