4月26日(金)

朝、次男を中学校へ送り

実家へ向かう

実家近くに借りてる駐車場で待機

父が車で現れる

父は車を駐車場へ止め

私の車に乗り込む

行きつけのスーパーへ向かう

約1週間分の食材とお昼ご飯を買って実家へ

今日の本題は遺産分割協議書への署名捺印

4枚書いて実印をついた

この為に私は実印を作り

印鑑登録をした

一生に何回使うんだろうか?

私なんて無職の専業主婦が実印や印鑑証明なんて

使ってあと1、2回ってとこじゃん

しょーがないけど

もったいなーい

とか思いながらも

ローズクォーツのピンクでかわゆい印鑑を作った♥

ここのところよく使うから

ダイソーで買った印鑑マットと朱肉を

持ち歩いていたが

父の立派な朱肉は干からびかけていたので

¥220渡され奪われた💧

お昼は寿司6貫と小うどんのセット¥400くらいのやつ

御馳走になりました

お昼ご飯を食べながらワイドショーを観ながら

父の愚痴を聞きながら…

温暖化、物価高、戦争などなど

わかるよ

けど

何を言ってもどーしょーもないことばかり

毎度毎度聞くのも疲れる

夕方、次男にお迎えも頼まれていたので

早目に撤退しましたとさ

GWなんにも気にせず

ファミリーエンジョイしたいわ〜

昨年の5月中旬頃

母が体調を崩した

熱が出て風邪のような症状だったようで

かかりつけの内科を受診した

処方された薬を飲みきっても体調が変わらなかった

熱が出たり下がったりを繰り返した

5月末

我慢出来ないほどの腹痛で救急車を呼ぶ

元々肝臓が悪く

定期的に通っていた市立病院へ

救急搬送された

午前中、父から連絡があり

検査の結果、腹部に

見たこともないくらいの巨大な腫瘍がみられるので

緊急で切除手術をすると言われた

直ぐに車を飛ばして病院へ向かった

うちからは1時間ちょっと

病院へ着くと父が震えていた

母はすでに手術中だった

昼頃、妹が駆けつけた

兄からは「行ったほうがいい?」とラインが来た

結局その日、兄は来なかった

兄は意識の無い母へ

花や果物の話などラインでメッセージを送っていた

母のスマホを持っていたのは父で

そのメッセージを見た父は怒っていた

夕方5時頃手術が終わり

担当医から説明があった

切除した腫瘍と脾臓、胃の一部を見せてもらう

腫瘍は赤ちゃんの頭くらいあった

その日はチラッと母の顔を見て帰った

次の日、父と面会へ行った

母は無事だった

それから幾日か経ち

6月

順調に回復して2週間ほどで退院した

帰宅した母は比較的普通に暮らしていた

横になっている時間は少し増えたが

歩いて買い物に行ったり

料理を作ったり…

定期的な診察も特に問題なく通っていた

が、ひと月ほどして

切除した腫瘍の病理検査の結果が出た

悪性膵癌だった

飲み薬の抗がん剤の服用が始まる

それからしばらくして

8月中旬頃

食欲不振と吐き気に襲われる

また腫瘍が大きくなってきていることがわかった

腫瘍が胃や十二指腸を圧迫しだしていることがわかった

再入院

胃バイパス手術

回復退院

高熱で震える

救急搬送再入院

9月

細菌感染が原因での発熱

食欲不振や嘔吐が治まらず

点滴で様子をみる

いつどのタイミングだったが忘れてしまったが

抗がん剤治療が難しいことや

もう治療の手立てがないこと

肺に影があること(多分肺がん転移であること)

など担当医から告げられ

緩和ケアを勧められる

緩和ケア転院に向け

肩にポートをつくる手術を予定するも

体調が整わず先延ばしになる

そのまま体調が悪化していく

尿が出なくなり

浮腫がひどくなる

尿道カテーテルを入れてもらい尿は出るようになるも

どす黒かった

9月末午前10時頃亡くなる

亡くなる前おそらく最後に食べたであろう物は

梅干し

ガリガリ君ソーダ味が食べたいと言っていたが

叶わずでした

母に関しては常に父が付き添いや判断をしていました

何かあるたびにラインでの連絡がきました

一緒に住んでいれば…

一緒に住んでいなくても

せめてもっと近くに住んでいれば

もっと力になれたのでは?

