談山神社からバスで約14分、360円で聖林寺前下車
バス停から聖林寺までは徒歩5分。
あの小高い丘の上にあるのが聖林寺です
(真ん中から右よりにある三角形の屋根、分かるかしら)
霊園山 聖林寺
人のオウチにお邪魔するような、そんな門構えです。
大きすぎないこの感じ、好みです(●´ω`●)ゞ
大人一般400円
「大和を歩こう」で団体割引350円
聖林寺訪問は2回目。
聖林寺との出会いは…
ぽゎんぽゎんぽゎ~ん【回想】(´Д`)。o0○○○○
自称仏女のあたくし。
…と言っても、ただ”好き”なだけで多くを知っている訳ではありません…
社会人になって知り合ったSさん。
Sさんは、大学で神社を専門に学んでいたらしく、辺鄙な神社仏閣ばかりをまわっていたらしく…
そういうトコロこそイイモノがたくさんあるのだ
とおっしゃっていたので、
いろいろまわられてドコ(の仏像)が一番オススメですか
と聞いてみたトコロ、
聖林寺の十一面観音が一番のお気に入りだそうで
その後一ヶ月もしないウチに聖林寺を訪れていたあたくし( ̄▽ ̄)
聖林寺は、奈良時代に談山妙楽寺(現:談山神社 )の別院として
鎌足公の長男である定慧和尚が建てたとされています
こちらの御本尊は子安延命地蔵★
とってもビッグで色白の地蔵様です。
享保の頃にこのお寺の僧である文春さんが女人泰産を願って一念発起し、
大石仏造像の願をかけて諸国行脚の旅に発ちました。
子安延命地蔵は文春和尚の4年7ヶ月に及ぶ托鉢による浄財で造像されました。
造像にあたっては地蔵菩薩が文春和尚の夢枕に立ち、自ら仏師を指定したといいます。
(聖林寺ホームページより引用)
4年7ヶ月に及ぶ托鉢ッ(゚Д゚;ノ)ノ
すごいでございます…
皆さんの思いが詰まっていると思えば、納得の大きさ
そして有名なのが国宝十一面観音★
以前行ってから知ったコトなのですが、十一面観音は聖林寺の御本尊ではなく、
他所からやってきた客仏とのコト。
御本尊は前述の子安延命地蔵様でございます。
なので、いただいたご朱印は2種類
以下、十一面観音について、聖林寺のホームページと
うましうるわし奈良の聖林寺編より引用、まとめてみました
十一面観音は、かつては三輪山・大御輪寺の御本尊であったそうです。
大御輪寺は奈良時代の中頃、大神神社の最も古い神宮寺として設けられ、
十一面観音はその御本尊として祀られてきたといいます。
この仏さまが聖林寺に引き取られたのは幕末から明治にかけての廃仏毀釈の気運を受けてのコト。
十一面観音は、明治維新の神仏分離令の際に、古神道の権威に押されて
路傍に放棄せられるという悲運に逢ったそうな・°・(ノД`)・°・
この放逐せられた像を引き取ろうという人は現れず、
十一面観音はそこで幾日も幾日も、埃にまみれて雑草の中に横たわっていたそうな。
ある日偶然に、聖林寺の住職がそこに通りかかり、
拙僧がお守をいたそう、と言って自分の寺へ運んで行かれたそうです。
最近JR東海のキャンペーンで聖林寺編が始まったこともあり、
私がお寺を訪れた日も、お寺のコトなど、いろいろと説明をして下さるボランティアの方がいました。
その方に前述の十一面観音が草むらに放置されていたという話(文章斜体の部分)
は本当かどうか伺ったところ…
「そういう話も出ているようですが、そのようなコトは絶対にありません
証拠に、聖林寺には”預り証”が残されているからです。
その預り証にきちんと書かれています。」
おぉ~(゚Д゚驚ノ)ノ
ネットに出ているコトを全部信じてしまっていた…
「そのような話を結構耳にするのですが、真実は”お預かりした”のですから、
今度そのような話をしている方がいましたら、事実を教えてあげて下さいね。」
モチロンそのように致します(((uдu*)ゥンゥン
草むらに放置されていた、という話の方が劇的なのかもしれませぬが、
事実は事実、真実はいつもヒトツ!( ̄▽ ̄)
機会ある時は正しい史実を伝えて参りたいと思います。
