![5回だけ使えるどこでもドアと100万円どっちが欲しい?](https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif)
今ならどこでもドアを選んで叔母に会いに行く。
節電しようと、コンセント抜きから始め、暖房もなるべく付けず、湯沸かしを使わなかったりblogを書くのもお休みしてました。
被災地の状況が知りたいのでテレビだけは見ていたのですが…
現場を見ても
原発で戦う方々を見ても
涙が出ます。
叔母、従兄弟達の家が全て流されてしまっていました。
未だに連絡はつきません。
精神的にきていたのか、些細なことで旦那さんと喧嘩になりました。
家にいたくなくて母に電話して「今日は実家に泊まりに行きたい」と言うと
(本当に喧嘩した内容がどうでもいいような事なので)「あなたが謝りなさい。お母さんは宮古にいたから帰りたくても帰れなかったのよ、喧嘩したからってウチに帰りたいなんて言わないで!お母さんは色々苦労してきたからあなたには同じ様になってほしくない。」
(今は東京ですが、当時は東京から岩手に嫁いだ母)
そう言って泣き出してしまいました。
いつもなら、こんな事では泣かない母が泣いている。
正直、驚きました。
そしてすぐに後悔しました。
考えてみれば、震災のショックは私とは比べものにならないよね。
住んでいた宮古、釜石が津波にのまれた。
親族の家も跡形もなくなくなった。
母の方が何倍も不安定だった。
「お願いだから仲直りしてね」
と、泣きながら言われ電話を切った。
母に泣かれ私も涙が出てた。
数分後、今度は母から電話。
「今日、夕飯何作るの?」
「シチューだよ」
「じゃあハンバーグ作って差し入れしてあげるね」
そう言ってハンバーグを作ってきてくれた
うちに来た母はとりわけ明るく振る舞っているように見えた。
私がシチューを作っている間に旦那さんと談笑して、安心したのか嬉しそうにベビたんをあやして帰っていった。
こんな時に心配かけてごめんね。
このままの気持ちじゃいけないなと思いました。
沈んでたって何もいいことないよね。
戦争に負けたって、阪神淡路大震災にあったって
いつだって日本は立ち上がってきたと誰かが言ってた。
メソメソしてたら、立ち上がれない、前に進めないよね
不屈の精神
被災者を支える立場である私達が元気を出さなきゃ。
これからは、できる限りいつもどおりの更新にしていきたいです!
※喧嘩後なのに「叔母さんと連絡取れて避難所の生活が辛かったらウチに来てもらっても構わないからね」と言ってくれた旦那さん
本当に頭が下がります。
ありがとう。