と…

母を病室で看取り

霊安室へ

葬儀屋さんへ連絡し

葬儀屋へ移動

葬儀打合せ

数日後、通夜と葬儀

火葬場へ

火葬、精進落とし…

本当に悲しむ暇もなく

やらなくちゃいけないことが次から次へと

実感のないまま過ぎていきました…

その後も大変な日々はまだまだ続きます

それはまた今度…

4月15日(月)介護医療施設本申込

義母の介護認定の見直しの為、病院にて役所と施設の方との面談がある。午前中、叔父が付き添いをしてくれた。

私はパパと午前中役所へ行き必要書類を揃えてから、スーパーで昼夕飯の買い物をし、一旦帰宅。昼食を済ませ午後、介護医療施設へ必要書類を持って申込みをお願いしに行く。

帰宅後、施設から電話にて介護度2見込みですと連絡を受ける。

16日(火)介護医療施設契約

不足書類があった為、午前中再度市役所へ行く。

スーパーで夕飯の買い物、薬局で施設準備物の買い物…

昼食をはさみ、午後介護医療施設へ契約に行く。

午後1時〜4時までひたすら契約書へ署名捺印を繰り返す…

看護、介護、施設とそれぞれの契約書へ署名捺印。

最後に入居する部屋の破損箇所有無の確認をして署名捺印。

帰りがけNITORIで衣類ケースと折りたたみ椅子2脚蓋付きゴミ箱を購入する。

パパがカートの荷物を倒しそうになり、それを抑えるため私が転倒。荷物は無事、私は負傷アスファルトで手のひらがえぐれ血まみれになる。自己保身ばかりするパパにブチギレる💢先ずは私の怪我の心配しろよ💢

クソバカアホクソクソヤロウクソバカアホクソクソ💢

帰宅後も夕飯支度の心配ばかりする💢

離婚の危機からの大説教💢

子供らを巻き込むも私の完全勝利🎊

私がいなくなると義母が可哀想なので、しょうがないから許してやる💢

17日(水)施設入居の為の準備

NITORIでの購入品を車へ積み込み、パパ実家へ運ぶ。

タオル類、毛布、服、施設で使えそうなものをまとめる。

義母のパジャマや下着、入浴セット、身の回りの物の買い足しに行く。

銀行へ行く。

義母宅のタオル類、なんとなく洗濯乾燥したくて持ち帰る。

なんとなくね…

夜、義母の退院が19日に決まったと知る。

パパは仕事な為、私ひとりでの荷物搬入を頼まれる。

18日(木)実家〜父の銀行とスーパー買い物の付き添い

実家のお墓購入の為、住民票を用意し持って行く。

私は契約時、使用確認者(納骨責任者)

住民票は世帯全員、本籍地、続柄記載のもの。

父の年金記帳をしに銀行へ付き添う。

スーパーへ買い物付き添い。

昼食はお惣菜と海苔巻を御馳走になる。

義母の近況、介護医療施設の話、父の今後のことや兄や妹のこと亡き母との思い出話など色々話す。

兄弟の愚痴をやや怒り口調でしだすと父は悲しげに涙を流す。

泣かないでくれー

私が虐めてるみたいになるので私も辛くなる。

父は育て方の問題と自分を攻めるが、私は違うと伝える。

受け取る側の差だと思う。

性格は三者三様だよね…

帰りにまた来てねと言われる。

また行くよ(笑)

19日(金)義母、がんセンター退院→介護医療施設入居

施設へ荷物搬入をしに9時めがけて向かう。

台車を借りて部屋まで荷物を運ぶ。

駐車場と部屋とを3往復💦汗だく💦家具の設置、小物の配置、下着パジャマタオル類への記名をしながら義母の到着を待つ…

汗だく💦こっそり1時間だけ冷房を入れる。

がんセンターの退院手続きは叔父が行ってくれた。

義弟は仕事を中抜けして叔父と一緒に施設まで義母に付き添って来てくれた。

11時前頃施設に到着。

叔父は午後予定があると行って帰り、義弟は仕事へ戻る。

私は義母の訪問診療まで付き添う。

義母が施設へ到着してから

施設長、担当看護師、介護責任者、担当介護士、担当薬剤師と立て続けに挨拶に来てくれた。

皆さんとても優しくていい方たちばかり…ありがたいけど…あまりにも良すぎて逆に不安(笑)

