ゴールデンウィークは山あり谷あり。
楽しいお出かけもいっぱい。
でも涙が止まらなくなった場面がふたつ。
ひとつは、息子が道路で寝てた事件。
もうひとつは、おばあちゃんに会ったこと。
年末から何度か入退院を繰り返した95歳の私のおばあちゃん。
もうダメか…と思いながら復活して、老人ホームに入ることに。
面会出来るとこなので、2年振りに会いに行った。
私の顔も名前も忘れてた。
私の会いたかったおばあちゃんじゃないと思ってしまった。
冷たい手で、私の手をぽんと触って、「あなたはここ初めてよね?」と言ってくれたのに。
涙が我慢できなくなって、帰りの車中も息子も引くくらい暗い雰囲気になって、三十分くらい泣き続けて、夫はあきれて。
自分でも、ショックを受ける場面だったと思うけど、
30分も人前で泣き続けるのはちょっとおかしいのかな、と思う。
もう少しコントロールできてもいいんじゃないかと思う。
でもそれが出来ないのは、
トラウマに触れる場面だったからだと思った。
私の母は鬱になって、ビルから飛びおりて亡くなっている。
母と弟と私で暮らしていて、霊安室で警察の事情聴取を受けたのはトラウマなのかもしれない。
親戚も集まっていたが、母と最後に話したのは私だった。
母は亡くなる前、近くに住んでいた叔父や祖父母とも関係が悪くなっていた。
母が私の保護者だったが、最後は私が母の保護者のように逆転していった。
私の方が社会性があった。
息子が道路に寝ていて、車に轢かれそうだったと聞いた時、
私のせいにしないでと言いたかった。
あの時みたいに、「私のせいにしないで」と思ったのかも。
母の言っていることは、なくなる半年前から被害妄想的になっていった。
私に「ひろみさん、」と呼びかけ敬語を使いはじめた。
母が狂っていくのが怖かった。
昔の母に戻ってほしかった。
父が病気になる前の母に。
おばあちゃんが壊れたのが怖かった。
お母さんみたいに壊れたのが怖かった。
私は、怖がり。
最近、テレビのニュースもツィッターも怖くなって、
占星術やスピリチュアルのYouTubeばっかり見ている。
潜在意識にあることが、現実になるのだろうか。
別々の人が同じようなことを言っていると気づくと、
真理に気づいたような気分。