正直しんどい教育現場…(高校、某予備校講師) -3ページ目

他人をバカにしたい心理

欧米人は個人確立という伝統文化がある。

だから競争社会の中においても他人がどうだろうと他人にどう見られようと自分がよければそれでいい、上手く自己満足できている。


日本人はもともとコミュニティの中に自分の存在以後を見出す集団社会という伝統文化がある世の中に欧米の競争社会が持ち込まれた結果、自己を確立し他人がどうだろうと関係ないという新しい価値を一見受け止めたように見えて、周りの人の反応が気になって仕様がない。日本人が古来大切にしてきた集団意識は消えていない。結局集団の中で自分がどう見られているのか自分がどう位置づけられているのか気になって仕様がない。上手く自己満足できない。


すなわち結局他人に評価してもらわないと自己満足できないでいる。その結果、過酷な競争社会の中で他人と自分を強く意識する。その中で安心・自己満足を得るためには結局他人に優る立場に自己をおくしかない。他人に勝ちたい、あの人より上の地位に行きたいという欲求は欧米人にも日本人にも等しく存在する。しかしなぜそう思うのかという根拠の部分が異なるのだ。欧米人は自己実現のため実力を確かめたいためと考える人が多いだろう。かたや日本人の多くは他社と比較され下位の立場に自分を位置づけられたくないからである。同期に負けたくない、旧友に負けたくない・・・同じ資本主義社会で競争社会であるのに日本人とその他の国に住まう人に心のゆとりに大きな違いがあるのはこれがひとつの要因と考えられる。自己確立の歴史があって初めて発生する資本主義社会・競争社会に、日本は自己確立の歴史をジャンプして放り込まれたのである。ニートという存在を笑いのネタにするのはまさしく日本人特有の心理が働いている。日本人はよく「仕事やめちまいたいよ!」「おまえこの不況下ニートになる気かよ!」「最近どう?」「マジ俺最近引きこもりすぎてニートしてる!」「ゲラゲラゲラ!!!」これはニートを自分よりも社会的に下位に位置するものと意識、彼らを笑いの対象とすることで自分は彼らではないということを示したいのである。他者と比較し自分の優位性を確認したいのである。自分もニートになりえることへの恐怖を馬鹿にすることで払拭したいのである。欧米人は間違ってもニートを笑いのネタや冗談で用いたりなどしない。重大な社会問題であり、かつ自分もなりえる存在であることを真摯に受け止めている。出会った日本人の多くがこのような考えで毎日生きていることに私は驚愕する

コンビニ業界=人生の醍醐味をブチ壊す仕事

人というのは、長い間上書きされていない記憶を思い出したときに懐かしさを感じる。そして最後の記憶から現在の間に存在する膨大な時の流れを思い返してみて随分な時が過ぎたことに驚愕し歳をとるということを実感する。例えば、今の大人なら分かるだろう、小学生の頃通っていた学校の近くの年季の入った文房具屋、牛乳なんて売っていないのに牛乳屋と呼ばれているお菓子屋、老夫婦が経営していてふしだらなアダルト本が堂々と置いてある本屋、愉快なおじさんが店番しているプラモデル屋、変な名前の店長がイメージキャラクターのスーパー。あなたの周りにもありませんでしたか?こういう何か分からないけれど地元に馴染んでる謎があるお店って。学校を卒業して大人になり違う町に引越し、こんな店の存在も忘れて、長い時が過ぎてふとこの町に立ち寄り昔のままのたたずまいでそこにあった時、ものすごい懐かしさと、当時の記憶や空気感、感情がブアっとよみがえってくるでしょう。これはこれらの店に関する最後の記憶が小学校のはるか昔で止まっており、記憶が上書きされていないからだ。


このことを考えると今の子供たちは不幸とは言わないけれどこういう経験をする機会がぐんと減っている。理由はなぜか、全ての店がチェーン店ばかりだから。ジャスコ、コンビニ、イトーヨーカドー、BOOKOFF、ツタヤ…

これらのお店は全国どこへ行ってもどんな土地へ行っても同じデザインで同じ似通ったディスプレイで存在し頻繁に目にする。するとこの店に関する記憶が常に更新されていく。自分が小学校の頃お菓子を買っていたファミリーマートに関する最新の記憶は今日の通勤途中、ということになる。



昔の町に帰って実際に行っていたファミリーマートに行けば、ああここで実際にお菓子を買っていたなと多少は懐かしさを感じるかもしれないけれど、その懐かしさは前述した「牛乳屋と呼ばれているお菓子屋」に比べれば遥かに薄いものになる。


