7日目は父の別の友人と会う約束になっていた。
ジョグジャカルタの山手で待ち合わせてドゥリニビーチに行った。
トンボロがあり江ノ島のような雰囲気である。
島自体は小さく、一周歩いて5分程度だろうか。
風が強く、波が高かった。
お昼はビーチ近くのレストランに入った。
こういったレストランに決まったメニューはない。
食材を魚、イカ、エビ、貝、カニのなかから選び、揚げるか焼くか選んで、甘いかどうか、辛いかどうかを選ぶ。
スプーンが人数分渡されなかったので、今回も手で食べた。運ばれるカトラリーは基本的に料理のとりわけにしか使わない。
やりとりはジャワ語とインドネシア語混ざりらしい。インドネシア語の方が使い勝手がいい場面もあるようだ。
この日会った友人は英語はほとんど話せないため、父が通訳してくれた。
店先に揚げた魚、エビ、海藻がならぶ。駄菓子屋とかコロッケの店みたいな面影がある。
友人の住む村へ帰りがてら、礼拝所によって礼拝を待つ。待っているこちらも休息の時間になるので、ありがたい。
男性は膝が出ている服だとサルーン(巻きスカート的なもの)を着る。女性ほどではないが、男性も露出は好まれないようだ。車にサルーンは積んである。
この時立ち寄った礼拝所には子どもが何人かいた。学校のような役割もあるのだろう。
裏手には牛と鶏(放し飼いなのでその辺にいる)、道路沿いには今にも潰れそうな商店があった。
彼の村は農村で河の側にある。
河は今の時期(乾季)は水量が少ないと言っていた。
雨季になると木の根元くらいまで水嵩が増えるそうだ。川沿いに牛のエサを取りに来ている人がいる。
今の時期はポンプで水を組み上げて農用水にしているらしい。
稲の苗、育った大豆が田んぼに植えられている。大豆はしばらくしたら収穫されるのだろう。
家の裏にはキャッサバやバナナがなっている。これらは畑や田んぼのように区画整備して植えなくてもいいようだ。家の裏といっても隣の家との境界がきっちりと決まっているようにもみえない。隣人とは基本的に譲り譲られの関係なのだろう。親族のことも多いみたいだ。
山羊小屋、牛小屋も見せてくれた。親戚が飼っているらしい。ヤギを売ると3万だか5万だか言っていた気がする。牛は繁殖させて子牛を売りに出すらしい。ヤギもウシもめちゃくちゃ鳴いていた。
まあ、こんなところに居るのは不本意だろう。
かご作りの内職をしている若い女の人がいた。
農作業の少ない期間は内職をする人も多いのだろう。
写真を撮っていいか聞いて撮らせてもらった。
彼の家には奥さんがいた。奥さんは小学校の先生をしているらしい。
近くの小学校で働いている。インドネシア語、算数、理科、社会、英語を教えるらしい。小学生の様子は日本と変わらなそうだ。男の子は喧嘩する。女の子はおしゃべりが止まらない。小学生はそんなもんだろう。
インドネシア語はテレビやネットでは一般的に使われているため、子どもは馴染み深いのだろうか。
話を聴きながら、キャッサバチップスを食べさせてもらった。ポテチ的な感覚で食べられる。
お父さんが新型コロナウイルスで亡くなったらしい。遠いインドネシアでも猛威を振るったのかと思うと、世界的な大災害だったのだと実感する。近くの医療センターで人工呼吸ができるらしい。おじいさんの形見の小鳥(鳩かもしれない)が二羽、鳥籠の中で大人しくしていた。
父の友人はそこの医療センターでリハビリの仕事をしているらしい。農業は他の人に任せて土地を貸すだけにしているらしい。
夕方のお祈りは彼がいつも使っている礼拝所に連れて行ってくれた。
礼拝所といつも書いているが、施設として独立してある礼拝所がモスクで、レストランや空港、駅などにある礼拝所がムショーラという。
このモスクは彼の勤め先の隣にあるため、礼拝に使うもの(マットやサルーン)は置いてあるのだという。そんなことしていいんだと思った。モスクというのはもっと公共性が高いものだと思っていた。
帽子を被りサルーンを巻いて正装で来るひと、若いカップル、子ども連れ、さまざまな人が来ていた。
ホテルまで送ってもらい、しばらく休憩していた。
昨日まで一緒に行動していた家族からLINEが来て、一緒にショッピングモールに行かないか、とお誘いをうけた。せっかくなので行ってみようと考え、せっかくついでに先日買ったスカーフをヒジャブにして彼らと待ち合わせた。
とても気に入ってくれたし、緩んでいると直してくれる。ショッピングモールの女子トイレでは化粧直しと同じくらいの感じでヒジャブ直しをしている。
夜は別の人とご飯を食べる予定があったので、何も食べて来ないようにと父から言われていた。彼らにも同じことが言われていたはずなのに、あれこれ勧めてくるので断るのが大変だった。どこの国でもおばさんというのはそういうものなのかもしれない。
ショッピングモールには日本食レストランやリトル東京があった。日本ではみない日本食レストランの数々。日本食が正確に伝わっているかは不明だ。
バティックのお土産を買いたかったので連れて行ってもらって、その後別れた。
夜ご飯は別の友人とホテルのレストランで食事をした。個人で旅行代理店をやっているらしく、今回の旅行でもずいぶん世話になったようだ。
この旅の充実度はこの人のおかげなのか、と感じた。持つものは友人だ。
それではまたいつか。