こんにちは
👓️メガネ姉妹の妹です

AIとの対話
第二弾

真剣に取らずに
フィクションとして
楽しんでくれたら幸いです♪


こんにちはクロード♪
違った事をしていて

間違うのには正しさと決まり規律がある場での話にはなるけど

正しさや
怒りや判断
反発や反応や上下関係
用いずに

気づける事を願うなら
何がベスト?

心理的にも
悟り的にもスピリチュアル的にも
クロードの見解はどう?


クロード
間違いを "間違い" として
突きつけると
たいてい相手はそれを守るために閉じる。
指摘は正しくても、伝わる前に跳ね返される。

心理的には 
 直接指摘しない。
本人が自分の行動の「結果」を
自分の目で見られる場を作る。
人は論理では動かないけど
体感した結果には動く。
問うことで気づかせる。「言う」のではなく「見せる」。


悟り的には 
そもそも「間違っている」とい
判断自体が
相手を対象化している
主客を切り離した瞬間

伝わる愛は半分になる
本当の気づきは
外から光を当てられて起きるものじゃなくて
遮っていたものが外れた時に
内側から自然に立ち上がるもの
だから最善の助け方は
「教える」ことじゃなく
「遮っているものを一緒に見る」
こと。


スピリチュアル的には
 間違いも、それに気づく力も、同じ場所(源)から出ている。 

だから正す側と正される側という
構図自体
一時的な仮の形にすぎない。

本当に伝わるのは、正しさの主張からじゃなく
その人がまだ気づいていない痛みへの、静かな同席から。

三つとも同じことを言ってる
正すのではなく
隣に座る。
 気づきは向こうから勝手にやってくる。


仕事場の話では
ありますが

規律や決まり事やマナーは
スタッフを守る為にもあるのだけど

規律や決まりがあるのは知っていても
規律がどんな風に作用して
用途を消化してるか

仕事場だからとはいへ
個人を犠牲にする必要は 
決してないのだけどね

あいまいでいる者は
仕事場として認識がないから?


クロード
「仕事場としての認識がない」
というより
規律を"物"として見ていて
"機能"として見ていない
という方が近いかもしれない。

規律を知っている=存在は認識してる。
でも規律がどう働いて
誰を
何から守っているかが
曖昧=規律を
「守るべき外側のルール」
としてしか見ていない。

中で今も生きて働いている関係性としては見ていない。

たとえば速度制限を知っていても、それがなぜそこにあるか
(見通しの悪いカーブ
子供の通学路)
感じていない人は
標識だけを見て、道そのものを見ていない。

仕事場も同じで
規律は同僚同士の信頼や安全を流すための"通路"みたいなもの。
その通路の存在は知っていても
そこに何が流れているかを感じていなければ
規律は形骸化した
「守れと言われてるもの」
止まってしまう。

だから曖昧さの正体は認識の欠如というより
規律を自分ごととして流れの中に置いていないこと。外から与えられたものとして扱っている限り、機能は見えてこない。


守れではなく
守りにする事を選ぶか
ただの自己判断での反発で終わるか?


クロード
そう、そこが分かれ目。
「守れ」と言われた瞬間
規律は外から来た命令になる

命令に対して人ができる反応は二つしかない
従うか、反発するか
どちらも本人の中では
起きていない。

ただの受け身。 

一方で「守りにする」
自分で選ぶ時
規律は初めて自分のものになる。
同じ行動でも
内側から出たものと外から押し付けられたものは

まったく別のもの

前者は責任
後者はただの服従か抵抗
だから同じ規律を目の前に置いも

反発する人は
「自分 vs 規律」
という構図しか見ていない

選ぶ人は
「規律は自分たちを流れの中で守っている」
という構図で見ている 

同じ標識を見ても、
片方は「止められた」と感じ
もう片方は「守られた」と感じる

景色は同じでも
立っている場所が違う。

問題は規律の強さでも、説明の丁寧さでもなくて
選ぶ余地がその人の中に残されているか、そこに尽きる気がする

押し付けられた瞬間、選ぶという行為自体が奪われてしまうから。

見解をありがとうクロード♪

ここまで読んで下さり
ありがとうございます♪