むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな
紀貫之 古今
<掬い取るてのひらから落ちる雫に濁る山清水、その閼伽とする清水ではないが、
飽かずに人と別れてしまったことよ、もっと語り合いたかったのに>
閼伽 仏に供える水 山の井 山中の湧き水
三句までが「あか」を導く序詞
「閼伽」と「飽か」が掛けられている
手に結ぶ水にやどれる月影の あるかなきかの世にこそありけれ
紀貫之
<手に掬った水に映る月影のように、この世はあるかなきかの儚いものであった>
貫之 辞世の歌です。
勅撰和歌集の撰者にもなった貫之が、この世での命を悟った時、水に映る月光のような
儚い生涯であったと詠んでいます。
後々まで自分の歌が残るとは思っていただろうが、まさか、月に行ける時代になり、
脈々と研究され続け、教科書に載り続けるとは想像しなかったでしょう。
そして、正岡子規「歌よみに与ふる書」にどう対峙したでしょう。