休みの日はひたすら母の話に付き合うことになる。起きている間ずっと話をしている。
仲のいい母娘というわけではない。
喋るのをやめない母に付き合うしかないからだ。
昔母は仕事ができる人間だった自慢
足が速かった自慢
頭も良く学年一番だった自慢
難しい試験に受かって公務員?だった自慢
町の職員より給料が良かった自慢
父に見そめられて、強引に結婚して仕事をやめなければならなくなったことなど。
この辺までは幸せだったのだと思う。
父と結婚してからの話は忙しすぎて覚えていないらしい。父が店をやっていたので事務仕事やレジを手伝っていた母。祖母にいじめられ?夕飯も父の弟に食べられてしまい、何もなかったこともあるらしい。お手伝いさんがいたが、うまくいかず、やめられてしまい、私たち姉妹が小学校4年から12〜3人分の夕飯を毎日作るようになったことはかろうじて覚えていたが、私たちをぶってばかりいたことは覚えていない。
「洗濯物を畳まなかっただけで、ぶん殴られて、柱に頭を打ちつけたこともあったよ。」
と言ってみたら、
「あっそう❓なんでそんなにぶったんだろうね❓私はおまえばかりいじめたの❓」
と聞いてくる母💦
姉も私も2人とも殴られたけど、姉の方が要領良かったから、母の機嫌をとって逃げるのはうまかったと伝えた。
どれほどひどい親だったか、ネチネチとわからせてやろうかとも思ったけど、明日には忘れるだろうからやめた。
そんな昔話の中で、祖父の話になった。私は小学校2年まで祖父母に育てられた。喘息がひどく入院してばかりだったからだ。車で5分のところなので、双子の姉とは毎日会えた。祖父は優しく、人間として本当に尊敬できる人だった。
リュウマチの祖母の看病を献身的にしながら、私も育ててくれた。怒られたことはない。
大好きだった。人間一生勉強だと、英語も中国語も華道も書道も退職してから始めた。
そんな祖父が亡くなった時、私は父の葬儀の時より、泣き、ボロボロになり、ご飯も食べられなかった。そんな私に母が言ったことが、
「あんな親父でも、若い頃は外に愛人が5人はいて、おふくろさんを泣かせてたんだよね。」
⁉️‼️😳😱
その時から私の中で祖父の思い出が崩れた気がする。祖父は若い頃やんちゃだったから、祖母に尽くしたのだとか思い込もうとしたけど、所詮男なんてどいつもこいつもという思いが植え付けられてしまったと思う😥
そのことを最近もう一度母に聞いた。
そしたらなんと😳
「なーに言ってんだァ?馬鹿かぁ?あんな田舎でそんなことできるわきゃない。すーぐウワサになるじゃ。それに、おばあちゃんの実家はお寺だよ?そんなことしたら許されないだろ。まぁおじいちゃんはハンサムだったから、モテたけどね。」
「へっ⁉️じゃあなんでそんなこと葬儀の後私に言ったの⁉️」
「冗談だァ」
…
性格悪すぎるだろっ‼️
祖父の思い出が蘇りました。
やっぱり祖父は立派な人だったんだ😌
ボケた母だけど、この言葉は信じようと思います😌