我が家はいわゆる無宗教でした。

 

関東地方で育った私の実家は、母方は仏教、父方がキリスト教で育ったため、両親ともに結婚後は何も宗教的なことにはかかわらず、実家にはお仏壇のようなものはありませんでした。

 

母の姉(私の伯母)がお寺さんにお嫁に行ったために置いてある仏像の前に、父方の教会からいただいたろうそく立てがあり、その横に亡くなった方の写真が置いてある場所があります。加えて、実家は商売をしていたので神棚もありました。

 

私は幼いころから、寝る前はその場所の前で手を合わせ、神棚の前で2拍してから寝るという、独特の儀式(?)を毎日欠かさずしておりました。そういう意味ではある意味、信心深い「ごちゃまぜ教」の信者だったのかもしれません。

 

学生時代に上京し、結婚して関西に移っていった私の「ごちゃまぜ教」はさらに進化(?)していきました。

 

毎日お祈りすることはなくなりましたが、何かお願い事があると、ところかまわず心の中でお祈りしていました。お祈りする際には必ず頭の中で、以下の順番でその人や場所を想います。

 

私の祖父母(4人)→私の叔父(1人)→私の住んでいる関西地方の神社仏閣(7か所)→東京での神社仏閣(3か所)→私の実家のある関東地方の神社仏閣(7か所)→父方祖父母のキリスト教の教会(2か所)→母方祖父母のお寺(2か所)

合計26か所。

 

一人一人、一か所一か所、顔や場所を思い出していくので、お祈り(お願い事)をする前に1,2分はかかります。それからお祈りします。お祈りをするまでに正直結構パワーを使います。最も真剣にお願いしたい時は、必ずその方向を向いて思い出していくので、更に時間がかかります。

 

今までに真剣にお祈りしたことは、ぱっと思い出せるだけでも(私の受験、告白、結婚、子供の誕生、子供の健康、親の病気、子供の受験…など)で、これが不思議と全て叶っているのです。

 

息子の大学受験の時も同じように真剣にお祈りいたしました。

「できれば□□大学△△大学のどちらかは受かってほしい」

妻と私は、□□大学も△△大学もいわゆる難関大学と言われるところなので、現役では無理だろうなぁ。きっと浪人するのだろうなぁ。と正直思ってました。

 

少し話がそれますが、息子は高2の時に成績が悪く、そのような生徒が何人か学校から、留年するか?退学するか?を選ぶように選択を迫られた時がありました。息子は留年を選びましたが、他の生徒は退学を選びました。

結局、留年することはなく(学校側としても早く卒業させたかったのでしょう。同じ内容のテストを何回も受けさせて、留年を回避させました)、一番ビリのクラスでしたが高3に進級することができました。

 

一方で、息子は中学生ぐらいの頃より、将来は東京に出て、都内にある私学の雄と言われる最難関の○○大学に進学したいと言っていました。夏休みや正月などで家族で関西から関東に帰省する際、私と妻が学生時代にデートした場所や想い出の場所などに連れて行ってあげることがあったので、その影響を受けたのだと思います。息子は○○大学の持つ雰囲気やそこでの学びにあこがれを持っていました。しかし、高2の時点で留年か退学かを迫られている息子には、とてもじゃないけど無理な話ではないか。と妻も私も思っていました。

 

「できれば□□大学△△大学のどちらかは受かってほしい」という私のお祈りには続きがあります。

「もしも○○大学に合格したら、私の命を捧げてもよいです」と私はお祈りしていました。

今でも息子の夢をかなえるためなら私の命は捧げてもよいと思っています。

 

結果はすべての大学受験に合格しました。

そして意気揚々と○○大学に進学しました。

スマホに送られてきた入学式の写真は、講堂の前で堂々と、とても誇らしく、凛々しい息子が写っていました。

 

それからも私の祈りのスタイルは続きました。そして、もちろん26か所との約束(私の命を捧げる)は覚えています。

大学受験に感謝しつつ、大学生になったのだからもう大人だ。毒親である私から離れて、立派な青年になってほしい。

そして、私の命は何か人の役に立つ時に使ってほしい。と思い、街中などで何か危ないことが起こるとむやみに正義感が強くなりました。何か人のために私の命を落とすことは、26ヶ所との約束んんだから。そう思うと怖くなかったです。

 

 

息子は大学2年生で旅立ってしまいました。

 


本当なら私が亡くなるべきなのです。

だってそうじゃないですか。そう約束したじゃないですか。

○○大学に合格したら私の命を捧げます。と、そのようにお願いしたじゃないですか。

私の命を奪って、息子を返してくれ。

そう思いました。今でも思っています。

 

叶わないお願いを知ってしまって以来、もう今までのスタイルでお祈りすることはしていません。

 

息子のために命を使えなくなった私は、これからどうすればよいのかわかりません。

 

 

 

追記:息子が亡くなって49日(50日祭)が終わってから、高3の時の担任の先生が自宅に来てくれました。先生曰く、高3の時の成績の上がり具合は驚異的だったと聞きました。最終的には全国模試に名前が載ることもあったそうです。妻も私も全く知りませんでした。「自習室に住んでいる」とまで言われていたそうです。

また、ある日は女子生徒さんの何人かが来てくれました。彼女たち曰く、わからないことがあると、まずは息子のところに質問をしに行くのだそうです。そして息子は「本当はわからないのに、遠慮して分かったって言っちゃだめだよ」と言ってから教え、息子でもわからなかったり、息子の説明でもわからなかったりすると、先生のところに一緒に行き、(たとえ自分がわかっていても)その子が分かるまで、その子に代わって先生に食らいついてくれるのだそうです。

私は息子に良くこう言っていました「(会話や質問などで)分からなかったら、それは教える人の教え方が悪い。でも、分かったと言ったらば、その瞬間に自分の責任になる。」と。息子はそれを友達にも体を張って示していてくれたのです。