上書きされないで脳にずっと残って埃をかぶっていた記憶がふと現れたとき、人は感情を大きく揺さぶられる。その大きな感情の揺さぶりこそ長い人生の醍醐味であり、人生そのものなんじゃないかなと思う。

なんてことを村上春樹の「ノルウェイの森」を読む度に思うのです。フランクフルトの空港で飛行機の中で身動きがとれなくなってしまう、現在によみがえってきた埃をかぶっていた記憶とはそんな威力をも持つのです。



あ、外食産業の方に不快な思いをさせてたらすんません。

自分の子供を他人に怒られると我慢できない親

これは前の記事でも書いたけれど、今の社会は、

親子VS他人(他の親、子)という構図になってしまっているから。


本来の望ましい構図である 大人VS子供 ならば、

「本当に子供はやんちゃで困るわ~」なんて言って叱ってくれた他人と会話を弾ませられるものなのだろうけどね。

勉強できない大学生

◆高校までの勉強は何のために存在するのか→知識を得て教養を身につけるのはもちろんだが、それらの勉強を通じて論理的思考力・事物の分析力・考察力・情報の整理整頓法を養うのです。

◆そして知識+論理的思考力を身につけたうえで、その「知識」と「思考力」を駆使して大学で自分の興味ある専門分野を「研究」するのです。つまり大学に進学する学生は、「研究」のために必要な「大前提の知識」と「思考力」を高校正の時に身に付けるのです。

勉強が出来ない大学生が増えているのは、高校の勉強をいかにスムーズに人より多く「知識」を頭にいれられるかの勉強に徹してしまっているから。


例えば、英語の目からウロコ系の社会人向け学習本

→9割が、学生時代=課外活動・遊ぶ時期としてきた人たち向けに作られたものといっていい。「自分で勉強」していれば当たり前に身についている法則ばかり。テストがあるから、点につながる事だけ、を頭にたたきこむことを「勉強」と勘違いして「自分で勉強」することをしてこなかった奴らには目からウロコのスバらしい学習本なのでしょう。そしてあたかも今得たその知識で自分が最強になったかのように、くだらない当たり前の情報もいちいち形式ばった表現で話すことであたかもスゴイ事を話している空気を出し周りの人に自慢するのでしょう。社会人にも時々こういう人いるよね。

大学の役割が変わったというのはおかしな表現

大学の役割は今も昔も変わらない。

変わらなければいけないのは私たちの考え方と働き手を受け入れる社会の姿勢。

社会の中でいわゆるホワイトカラーの類の仕事に就く、給料のいい仕事に就くためには大学を卒業していなければいけないという昔の状況から脱出しなければいけない。

①例えば女性の一般職。経験上からも高卒の女と大卒の女とで仕事の質に差が出るとは思えない。むしろ高卒から働き始めていれば大卒の年齢の22歳のころには立派なスキルと社会人としての知恵を持った人間になっている。大学での勉強の延長線上に仕事があるとは到底いえない。

②というと、大学を通じて得られる経験(サークルやボランティア、海外活動)は、一人の人間を教養人に仕立て上げてくれる、と考えて大学進学を肯定する人がいるだろう。しかしそれらは別に大学に行かなくても経験できるでしょう。

③しかし現実においてはやはり大学に行ったほうがそういうチャンスにめぐり合いやすいうのは否定できない。それにそもそも大学にもどこにも行かずにフリーターの身になってまでも、自分の経験値を増やそうと自由に活動するのはいわゆる人生における「ブランク」とみなされて就職が危うくなる。と考える人がいる。

④これがいけない!!!!と是非とも声を大にして言いたい。

日本はブランクが許されなさすぎる。就職に失敗した学生が新卒の地位を守るために大学にもう一年留年する??実に馬鹿げている。

★ブランクを倦厭する風潮をやめるべきである

★そうすれば別に大学で勉強したいことはないけど、社会に出る前に自分の見識を広めるためにボランティアなどの活動をしたいと考えている若者は、バカみたいな学費を払って大学にいって勉強そっちのけで、かねてからやりたかった課外活動に勤しむなんていう事態は起こらない。

★そしてその見識を広めた結果自分が人生でやりたいことが明確になって、大学に進学するのか、資格試験勉強をするのか、すぐ就職活動をするのか、職業訓練をうけるのか、ベストな道を選択していけばいい。

★大学以外の教育機関にいくことがレベルの低い人間がやることという風潮を改めるべきである。同時にブランクがあることを倦厭する風潮を改めるべきである。


お願いだから、大学が社会人としての教養を教える場になり下がるなんてことにならないでほしい。

社会に出る前の職業訓練所みたいな地位になりさがらないでほしい。

大学側が甘受してその役割を引き受けたりしなければ、社会は大卒ばかりを賞賛するのはおかしいね、っていうことに気づく。そしてそこで学ぶ大学生も何も資格を持ってないことを後ろめたく思う必要なんてない。堂々と胸を張って自分の勉強してきた成果を声に出していい。資格は普通自動車とTOEICだけでいい。

