ネット上に掲載されている小学生のプロフィールがやばいと2ちゃんねるで話題となっているそうな。
それはあるサークルのメンバーでほとんどが小学生高学年。
そしてその多くの女子が、髪を染め、化粧をし、眉毛を剃っているというのだ。
俺は別に髪を染めようが、化粧をしようが、眉毛を剃ろうが、整形をしようが、そんな事で内面はわからないし自由にしたら良いと思っている。
ただ問題なのがプロフィールの内容だ。
今一番欲しいものは「金 金 金 げんつき 彼氏」、口癖は「は? つーか なんなんけ だるい しねやくそ」、世界平和に必要なのは「たばこ 友情 携帯」などと解答している者もいる
これを見て日本は終わったと思う大人は俺だけじゃないだろう。
ネタで書いているなら構わんが、世界平和で何故にたばこ?ってか小学生やろあんた?
なんというか甘やかされて育った人間の代表みたいな感じだ。
もしかしたら数十年後に「その時歴史は動いた」で特集されるかもしれない。
人類の黒歴史とかいうタイトルでね。
へたれです、こんばんわ。
俺が小学生の頃はファミコンをやったり、サッカーをしたり、鬼ごっこ、かくれんぼ、缶蹴り、などをして遊んでましたが、今の子供はルールを知っているんでしょうか。
さて病気についてですが前回は手術前までを書いたと思うので今日はその続きを。
手術は3月の初めに行われた。
内容は両方の折れた部分にボルトを入れる、という。
本当はこの1週間前に手術を行うはずだったのだが、手術前日にいきなりの高熱。
原因は胸に入れていたポートが感染してしまったらしい。
念のためにまた説明するがポートとは鎖骨の付近に入れた人工物の事。
これが鎖骨付近に入っている。
そしてその中心に針を刺して点滴をする。
これの利点は大量の点滴を入れても平気な事。
普通の人は腕から針を刺して点滴すると思うのだが、あれってたくさん入れてると痛くなってくるよね。
そういうのが無いし、通常よりずっと濃度の濃いやつを点滴する事もできる優れもの。
ただ難点はそのポートが感染すると即抜かなければならない。
そしてまた入れるとなると手術室へGOになる。
そのポートが感染してしまったのだ。
医大に来てから毎日ポートを使って点滴をしていたし、元々の寿命も2年ぐらいでそろそろ取り替え時だった。
次の日に鎖骨に埋めてあったポートを取り出してみるとすぐに熱は下がった。
そしてこの時に俺は障害者手帳申請の為の診断書を書いてもらうよう頼んでおいた。
で、1週間後の手術は無事終わり、数日間の痛みに耐えたら段々痛みは出なくなってきてホッとしていたら、1週間ぐらいして、
「じゃあもうすぐ前の日赤に移りますか」
てっきりここでリハビリとか色々するもんだと思ってたから少し焦ったが、これは俺にとって、何より家族にとって喜ばしい事だ。
俺が旭川医大に入院している間、母親がずっと居てくれたのだが、やはり環境ががらりと変わって結構しんどかったんじゃないかと思っていた。
そして1人家に残された父親は料理が全くできないから毎日仕事にコンビニの弁当を持って行き、前は毎日母親の弁当だっただけに栄養もロクにとれなかっただろう。
更に毎週、必ず日曜日には旭川医大まで見舞いに来てくれた。
峠を越えて片道2時間もかけて、雪の道を。
俺の顔がみたいと言ってやってきてくれるのは本当に嬉しかった。
それでも毎週片道2時間は辛かったみたいで俺が日赤に移る頃には体調も結構しんどかったらしい。
迷惑ばかりかけて申し訳ない。
もう父親は還暦を迎えているし、母親ももうすぐ還暦を迎える。
なんとしても親孝行しなければならないだろう。
考えているのは株で少し儲けて温泉旅館にでも行ってほしいと思っている。
それと転院前に頼んでおいた診断書を受け取った。
申請書類には2級と書いてある。
これは障害者手帳について医師に相談したときに言われたのだが、
「3級ならずっと更新無しで持ち続けられますが、2級にした場合は2年に1度検査を受けてその都度更新しないといけません、もし症状が改善して歩けるようになったら手帳は返還しないといけませんがどちらがいいですか?」
こう聞かれた。
実は2級と3級ではかなり大きな差がある。
最も大きな違いは障害年金がもらえるかどうかだろう。
2級なら毎月7万円近くもらえ、3級なら1銭ももらえない。
あまりに極端である。
俺は迷わず2級でお願いします!
