生きることは、生き残ること | Hiroppeのブログ

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絵やマンガを描くのが好きなアラフィフ専業主婦です。

息子の発達凹凸の受容、道半ばです。義母から指摘されてからのありのままの感情の記録を残してあります。

罪悪感について

父が亡くなったのは、私が15で高校生の時だった。

ガンだった。

ファザコンというか、反抗期がまだだったのか、父が大好きだった。

父が、なにも悪くない父が亡くなるなら、私が消えたいと思った。

母と結婚しなきゃ良かったのにとか、この生き方のせいで病気になったなら私なんか産まれなくても良かったのにと思った。

ホスピスに入るまで、父の余命を知らなかった。
祖母から、ガンだということは教えてもらっていたけど、亡くなるとは思っていなかった。

受験勉強ばかりして、お見舞いに行かなかった。

闘病中の父からもらった手紙がある。

「努力して生きることが叶わなかったとしても、怖れることはない。
どうすればいいのか。
色んな生き方を知ることだ。
お父さんの闘いの場に来てください。
とにかく病院へ」

もらった時は、ぴんと来なくて病院にも仕方なく行った。

亡くなってから読み返すと、涙が止まらなかった。

手紙を読まない時でも、お見舞いに行かなかった自分が大嫌いだった。

最近、手紙を読み返したら、意外な感情が湧いてきた。

怒りが湧いた。

20年、以上、

罪悪感を抱き続けていた。

余命の告知は、ホスピスのお医者さんから知らされた。

大事な話を、なぜ直接してくれなかったのだろう。

本当のことを、知っていれば、もっと早く病院に行った。

こんなことを思うのは、父に悪いと思う。

私が、すっかりオバサンになって、図々しくなったからかなあ。

しかし、父が動けるうちに、もっといい関わり方で父との時間を過ごしたかった。

自分を責め続けた私のことも、かわいそうだと思うようになった。

生きることは、生き残ることだから辛いのかもしれない。

父を失った時、完全な愛情は永遠に失われたと思った。

父は父で、親としての責務が果たせない自分を責めていたと手帳に書き残していた。

責務ではない。
私がほしかったのは、幸せなことがあった時の心からの祝福だけ。

晴れた日の、大切な人の不在は辛い。



「なぜ自分を責めるのか?
責められるべき時に他人が責めるのを待てばよいのだ」
アインシュタイン