で、十一面観音様はというと…
胸板が割りとガッシリしており、男性的な力強さを感じさせつつも
たおやかさ、丸みを帯びた全体の雰囲気は女性的。
随筆家の白洲正子も「女躰でありながら、精神はあくまでも男である。」と語ったそうな。
永い歴史の中で化仏(頭上にある小さな仏様のお顔)が3つ失われ、
台座の部分(おそらく花弁)も少し失われたそうですが、
手に持っている水瓶がキレイに残っているのは稀だとか
また、十一面観音の印相は、普通”与願印”
(手を下げ、手の平は前に向けた状態で指はまっすぐ自然のまま)
だそうですが、コチラの観音様は中指と薬指を少し折り曲げていらっしゃいます。
これは珍しいとのコト。
ボランティアの方の説明ですと、”半与願印”では、と。
”与願印”は、人々の願いを聞きいれ、望むものを与えようとするカタチを表しているそうですが、
”半与願印”ですと、半分は助けてあげるから、もう半分は自分で頑張りなさいょ、
そうおっしゃっておられるのではないか、
とのコトでした(●´・З・)))ナルヘソ
十一面観音は東大寺の造仏所で造像され、
その願主は智努王(天武天皇の孫)とする説が有力だそうです。
神宮寺で御本尊としておまつりされている当時は
見事な光背があり、他に御前立や脇侍、四天王等々、そうそうたる仏像群に守られ、
背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳の中にあったようです
聖林寺が十一面観音をお預かりした当初は、当初脇侍であった地蔵菩薩も一緒に
お預かりする予定でしたが、聖林寺の御本尊が同じく地蔵菩薩であったことから
脇侍の地蔵菩薩は法隆寺の方に行かれたそうです。
ソチラもモチロン国宝で、法隆寺大宝蔵院
でお会いすることができます。
光背は損傷が激しいそうで、奈良国立博物館に寄託されており、
浄財によって一刻も早い復元が望まれています。
十一面観音は永く秘仏としておまつりされてきたそうですが、
フェノロサ、岡倉天心らによって開扉され
多くの人タチが相見えることができるようになったそうです ンダンダ(●´・ω・)))(((・ω・`○)アリガタイネェ
聖林寺では、一人旅だし自分なりに楽しんだら次に行くか~、滞在時間は1時間くらいかな~
なんて思っていたのですが、
ボランティアの方がいろいろと素敵なお話をして下さるので、ついつい長居
写真を撮るのも手伝っていただきました。
むしろ、撮ってアゲルって
JR東海のCMはこの角度から撮ったとか、
雑誌の取材ではここに中越典子さんが座ったとか、
このアングルがいいとか
言われるがままに佇む私( ̄▽ ̄)
パンフレットからも引用しますと、
聖林寺からの眺めは卑弥呼の墓とも言われる箸墓など大和盆地の古墳群、
山辺の道、三輪山を一望のもとに見渡すコトができます★
右のお山が三輪山です
縁側と言うのでしょうか、座布団も置いてあるので、
景色を見ながら、風を感じながら、ゆっくりボーッとするコトができちゃいます(*´Д`)
気になったコトをもうヒトツ、ボランティアの方に聞いてみました
仏像を見に行くと、「戦火を免れた」という文言をよく耳にします。
一度ならず二度も、とか。
そんな激しい戦火をくぐり抜け、尊い仏様タチはどのようにして無事なお姿で現在まで至ったのか、
不思議に思っていたもので(艸дu*)モンモン
すると、昔は神社仏閣が焼き打ちにあったりする際、
上官に命令されても兵士もヒトリの人間、
信心深い者もおり、大体は対象の神社仏閣に事前に通告をし、
仏様タチを避難させる時を設けていたとか。
なるへそ└(○゚Д゚○)┘
昔の人タチの努力があって、今こうして私タチが仏様に会うコトができているのですね…
ありがたや(人-Å-`●)
さて、通り雨もあがったようだし、そろそろ安倍文殊院に向けて歩き始めるか
ボランティアの方タチ、ありがとうございましたッm(◡‿◡。)mペコリ