3.11 東日本大震災から5年が経ちました。


5年前、地震が発生して


記憶はないけど自分が住んでいた岩手の宮古に津波が押し寄せているニュースを目にし、



釜石と大槌に住んでいる従姉妹達とまったく連絡がつかず



釜石で入院している父の安否も取れず…


すごくすごく苦しい毎日でした。




私は産後、1ヵ月半だったので毎日家に缶詰で、


テレビでは津波や被災地の惨状を見ているだけしかできず…



何日も連絡がとれず、テレビで壊滅的な映像を見ては最悪なことを考えてばかりでした。



ですが、兄が「テレビで従姉妹が映っていた!、瓦礫の中で無表情にたたずむ従姉妹が映っていた!」


と言い、そこから避難者リストを検索しまくり、従姉妹家族、叔母の名前を見つけました。


「生きてる!皆生きてるよ!」と兄に連絡しひとまず安心。



それから数日後、叔母の津波を免れた職場の電話から無事だと連絡がありました。



ただ、従姉妹達も叔母もすべて家は流されていました。


それから数日して、叔母から私の父も生きているが様態が悪化して盛岡の病院へ移っていたと連絡があったのですが


翌日また連絡があり、「今日亡くなったよ。」と伝えられました。



父の入院していた病院は建てられたのが古く、4月に耐震にするため建て替えの予定だったそうです。


その直前にあの地震。


入院患者は、地震後、病院の建物が崩れるかもしれないからとベッドのまま建物から出されたそうです。


でも震災のその日は雪でした。


どれだけ寒かったろう。


そこから体調を崩し転院したが亡くなったと。



気持ちの整理はなかなかつかないけど




この震災を忘れないこと、それが私たちにできることの1つでもあるのかなと思っています。







東日本大震災で亡くなられた方々の

ご冥福を心からお祈り申し上げます。