高校一年生の秋に父が病気で亡くなった。
私は現役で大学受験に受からなかった。
浪人してから、母が頻繁に話しかけてくるようになったのは、家にいる時間が長くなったからかもしれない。
母は父の死から立ち直っていなかった。
でも、父がいなくて辛いと言うことは少なくて、自分の人生の辛さを訴えることが多かった。
泣いてばかりいないで、お金はあるんだから好きなことすれば?と言うと
「お父さんの命と引き換えのお金でそんな」と泣いていた。
暗すぎて、ついていけなかった。
母はうつで働けず、無職だった。
私が浪人してから少しずつ有償ボランティアで介護をしていた。
住んでいた家を貸して、小さな古い借家に住んで生活費の足しにしていたけど、
遺族年金と保険金で暮らしていけたのか?よく分からないけどお金に困ったことはなかった。
校長先生で貸家も持ってたおじいちゃんは、出戻りの娘の母が小さな貸家に住むからと物置を建ててくれ、
おばあちゃんが美味しい夕飯を作って届けてきてくれた。
晩年のおふくろの味は、宅配ピザと最後に作ってくれた尋常じゃない苦さのシチュー。(焦がした)
母が亡くなった後、200万円のエステのコースを二つ契約していたことが分かった。
叔父さんが解約してくれた。
カシミヤのコートもあって叔母さんに使ってもらった。
父の会社では、早く亡くなった人の遺族に、お見舞い金を社員からカンパして渡す習慣があったそうだ。
カンパで集まった金額が過去最高だったそうだ。800万。大きな新聞社だった。
人柄だけでそんなにお金を集められるなんてすごいなあと誇らしかった。
(貸してたのかな?)
母はそれを渡しに来た会社の人に会わなかった。
父も、会社の人のお見舞いは全て断っていたし、「大学に行っておけば良かった。俺が甘かった」と零していたので、高卒での会社員人生は何か辛いものがあったのかなと思った。
そのお金を、祖父が管理するというのを母は怒って断った。
結婚相談所に登録するための証明写真が残ってた。
200万のエステ。
痩せて再婚したかったんだと思う。
寂しかったんだと思う。
母は鬱で自死してしまって、
お金が沢山あっても、幸せになれないんじゃないかと思ってたのはこのへんのことがひっかかってる。
もし生活に困っていたら、私も学校どころじゃなくて働いていたはず。
その方が、家族がまとまって幸せに生きていけたんじゃないかとずっと思っていた。
むしろお金がないほうが幸せだったんじゃないかと思ってた。
お金に恵まれた環境で育った自分が許せない。
親が早く亡くなったのなら、
親戚をたらいまわしにされて辛い思いをしたり、
ソープで働いて弟の学費を払うべきだと思っていた。
幸せになるなんて許せない。
のうのうと生きやがって図々しい。
お前なんか。
この思い込みはなんなのかなあ。