昨年の5月中旬頃

母が体調を崩した

熱が出て風邪のような症状だったようで

かかりつけの内科を受診した

処方された薬を飲みきっても体調が変わらなかった

熱が出たり下がったりを繰り返した

5月末

我慢出来ないほどの腹痛で救急車を呼ぶ

元々肝臓が悪く

定期的に通っていた市立病院へ

救急搬送された

午前中、父から連絡があり

検査の結果、腹部に

見たこともないくらいの巨大な腫瘍がみられるので

緊急で切除手術をすると言われた

直ぐに車を飛ばして病院へ向かった

うちからは1時間ちょっと

病院へ着くと父が震えていた

母はすでに手術中だった

昼頃、妹が駆けつけた

兄からは「行ったほうがいい?」とラインが来た

結局その日、兄は来なかった

兄は意識の無い母へ

花や果物の話などラインでメッセージを送っていた

母のスマホを持っていたのは父で

そのメッセージを見た父は怒っていた

夕方5時頃手術が終わり

担当医から説明があった

切除した腫瘍と脾臓、胃の一部を見せてもらう

腫瘍は赤ちゃんの頭くらいあった

その日はチラッと母の顔を見て帰った

次の日、父と面会へ行った

母は無事だった

それから幾日か経ち

6月

順調に回復して2週間ほどで退院した

帰宅した母は比較的普通に暮らしていた

横になっている時間は少し増えたが

歩いて買い物に行ったり

料理を作ったり…

定期的な診察も特に問題なく通っていた

が、ひと月ほどして

切除した腫瘍の病理検査の結果が出た

悪性膵癌だった

飲み薬の抗がん剤の服用が始まる

それからしばらくして

8月中旬頃

食欲不振と吐き気に襲われる

また腫瘍が大きくなってきていることがわかった

腫瘍が胃や十二指腸を圧迫しだしていることがわかった

再入院

胃バイパス手術

回復退院

高熱で震える

救急搬送再入院

9月

細菌感染が原因での発熱

食欲不振や嘔吐が治まらず

点滴で様子をみる

いつどのタイミングだったが忘れてしまったが

抗がん剤治療が難しいことや

もう治療の手立てがないこと

肺に影があること(多分肺がん転移であること)

など担当医から告げられ

緩和ケアを勧められる

緩和ケア転院に向け

肩にポートをつくる手術を予定するも

体調が整わず先延ばしになる

そのまま体調が悪化していく

尿が出なくなり

浮腫がひどくなる

尿道カテーテルを入れてもらい尿は出るようになるも

どす黒かった

9月末午前10時頃亡くなる

亡くなる前おそらく最後に食べたであろう物は

梅干し

ガリガリ君ソーダ味が食べたいと言っていたが

叶わずでした

母に関しては常に父が付き添いや判断をしていました

何かあるたびにラインでの連絡がきました

一緒に住んでいれば…

一緒に住んでいなくても

せめてもっと近くに住んでいれば

もっと力になれたのでは?

と…

母を病室で看取り

霊安室へ

葬儀屋さんへ連絡し

葬儀屋へ移動

葬儀打合せ

数日後、通夜と葬儀

火葬場へ

火葬、精進落とし…

本当に悲しむ暇もなく

やらなくちゃいけないことが次から次へと

実感のないまま過ぎていきました…

その後も大変な日々はまだまだ続きます

それはまた今度…