電車男のヒット以降、ぽちぽち2ちゃんねるのスレッドやブログが書籍化されるようになった。気づかなかったがさっき読み終わった「カーチャン…」という本も2ちゃんねるのスレッドがもとの本。
「カーチャン…」は成人前後の2ちゃんねらーがなかなか口に出せないしもちろん母親へも言ってないだろう感謝や懺悔のメッセージを書き込んだスレッドから集められた1篇1~3ページで終わる短編文集なんだけれど、
これがかなり良い。
どんな境遇でも身近なテーマであるためか、知らない人の話なのに自分のことのように泣けたり、ほのぼのしたり共感できる面がたくさんある。
思えばみそにも20歳頃の母親の一言からまるっきり口をきかなくなった時期があった。
絵を認められGデザイン職に就いたことがあったが生真面目かつ頑固な田舎の両親には仕事ではない生活はできないと言われ理解してもらうのに苦労したが、なんとか説得してその職についた。その数ヶ月後、会社倒産した。
そして原因はその日に連絡したときの母親からの一言だった。元々は両親とも反対だったのだが母親は父親より先に理解をしてくれて一緒に父親を説得してくれた。大きな挫折感にどうしたらいいかも分からず母親に現状を報告をしたが
「だからお母さんはそんな職業反対だったのよ!!」
励ましや慰めの言葉が欲しかったのではないが、まさか理解してたと思っていた母親からこんな言われ方をされるとも思わずカチンときて口ゲンカの末、決別を決心。
それから連絡をとらず電話がかかってきても無視、間違って電話に出てたり帰省せざるをえないときも口はきかず無視し続けた。じーちゃんが死んで親族が集まったときも両親とは会話を交わさなかった。亡きじーちゃんには悪い事をしたと思う。
2年位して母親から絵ハガキがくるようになった。電話で連絡がとれなかったからかもしれない。お手製の水彩画入に、健康の気づかいや最近の話が添えられて毎月毎月送られてきたが読むことはなかったし、デザインの仕事に理解しなかった親が絵を送ってくる神経がわからなかった。
地元に用事があって帰ってもこっちが話かけるわけがない。昔から口数の少ない父親はほとんど喋りかけてくることはなかったが、ドキュメンタリーとかニュース番組しか見ないのにデザイン系の番組に気づくと見るようになった。話のきっかけを作りたかったのかもしれない。対照的に母親はお構いなしにひたすら明るく話しかけてきた。どれだけ無視しても明るい。母親の強さというものなのかと思いながらも無視をした。
さらに経ち当初から8年が経った。仕事が忙しくまともに自分のことも最低限しかやってなく、帰宅すると封書が母親から来ていることに気がついた。いつもは絵はがきなのだが茶封筒で差出しからかなり日が経っていた。相変わらずみそあてに色々書かれていたが最後に父親の還暦があるため何かしたいということが書かれていた。この一文には衝撃を受けた。
…もうそんな歳なのかと。
急に親が100歳まで生きたとして、年1日しか会わないとしたら40日しか、たった1ヵ月ちょっと分しかない会えないのだと思ったら育ててもらって何もしてない自分に罪悪感を感じ、無視されつづけても明るく話しかけてきた母親に申し訳なくなって涙がでた。
今は還暦をきっかけに昔のように両親と会話をするようになった。母親には言っていないが空白の8年前を埋めたい思いでいっぱいである。
本に興味のある人は「カーチャン…」という名前頼りに探してください。
「カーチャン…」
あおば出版(http://www.aoba.biz)
「カーチャン…」は成人前後の2ちゃんねらーがなかなか口に出せないしもちろん母親へも言ってないだろう感謝や懺悔のメッセージを書き込んだスレッドから集められた1篇1~3ページで終わる短編文集なんだけれど、
これがかなり良い。
どんな境遇でも身近なテーマであるためか、知らない人の話なのに自分のことのように泣けたり、ほのぼのしたり共感できる面がたくさんある。
思えばみそにも20歳頃の母親の一言からまるっきり口をきかなくなった時期があった。
絵を認められGデザイン職に就いたことがあったが生真面目かつ頑固な田舎の両親には仕事ではない生活はできないと言われ理解してもらうのに苦労したが、なんとか説得してその職についた。その数ヶ月後、会社倒産した。
そして原因はその日に連絡したときの母親からの一言だった。元々は両親とも反対だったのだが母親は父親より先に理解をしてくれて一緒に父親を説得してくれた。大きな挫折感にどうしたらいいかも分からず母親に現状を報告をしたが
「だからお母さんはそんな職業反対だったのよ!!」
励ましや慰めの言葉が欲しかったのではないが、まさか理解してたと思っていた母親からこんな言われ方をされるとも思わずカチンときて口ゲンカの末、決別を決心。
それから連絡をとらず電話がかかってきても無視、間違って電話に出てたり帰省せざるをえないときも口はきかず無視し続けた。じーちゃんが死んで親族が集まったときも両親とは会話を交わさなかった。亡きじーちゃんには悪い事をしたと思う。
2年位して母親から絵ハガキがくるようになった。電話で連絡がとれなかったからかもしれない。お手製の水彩画入に、健康の気づかいや最近の話が添えられて毎月毎月送られてきたが読むことはなかったし、デザインの仕事に理解しなかった親が絵を送ってくる神経がわからなかった。
地元に用事があって帰ってもこっちが話かけるわけがない。昔から口数の少ない父親はほとんど喋りかけてくることはなかったが、ドキュメンタリーとかニュース番組しか見ないのにデザイン系の番組に気づくと見るようになった。話のきっかけを作りたかったのかもしれない。対照的に母親はお構いなしにひたすら明るく話しかけてきた。どれだけ無視しても明るい。母親の強さというものなのかと思いながらも無視をした。
さらに経ち当初から8年が経った。仕事が忙しくまともに自分のことも最低限しかやってなく、帰宅すると封書が母親から来ていることに気がついた。いつもは絵はがきなのだが茶封筒で差出しからかなり日が経っていた。相変わらずみそあてに色々書かれていたが最後に父親の還暦があるため何かしたいということが書かれていた。この一文には衝撃を受けた。
…もうそんな歳なのかと。
急に親が100歳まで生きたとして、年1日しか会わないとしたら40日しか、たった1ヵ月ちょっと分しかない会えないのだと思ったら育ててもらって何もしてない自分に罪悪感を感じ、無視されつづけても明るく話しかけてきた母親に申し訳なくなって涙がでた。
今は還暦をきっかけに昔のように両親と会話をするようになった。母親には言っていないが空白の8年前を埋めたい思いでいっぱいである。
本に興味のある人は「カーチャン…」という名前頼りに探してください。
「カーチャン…」
あおば出版(http://www.aoba.biz)
