以前、ヤフオクで中古のニンテンドーDSを買い、それが不良品で返品返金を要求しているというのを記事に書いたが、その返事が先週届き快く返品に応じてくれるとの事。
なので金曜日に発送し、今日相手方に届いた様で、LボタンRボタンが機能しない原因は、
「分解してみたらゴミが接触不良を起こしていた、出品時に確認をとって正常動作だったが、その時はたまたま干渉しなかったのだろう」
とのこと。
何はともあれ明日返金してくれる事になり一安心のへたれです、こんばんわ。
ゲームにしろパソコンにしろ中古で買う際は気をつけましょう。
相手が誠意ある対応をしてくれる人ならいいのですが、中にはそうじゃない人もいますので。
さて、前回は高1の時に1度入院したってとこまで書いたと思うので今日はその続きをば。
高校時代は1度入院したが、たいした症状も無くすぐに退院できた。
それよりも、高校時代は体に鞭打ってたなぁって今にして思う。
体調が良いと色々やりたい事も増えたり人と遊んだりしたかったり、願望がでてきます。
それが一気に爆発した感じで過ごしました。
原付の免許を学校に無断で取って没収&3日間の停学くらったり、コンビニでビールパクって無期停くらったり、毎日のように夜、先輩の家に遊びに行って朝帰りしたり、近くの公園のバーベキューハウスの壁ぶちこわしてしまったり、ヤクザに追っかけられたり・・・etc
・・・
馬鹿の極みというか何というか、体調が良いから調子こいてた、というか。
けどそれぐらいはっちゃけても体調は悪くならず。
その後、高3で免許を取り大学も推薦入学で入り、通学の為に中古のデミオを親に買ってもらった。
この頃も特に体に異変は無かった。
だから結構無茶もしたくなる。
車を持った事により移動範囲が広がって、2日で1000km走ったり、ナンパした子と心霊スポットに行ったり、結構えんじょいしていた気がする。
そのまま大学1年は優等生で過ごし、2年目に入る。
ここで遂に病魔が鎌を持って姿を見せ始めた。
初めは食欲があまり湧かなくなってきて朝飯を抜くようになった。
これは単純に朝起きられなくて遅刻しそうになるから抜いてた可能性もある。
ただこれが良くなかった。
みるみる体調が悪くなり、ちょっと病院で検査をしてもらう事に。
検査の結果は、
全体的に必要な栄養分が人の半分しか無いですね。
と言われた。
1番初め入院した時に、
「腸に水ぶくれがあるということは物を食べてもなかなかうまく吸収されません。だから食事には気をつかってください」
そんな事を言われたなぁとこの時思った。
足りない栄養分の中でもカルシウム、ヘモグロビン、タンパク質が全然足りて無くてこの日はアルブミンを点滴して帰った。
その後も月1ペースで病院に通っていたが、それが週1ペースになり、週末入院でアルブミンを打って帰るっていう治療方法になり、しまいには左の鎖骨付近からポートといわれる人工物を入れ、自宅で点滴をしないか?と言われるようになり・・・
どんどん悪くなっていったが、それでも俺は今まで体調が良かったんだからまた良くなるさ!っていう訳のわからん根拠で拒否していた。
が、そんな我慢も長くは続かないわけで・・・
ある日起きると両手両足が痺れるというか、攣るような感覚に襲われる。
この攣るような感覚はカルシウムが足りないせいで前からしょっちゅうなっていたのであまりきにしなかった。
しかしこの日はレベルが違った。
ソファで休んでいても一向に良くならない。
母親がパートから帰ってきて、
「どうしたの?」
って聞いてきたが呂律が回らなくて喋れない・・・
口をパクパクさせてるとさすがに異変に気づいてくれたのか、救急車を呼んでくれた。
生まれて初めての救急車だがほとんど記憶に無い。
ただ救急車が来たら野次馬が集まって来たっていうのは覚えてる。
ウザイったらありゃしない。
更に俺は直接日赤に行ってもらえると思ったら、まさかの地元にあるちっちゃい病院。
1回も受診した事無い病院より俺が通っている病院のほうが100%治療もスムーズに行くはずなのに、後で聞いたら規則で、まずは地元の病院に入らんといけんらしい。
ずいぶんと訳のわからん規則である。
その後、地元の病院から日赤の主治医に電話してすぐ来てって事でまた救急車で移動となった。
かなりのタイムロス。
日赤についたらすぐに主治医が来てくれて必要な点滴をしてくれた。
効果はすぐに現れ、事なきを得た。
んで、その入院中にとうとう言われてしまった。
「ポート入れないと帰れませんよ」
こんなはっきりした言い方じゃないかもしれないが、こっちに拒否権は無い感じのしゃべり方だった。
そしてポートを入れた俺だったが体調はあまり改善せず・・・
というかむしろ悪くなってる感じだった。
自宅での点滴は自宅用の点滴セットみたいのを借りて、自分で毎回鎖骨のところのポートめがけて針を刺さなければならない。
この針を刺したり準備したりするのが面倒で結構サボったりしていた
更に点滴は2000mlとかなりの量があり、結構な早さで落とすから心臓に負担がかかるみたいでこの頃は100m歩いたら一休みみたいな、まさに老人になっていった。
だいたい同じ頃に病院で関節の節々が痛いという事を告げると骨密度検査というのをやってもらう事になった。
結果はなんと、
あなたの骨年齢は70代です
(゚д゚)!
どうりで節々が痛いはずだ。
文句なしの骨粗鬆症、転んだだけで全身骨折である。
それでも病院には毎週点滴を受け取りに行かなければならないし・・・
こういう事もあって大学はほとんど行けなくなってしまい3年の初め、遂に退学届けを提出した。
年間100万ちかくも出してくれた両親に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それに、退学届けを提出したからと言っても体調が良くなるわけもなく、その後も一向に改善が見られず、次第に点滴を受け取りに行くのも母親にやってもらうようになった。
俺は1日中、布団の中で過ごし、起き上がるのはトイレと食事、それと風呂は2週に1回ペース。
不潔と言われるかもしれないが、それぐらい動くのが辛かった。
が、それでも入院はしたくなかった。
入院したら二度と出てこれないんじゃないか。
という不安があったからだ。
まさに死人、廃人である。
そして今年の2月事件は起こった・・・
長くなったんで続きはまた次回。