企業側に言いたい。パソコンや簿記などの資格をもった学生を優遇するなんて姿勢とるのであれば、大卒採用至上主義を今すぐやめるべきでる。大学生に何を求めているのだ?!大卒至上主義でなおかつ資格を持っている学生を優遇するなんて企業があるのであればその企業にいる人間は、大学で何を勉強したいか志も持たずに大学に行った人間の寄せ集めであるといっていい。こんな会社に大して、大学でしっかり自分のやりたいことを勉強してきた立派な学生が就職するような会社じゃないから絶対に頭をさげてはいけない。





(医学部など就職が明確になっている学部以外のことについて書いている)


因数分解を勉強するのは何の為?

NHKでデキル社会人のデスク周り整理整頓術を偉そうに紹介していたけど…

パソコンのフォルダ整理術をえらそうに紹介していたけど…

論理的思考方法をいちいち図解にして社内研修させていたけど…

バカじゃないの?


「因数分解なんて社会に出て役に立つのかよ~」

「歴史なんて知っていても社会に出て役に立つのかよ~」

こんな台詞を言っていい加減にしか勉強してこなかった人はこういう研修が社会に出てから必要になるのでしょう。


前も言ったが因数分解は、因数分解そのものを社会の中で役立てために勉強するのではなく、論理的思考力を養うための手段。

歴史は歴史用語を暗記するために勉強するのではなく、物事の因果関係・相関を分析する考察力を養うための手段。

面倒くさいといって学校にせっかく行かせてもらったのに屁理屈こねて勉強しないで反発した人間がいるから社会に出てこういう海外から見れば笑いのネタでしかない研修をしなければいけない羽目になるのです。




武道の必修化について警鐘

武道の必修化が話題によく上がるけど(あ、そうでもない?)

ちょっとこれは色々指導が難しいように思う。

何より選択肢の中に「弓道」があることがひっかかる。


ま~っさか弓矢を持たせて練習、的前に立たせて実際に矢を射るなんて事しないよね?

柔道・剣道とちがって初心者の弓道ぺーぺーの子供でもちょっと扱いを誤れば人に重傷を負わせ、人を殺すこともできるってこと、そして自分自身も大けがする可能性があるってこと文科省さん分かってるのかな?

部活に入って三年間がんばってやるっていう意気込みがある奴以外の人が、

授業で選べるからって興味本位でなんとなく嗜んでいいもんじゃないんじゃないかな。

弓道にちょいと縁がある私は反対だ…

自分の手形じゃないカケで矢を射るの?

自分の腕の長さにフィットしてない矢を射るの?

まさかね…


ゴム弓で練習するだけだよね?文部科学賞さん!

ドラえもんから学ぶ。いじめられた我が子にこういう風に接せられる親って素敵

ドラえもんで昔から大好きな話を例に。

この時の母親のアニメといえやさしい声が今でも印象に残っている。

のび太がジャイアンに喧嘩でボコボコにされて傷だらけになったその日の夕食にて。


母「のびたはっきりおっしゃい、どうしてそんな顔に怪我しているの?」

のび太「(無言」」

母「またジャイアン君と喧嘩したんでしょぅ^^(笑顔で優しい声で)」

父「あははははは!それで負けたんだな?^^(笑顔)」

ドラえもん「くよくよするなよ、君は立派に戦ったじゃないかぁ…」



社会の構図が大人VS子供になっている証拠。

子供の世界で起こっていることに大人はいちいちバカみたいに介入せず、

暖かく見守っている。

自分の子供が喧嘩で負けてもそれに対して親が自分で何か行動起こしてどうこうしてやろうなんてことを考えない。とにかく暖かく見守る。

事実を見守るだけ。

すばらしい!その後どうするかは子供に任せている。


今の「子供が生きがいの馬鹿親」は、それが分からない。

喧嘩に勝つ子供、喧嘩に負ける子供、

この差があるのは当たり前。これを「差別だ!」とか「子供の人権がある!」とか「子供の権利条約に日本も調印している!」なんてアホみたいな、

バラエティ番組で聞きかじったショボイ知識を持ち出して

いちいち子供の世界に口出しし、時には教員に文句を言ってくる。

そして今は愛しい可愛い自分の生きがいである我が子をこんな目にした相手の子供とその親が憎くてしょうがなくなる親ばかり。



うんざりだ