5月29日水曜日、お昼に沖縄到着。

沖縄に住む友達も東京旅行からの帰りで
私の20分後に那覇空港に着陸。

私、1人だったらせっかくだし待ちたかったけど


旦那もいたし待たずにレンタカーを借りて
目的の観光場所に出発花


今回、沖縄旅に来たのは

私が持つ戦争への関心からなので

戦争跡地や資料館などにどうしても行きたかった。

戦争経験者が年々、歳をとりいなくなってる。

昔みたいに生の声で経験を聞ける機会はほとんどない。

私のおじいちゃんは戦争のときは子供だった。

疎開したり食べ物や物が無かったくらいで

それほどひどい地域じゃなかったから。と言って

戦争については話すほど知らないそう。



まずは、沖縄平和祈念資料館に行った

美しすぎる良い場所。

緑が綺麗だし、青い空と青い海が見えて

本当にここは修学旅行で初めてきたときから

大好きな場所。






平和の礎にあるお名前を見ながら歩いて資料館へ向かう。

カマドさん、ウシさん、など聞き慣れない

カタカナのお名前がたくさん。

あとで意味がわかりました。


平和祈念資料館の中では、

まずは琉球王国の時代から学べた。

太平洋戦争での日本のファシズム化を学び

日本がアジア統一のために

外国や沖縄で日本語を学ばせたりしていた映像が見れた。

沖縄の読みにくい名前の人は

大和人のような名前に改名させられ

沖縄の方言は禁止させられ

いよいよアメリカが沖縄に入ってきたときには

日本軍から県民は兵隊やら看護婦やら

使える人は軍につかわされた。

家族は疎開やらでバラバラに引き離された。

家を無くした県民が

ガマや墓などに身を隠していても

日本軍がきて場所を奪われた。

わずかな食糧も奪われた。

日本軍に刺されたり

絞められて殺された、との証言がたくさん。

とにかく軍事優先で県民は蔑ろ。


ある父親は一家で自決しろと言われ

妻子を殺してしまい自分も死のうとするが

上手く死ねず人に殺してくれとすがりついた。


あるガマでは県民の5歳ほどの男の子が母親を探していた。

ガマにいた日本の軍人が

「黙らせないと敵に見つかる」と言い縄で男の子を締め殺した。

この証言をした人は締め殺すところは恐ろしくなり目を逸らし見なかったそう。


生存者の証言、全部丁寧に読みたかったけど

他に修学旅行の学生さんらもいて

全部を読むことはできなかった。

なるべくたくさんの証言資料を読ませてもらったが

同じ日本人として悲しくなる内容だった。


その悲しみの理由の中に

これらの大事な大事な証言って

私たち内地の学校ではほとんど習ってない。

第二次世界大戦といえば、

ヒトラー、空襲、原爆、沖縄、広島、長崎、とか

「戦争は絶対いけないと思った!」

「戦争はコワイ!」

みたいな感想が出るような内容で習う。


ヒトラーやムッソリーニの名前は習うけど

日本のファシズムっぷりは習わない。

習っていたとしてもサラッとしたもの。


それでいいのか?日本。


ヒトラーより、ナチスドイツより

その前に自国のヒストリーを正しく教育しない?


アジアの近隣諸国にしたこと、

残酷なことをしたこと、

逆卍時代の日本について反省の態度が見えない。


第二次世界大戦で世界中に被害を出したのに

世界中の被害者に失礼だと思った。


こんな国。

日本、素晴らしいか?


私の習った日本の第二次世界大戦と

外国人が認知してる第二次世界大戦って違って

恥ずかしい。


原爆を使ったアメリカは悪い。

だから世界からアメリカは非難を浴びたけど

日本はかなり悪いことしたのに

なんで日本人はそれを知らないの?

びっくりした。

ドイツは世界にドイツの罪を認め謝り

今でもヨーロッパで腰が低いし立場が弱い。

でも日本はどうした?


って外国人に言われた。


恥ずかしい。


ちなみにこのような内容でInstagramに投稿したら

消された?のか、文字がない状態の投稿になり

不自然なことが起きた。