と即答した。
ま、何より金がほしかったんよね(汗)
たとえ2年で更新だとしても返還すると決まったわけじゃないし、演技力で乗り切れそうな気もする。
障害者手帳の話はこのへんにして日赤に転院の話に戻るが、転院の際も救急車を利用。
日赤に移ってまず、治療方針というか主治医が決定。
骨に関しては前に診てもらった整形外科の先生だったんだが、栄養が落ちている点を治療するには内科の先生に診てもらわなければならない。
が、哀しいかな今年の3月に俺が通う日赤の内科が閉鎖された。
医師が全員辞めたのだ。
なんか上と揉めたらしい。
そんな事患者には関係無い事で、患者はさまようゾンビの如く右往左往しなければならない。
で、俺を担当してくれたのは何と麻酔科の先生。
しかもこの病院の副院長である。
看護婦さんの話を聞くと「麻酔科の先生っていうのは全部の科に詳しくて、信用しても大丈夫だよ」
ホントかどうかは知らないが気さくな先生で話しやすい人である。
体調が悪くなったら夜中でもかけつけてくれるし。
ただ色々な処置の腕が多少悪いような気もしないでもない。
もちろん本人にはいえないが、旭川医大で抜いたポートを日赤でこの麻酔科の先生に入れてもらったらまさかの3日後感染だったし。
今度はばっちしだ!って言った2回目のポートも3週間程度で感染したし・・・
まぁこれは腕の問題じゃなく俺の体の免疫力が低い事に問題があるのかもしれないが。
で、この先生の治療方針を言われて俺は耳を疑った。
「できるだけ食事をとってください、それが一番良いと思います」
???
医大では確か「ほぼ絶食宣告」を受けたはずなのだが・・・
ちゃんと引き継ぎがされているのか心配になってくる。
こう言われても俺はほとんど食事をとらなかった。
とれば下痢になると思っているからだ。
入院前も下痢が続いていて食事前にトイレに行き、食後すぐまたトイレに行くような状況もたまにあったし。
なかば食に対して怯えていた、感じ。
で、当分は高カロリー輸液を首の所にいれたカテーテルから流していた。
このカテーテル、ポートと違って入れるのは楽なんだけど長く持っても1ヶ月ぐらいで交換しないと駄目だから結局はポートを入れる事になる。
その後は何週間か安静状態が続き、骨がある程度くっついてくると、いよいよリハビリ。
といっても初めのほうは車いすに乗ったまま両足の筋トレ。
くっつき度が100%に近づくにつれ、平行棒になっていった。
しかしリハビリが順調だと思ったら足がむくんできたり、血栓ができたり、輸血をしたり・・・
そのたびにリハビリは中断され筋肉は落ちていって退院が長引いていく。
それでも8月には1回だけ外泊をした。
もちろん杖を使っての歩行だが、3日間ほど6ヶ月ぶりの我が家でのんびり過ごすことができた。
そして病院に戻り、治療・リハビリが再開され、順調にいくかに見えた。
が、ついてないというか呪われてるというか、3回目のポートを入れ、2週間。
また感染orz
今回は外科の先生がやってくれるとの事で安心していたのにまさかである。
感染したかしないかは一発でわかる。
感染するといきなり前触れも無く寒気が襲ってきて熱を測ると大抵38度以上はある。
そしてまたポートを抜くために手術室へ行く羽目になってしまった・・・
もちろん熱が下がり体調が安定するまでリハビリは中止。
再びカテーテルを入れ栄養補給などをして結局1ヶ月以上は休んでいた気がする。
そして11月、俺はある決心をする。
「無理してでも食事をとってみよう」と。
長くなったのでまた次回に続きを書きます。
