2015.8.6 アップデート
ブログタイトル “右のような左のような” に沿って、今日は私の主張以外に左側の意見(師弟お二人)を紹介いたします。
『安保条約と憲法の間には緊張がある。その緊張があるからこそ、集団的自衛権が認められる条件について十分な国民の合意が必要となる。その合意が得られるまで、新安保法制を認めてはならない。』
上は左派国際政治学者・藤原帰一氏(59歳)が10日前の7月21日に朝日新聞のコラムに書いた締めくくりの文章で、全文をこのページ最後に転載しています。
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平成26年7月1日 集団的自衛権容認を閣議決定
(衆院解散当時、最大の関心事は「消費税増税時期の先送り」でしたが、これは与野党共に賛成で選挙の争点になりませんでした。)
この総選挙で、野党第一党の民主党が「集団的自衛権容認」に反対だったのに、さして党勢は伸びなかったのですから(議席数73/475)、この時点で民意は明らかです。海江田党首は落選するし…。
(自民党は291議席/475)
国会において、議長が多数決で法案を決めることを朝日&毎日系マスコミは『強行採決』という言葉を好んで使用しますが、他の先進国マスコミはそんな言葉を使いません。
もし使うなら、法案を決める度に『強行採決』です。(笑)
多数決で物事を決めるのが民主主義なのに、何を言ってるんでしょう?
所属政党・思想信条がそれぞれ違う国会議員が、全員賛成(全会一致)になることの方が珍しい出来事だと思うのですが。
朝日&毎日系マスコミが連日連夜テレビ・新聞で「集団的自衛権行使反対」のキャンペーンを張り続ける中、憲法審査会に呼ばれた憲法学者3名全員が「違憲」だと発言したことが一層激しい反対論を呼び、国会前では一般人に扮した(時に妊婦の)共産党系活動家をテレビカメラが毎夜映し…。
これがきっかけで世論の潮目が変わったとか言われますが、果たしてそうでしょうか?
電通とフジテレビが引き起こした「韓流ブーム」と同じく、国会前でのデモは共産党・民青系プロ市民とテレ朝・TBSによる印象操作・情報操作であることは既にバレています。
ですから、「報道ステーション」や「サンデーモーニング」で度々映される『戦争法案』『徴兵制反対』というプラカードに騙されてはいけません。
媚中マスコミの印象操作に簡単に染まってしまうほど、日本人は阿呆ではない筈です。
政府が発表している 新三要件とQ&A を読んで、ちゃんと自分の頭で考えましょう!
参考動画
【安保法制を斬る】田中秀臣 他、約52分
【上念司 】国会前デモはプロ市民、約7分
【勝谷誠彦】マスコミが操る民意、約9分
【報道ステーション】若者デモ『SEALDs』は共産、約6分
https://www.youtube.com/watch?v=IMKGdspH2S0
【国会前デモ】中高年は日教組と連合 約4分
https://www.youtube.com/watch?v=fAqNklrGQCY
【青山繁晴】虎ノ門ニュース 24分20秒~中国によって時事・朝日が情報操作されている
https://www.youtube.com/watch?v=QR2Ocivc9zM
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冒頭記事・藤原帰一氏の教え子で、反自民を標榜するリベラル派国際政治学者・三浦 瑠麗(るり)氏(35歳)は自分のブログ『山猫日記』の中で『今般の安保法制整備について基本的に賛成』と述べていますし、民主党の細野氏・野田氏・松原氏のグループも大枠では賛成です。
国防に関する決め事というのは右も左も関係なく前向きに議論すべきだと思いませんか?
