あの世の迷路?


子連れで来た遊園地の一角にそのアトラクションはあった。

入り口にいた係員のおばさんに聞いてみる。


「これってどんな迷路なんですか?」


「いや~それ言っちゃうとおもしろくないからねぇ。やってもらうのが一番ですよ。」


「じゃあ、一回入ってみようかな。」


「はい、入場料500円ね。」


「えーっと、じゃあ500円。」


「はい、ありがとうございます。どうぞ、こちらが入り口です。」


「よーし、行くぞ。」


立体迷路なんていつ振りだろう?何だかワクワクするなぁ。

私は、子供になった気分で、入り口のドアを開けた。


すると・・・


「はい、ゴール!おめでとうございまーす。」


そのドアを開けると目の前にゴールがあって、さっきおばさんが私を出迎えてくれていた。


「・・・・・何なんですか、これ?」


「これがあの世の迷路ですよ。」


「はあ?どういうこと?」


「あの世っていうのはね、原因と結果がイコールの世界なの。要は途中のプロセスが一切なくて、スタートすれば、即ゴール。これをしたいなぁ思えば、即実現。それがあの世なの。」


「は、はあ・・・。何だかよくわかんないなぁ。とにかく全然面白くないんですけど・・・。」


「でしょ?やっぱり迷いたいでしょ?あっちかなー、あ、違った!じゃあ、こっちかなーって、迷いたいでしょ?」


「え、ええ。」


「それが、この世なの。わかる?」


「いや・・・あんまり。」


「こっち行けばどうなるのかな?不安だな?でもやってみたいし、やってみようかな。あー、失敗した。何でこっち選んじゃったかなー、ってことはこっちかなー。お、行けた、うまく行ったよ!うわー何か面白い!っていうのが今あなたがいる世界なの。これって迷路に例えたらすごく楽しんでるっていうのがわかるじゃない?」


「ま、まあ、そう言われてみれば、確かに、紆余曲折があって、色んな体験があって楽しいかもしれないですね。」


「そう、その通り!だからね、私たち人間って、とにかく失敗しないようにうまくやろうとしたり、スムーズに事を運ばせようとするけれど、それって迷路で考えたら、何にも面白くないと思わない?入ってそのまんまストレートにゴールまで行っちゃう迷路なんて、楽しくも何ともないじゃない?」


「確かに。」


「だから、今この紆余曲折が楽しめる世界にいるってことは、すごく幸せなことなのよ。だから、今この世にいるあたは最高にハッピーな状態なの、わかる?」


「は、はあ・・何となくわかりますけど・・・。」


「けど?」


「いや、確かにそういうことを伝えたいというコンセプトはわかるんですけどね、単純に遊園地のアトラクションとしての迷路としては、最悪ですよ、これ。」


「っていうと思って、ちゃんと用意してますよ。この世の思いっきり迷える立体迷路を。」


「本当ですか?あ、ひょっとしてこの隣のドアがその迷路の入り口ですか?」


「そうですよ。しっかり楽しんで来てくださいね。この世の紆余曲折を。」


「はい、ありがとうございます!」


僕は、さっき以上にワクワクしながら、入り口のドアを開けようとした。


その時・・・


もう片方の腕をそのおばさんが勢いよく引っぱった。


「ちょっと、何するんですか!」


「そ・の・前・に・・・はい、入場料800円。」


「また取るのかよ!しかもさっきより300円上がってるし・・・」


「300円は、紆余曲折代。」


「意味わかんねぇし・・・」


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スムーズにいかないことが実は魂的には喜びだったりするこの世は、まるで迷路のよう。

私たちは即上がり!即ゴール!を目指してしまうけど、魂はそれを望んでいなかったりもする。


迷って迷って、あっちへ行き、こっち行きして、ようやくゴールへ辿り着く。

それこそがこの世という迷路の醍醐味に違いない。


どっちへ行けばいいかなんて知らないほうがいい。

だって、迷路で「ゴールはこっち」なんていう矢印があちこちに貼ってあれば、きっと誰もが殺意を感じてしまうだろうから(笑)


私たちがすることは、うまくやろうとか、失敗せずにしようとすることではなく

ただ気の向くまま、行きたい方向へ進んで行くこと。

配しなくてもいずれば誰もがゴールへ辿り着けるのだから、そのプロセスを思う存分楽しめばいい。

それはこの世でしか体験できない、究極のアトラクションなのだから。


・・・・・・・・・・・


僕も失敗するのが恐くてずっと踏み出せないことがありました。

でも、これを書いてそんな思いも吹っ切れました。

失敗したとしても、それこそがこの世の醍醐味じゃないか。

そうだ、恐がらずに思いきってやってみよう!