看護計画と介護計画書へ義母と私の署名捺印をする。

12時昼食が運ばれてくる。

病院より美味しいと言いながらも食は進まず、ごく少量で終了。心配。とても美味しそうな昼食だったけどな。

私も今度食べさせてもらおうかな…

注文しておくと食べれるらしい。

1食¥300〜¥400ほど、是非食べてみてくださいと説明を受ける。是非是非今度ね♪

義母は食前と食後に服薬する。

それだけでもお腹いっぱいになるらしい。

みぞおちに痛みがくると更に服薬、その都度服薬を繰り返す…腹水のせいもあってお腹いっぱいで食欲がわかない。

2日前から点滴が外れているのでまた少し弱ってきている。

食べないから便秘気味と言い、薬と水分だけなので尿も少なく水便ぽい。

私もお昼食休憩で一度義母宅へ行く…

義母宅の冷凍庫の中の物をチンして頂いた。

薄手の毛布とタオルケット、パジャマを押し入れで見つけ持って施設へ戻る。

義母は鎮痛薬を飲んで少しウトウト💤していた。

私は静かに再び名前付けを始める。

薄ら眠いけど話をしたいようで少し小声で

お互いの話をしながら…思い出話をしながら…

こんなふうに実母とも時間を過ごしたかったなと思いながら…

私が縫ったケア帽子をとても喜んで早速かぶってくれた。

嬉しかった。

もっと色んな柄や素材で作るから…

少しでも気分転換になればいいな…

まだまだ生きていて欲しい…

辛いかな?ごめんね。

15時過ぎ訪問診療医と訪問看護師、担当看護師が来てくれた。診察、問診、採血、薬の説明。

テキパキと仕事をこなす。

iPhoneやiPadを駆使しながら記録をとっていく。

ドラマみたいだった。

どうやら、今年1月に亡くなった伯父(義父の兄)と昨年8月に亡くなった義父の緩和病院〜一時帰宅の訪問診療医師だったそうです。

伯父夫婦からいい先生だよと聞いていたようで、義母は少し安心したようでした。

腹水処置の出来る緩和対応医師です。

よくわかっていない義母へ腹水処置のメリットとデメリットを丁寧にとてもわかりやすく説明してくれました。

ちょっと苦しいからとちょいちょい腹水を抜いてしまうと、大切な栄養まで奪われてしまうこと。

一瞬楽になるだけで1日、2日後には体が怠くなること。

だからちょっとやそっとじゃ腹水は抜かないよ!

ちょっとスパルタ(笑)

摂れるときに好きなものを好きなだけ口にするようにと

笑顔で優しく言われました。

点滴を入れるかどうかは月の診療日(月曜日)に決めるそうです。

なんだか長い1日でした。

結局16:30頃まで施設へ居ました。

20日(土)施設へ冷蔵庫とテレビの搬入

実家のサブ冷蔵庫を処分したいと父が言っていたので、使えるじゃん!と思い、ゲッチューしに朝から実家へ行きました。今回は強力な助っ人2人(長男次男)をピッツァの食べホで釣って連れていきました❗

ランチ代を経費から出してもいいと、パパが許可してくれたので(笑) 父も私もそんなには食べれないのにピッツァの食べホ巻き添え参加でした(^_^;)

でも、久々に色んなピッツァを見て楽しかった♪

長男の食べっぷりと頑なにマルゲリータだけを食す次男、それを見ながら笑う父の様子はとてもかけがえのない時間に思えた。

ランチ後、実家で冷蔵庫を車に積み込む。

父は冷蔵庫が倒れないようにロープで固定してくれました。

お陰様で無事に施設へ搬入設置する事ができました。

テレビは義母宅から19インチほどのものを持っていった。が…リモコンを忘れていくとゆう凡ミス💦

次回面会時には忘れないようにしなくては…

仏壇横に飾ってあった家族写真を持っていったら、義父の写真と位牌、おりんも持ってきて欲しいと頼まれた。

また次回。

施設のスタッフ皆さん優しく接してくださること、食欲は無いもののフルーツのシロップ漬けを2欠片食べれたこと、午前3時まで眠れたこと、施設近所に住んでいる親友が早速お見舞いに来てくれたこと、義母宅の食品類を片付けて欲しいとのこと…

色々と話を聞いて撤退する。

早速、帰り道 義母宅へ寄り、冷蔵庫と冷凍庫の中の食料とお菓子類を持ち帰る。

まだまだあるけど追々ね。

片付けてあげなきゃね。

この日の夜は冷食のバイキング(笑)

グラタン、焼きおにぎり、皮付きフライドポテト

ピザ、チャーハンなど

フライドポテト以外は開封済み食べかけのもの。

トマト・きゅうり・レタスのサラダだけ用意した。

21日(日)菓子折りの買い出し

少しでも義母が快適に暮らせるように…

施設の方々へ何か菓子折りを用意してみようかな。

近年は食中毒やら何やら?で、受け取ってもらえるのかわからないけど、念の為用意しておこう。

お気に入りのお菓子屋さんへレッツゴー!

気持ちだけでも伝わりますように…🍀

月曜日はパパと叔父と施設へ行く予定。


腰が痛い……