中華人民共和国・北朝鮮という近隣諸国が荒くれ者に姿を変えた今、小川和久氏の主張する通り「孫子の兵法;拙速は巧遅に勝る」=「少々粗雑な策であっても、変化する時局に最速で対処することが重要」=「切れ目のない安保法制に整備することが大至急必要」でしょう。
今回、与党は11本の法案を一括提出しました。
しかし公明党が反対した所為で、この中には『グレーゾーン対処』『駆けつけ警護』に関する法案は入っていません。
この意味において、国防を考える上では少々粗雑な法案ですので、良識の府・参議院での審議では、これら二つの法案を加えて立法化できれば更に優れた法案になるとと思います。
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国際政治学者 三浦 瑠麗(るり)のブログ『山猫日記』
安保法制(3)―国会で議論されるべきこと 2015.5.25
安保法制(5)―パーセプション・ゲームの功罪 2015.7.12
安保法制(6)―安保法制の政治的意味合い 2015.7.22
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藤原帰一氏
以下は冒頭で紹介した 藤原帰一 氏の新聞コラムです。
氏の主張は、入口論・手続き論にこだわり過ぎて、思考停止しています。
集団的自衛権を肯定しつつ、安倍政権には任せられないなんて論理破綻というか無茶苦茶な結論です。
国際政治学者なら、国際法と国連憲章と現日本国憲法を読み合わせ、更に東アジアの情勢分析を加えて、今般の集団的自衛権容認論議を語るべきだと思います。
同じ左側(反自民の立場)でも、教え子の方が現実的で優秀です。
毎回書くことですが、現状の安保法制を改正しないのなら、大勢の海上保安官・警察官・自衛官の命が犠牲になります。
藤原帰一 コラム「時事小言」
2015年7月21日16時30分
[以下、時事小言の全文]
新安全保障法制が衆議院で採決された。賛成できない。政府は法案を撤回しなければならない。
私がそう考える理由は、立法手続きに瑕疵(かし)があるためだ。今回の新安保法制については、数多くの憲法専門家から法案は憲法に反すると指摘された。違憲の疑いがある法案については、国会において他の法案以上に慎重に審議を行う必要がある。与党が議席の多数を占めるからといって採決を急ぐことは適切ではない。
まして参議院での行き詰まりを見越したかのように衆院における再議決を想定した政治日程を組むことは、慎重な審議とは正反対の選択である。
衆院の多数に頼って憲法との関係が争われる法案を押し切ることは、民主政治の根幹を揺るがす行動であり、認めることはできない。
では、憲法との関係と法案審議の方法だけが問題なのか。集団的自衛権をどう考えるべきだろうか。
*
私は集団的自衛権一般を排除すべきだとは考えない。
集団的自衛権とは同盟国に攻撃が加えられたときには自国に攻撃が加えられたときと同じように反撃するという、同盟と不可分の概念である。
もとより日本国憲法と日米安保条約の間には矛盾があるが、いま国民が安保条約の是非、それでいえば自衛隊の存否を疑問視しているとは考えにくい。
むしろ日本の安全保障に役立つ限度では安保条約も自衛隊も受け入れてきたのが戦後日本政治であった。日本のために同盟を利用するが、同盟国の安全には関わらないという選択である。
これは同盟国の協力による防衛を模索してきたヨーロッパにおける北大西洋条約機構(NATO)と大きく異なる選択である。米国から見れば、米軍は日本の傭兵(ようへい)のような存在でしかない。
同盟諸国の負担に相互性の乏しい同盟協力は米国による日本防衛への関与を弱め、それが日本の防衛を揺るがす危険を生み出す。新安保法制の背景には米国に置き去りにされる恐怖があった。
だが、問題はその先にある。軍事力の保有や使用を全て否定する立場をとらないとしても、集団的自衛権の承認が軍事行動の幅を広げ、戦争を防ぐどころか戦争を引き起こすことになりかねないことは事実である。
これまで日本では米国の始めた戦争に日本が荷担を強いられるという巻き込まれの恐怖に焦点が当てられてきたが、中国と周辺諸国との間に緊張の続く現在の東アジアでは、米国主導の戦争に巻き込まれる危険ばかりでなく、日本が戦争を始め、米国を巻き込む側に立つ危険も無視できない。
ここで重要なのは、軍事力の行使において常に必要となる慎重な判断を、現在の日本政府に、そして国会に期待することができるのか、という点である。私はそこに強い懸念を持つ。それが、乱暴な採決や違憲の疑いとはまた別個の、国際政治を学んできた者としての私の新安保法制への懸念である。
日本政府は、日中戦争、そして太平洋戦争において侵略を行った過去を持っている。憲法9条が定められた国際的背景には、日本が二度と侵略を行わないように武力の保持を認めないという連合国の判断があった。その憲法9条が今なお日本国民に広く受け入れられているのは、日本が二度と戦争を行わないことが国民的合意として保たれてきたためであった。
国際政治において軍事力の果たす役割を否定することは難しい。軍事的威嚇によって戦争を抑えることがないとはとてもいえない。だが、軍事力の行使によって諸外国の国民にも自国の国民にも大きな犠牲を強いる可能性があることも否定できない。
そして、戦力の保持を全て否定するのでなければなおさらのこと、軍事力の行使が本当に必要なのか、それに代わる手段によって平和を保つことが不可能なのか、徹底した検討が必要となる。その検討を行わない者が軍事力を手にすることほど危険なことはない。
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安倍晋三首相はキャンベラやワシントンなど世界各地を訪問する中で、戦争への反省に基づいた言論の自由を守る民主主義国家としての日本を訴えてきた。だがその安倍首相が、新安保法制を審議するなかで第2次世界大戦における日本の戦争責任を正面から議論したとはいえない。
過去の侵略戦争に対する責任を自覚しない政府に対して、将来の国際紛争において軍事力の行使に慎重な判断を取ることは期待できない。今回の新安保法制が今後さらに極端な軍事力行使の承認につながる懸念も残るだろう。
安保条約と憲法の間には緊張がある。その緊張があるからこそ、集団的自衛権が認められる条件について十分な国民の合意が必要となる。その合意が得られるまで、新安保法制を認めてはならない。
(国際政治学者)