【日本人の自虐史観】


日本の左派と言われる文化人や政治家や朝日系・毎日系マスコミは言うに及ばず、各種労働組合や日弁連 や日本教職員組合(日教組)に加盟する教師も自虐史観 に囚われています。
かく申す私も恥ずかしながら長年自虐史観の持ち主でした。

これは何故かと戦後史を調べている内に、はっきり判ったことがあります。

 

GHQ (連合国軍司令官総司令部=General Headquarters)による 占領政策=『日本弱体化政策』 との関係です。

 

ハード面では各地の研究施設・工場を破壊し、工業機械を没収・スクラップ化して、日本の産業を農業・漁業・繊維輸出に限定する政策でした。

 

その結果、軍需産業と指定された施設は全て、平和産業ですらその3割の工業設備を国外へ中間賠償として強制移転させられました。

 

1945年からの5年間に梱包移送された機械設備の総数は約4万4千台。行先は、中国が54.1%、フィリピン19%、ビルマ・マレー(イギリス)15.4%、東インド(オランダ)11.5%です。

 

しかし、中国共産党の台頭により東アジアがソ連・中国の共産主義勢力に染まってしまうことを恐れたGHQは『日本を反共の防波堤にする』と方針を変えました。

 

案の定、朝鮮戦争が勃発。

工業国に戻ることを許された日本は、そこからまっしぐらに復興へと向かったのです。

 

『日本弱体化政策』 のソフト面でGHQが最も注力したことは、徹底した検閲と情報・言論統制です。洗脳政策といってもよいかもしれません。

 

同時に民主化という名目で各種労働組合を結成させたことが挙げられます。

 

一般企業には組合運動で労働者の賃金を上昇させ、輸出品の国際競争力を低下させることが目的でした。

 

学校の教師にも組合を結成させました(1945年12月)。

 

言論統制した教育内容を学生・生徒に教え込むことが狙いです。

 

「教え子を再び戦場へやりたくない」という教師の純粋な気持ちは、GHQが望んだ以上の『反戦平和民主』教育になり、優秀な学生ほど自虐史観に感化されてしまうケースが多かったようです。

 

 

占領軍→進駐軍、大東亜戦争→太平洋戦争、敗戦→終戦

 


言葉の書換え例のほんの一部を紹介しましたが、新聞もラジオもGHQにとって都合の悪いことは一切報道を禁じられ、『米軍は悪くない、悪いのは戦争へ突き進んだ日本の軍部である』 とするアメリカのプロパガンダ に沿った新聞報道・放送内容によって、日本人は自虐史観の世論を形成することになりました。

 

黒塗りにされた教科書のことは当時の教師・学生・生徒が実体験したことですから、GHQによる検閲の例として有名な話ですが、東大教授によって収集された約8千冊の歴史関係文献が没収・焚書にされたことが公表されることはありませんでした。

 

片や検閲・焚書でGHQにとって都合の悪い情報を日本国民から遮断し、もう一方で自虐史観プロパガンダを新聞・ラジオで毎日流し、あるいは学校で毎日教えたのです。それも日本が主権を取り戻す1952年4月28日までの約7年間に亘り…。

 

このGHQの洗脳政策はウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (War Guilt Information Program、略称WGIP)と呼ばれ、戦後69年を経た今も多くの日本人の中で生き続けているというわけです。

 

9月21日付け私のブログ「朝日謝罪会見と反日思想」 で紹介した青山繁晴氏の、『朝日に限らず、反日・自虐史観は殆ど全てのマスコミに浸透している』 という指摘はこのことを指しているんですね。

 

『戦後レジウムからの脱却』を目指す安倍首相が戦っている相手は、“69歳のWGIP”なのかもしれません。

 

歴史年表
1945. 2. 4 ヤルタ会談 (米・英・ソ連)
1945. 7.26 ポツダム宣言 (米・英・中華民国)
1945. 8. 8 ソ連対日参戦
1945. 8.14 ポツダム宣言受諾(日本軍無条件降伏)、翌日玉音放送
1945. 8.23 シベリア抑留 開始
1945. 9. 2 対ソ連降伏文書調印(9.5ソ連の戦闘終了)
1945.10.02 GHQ(General Headquarter)による日本占領
1946. 5. 3 極東国際軍事裁判 (東京裁判)開始 
1947. 5. 3 日本国憲法公布
1948. 4. 3 済州島四・三事件
1948. 8.15 大韓民国成立
1948.11.12 極東国際軍事裁判終了
1948(~1951)中国共産党がウイグルチベットを侵略
1949.10. 1 中華人民共和国成立
1950. 6.25 朝鮮戦争 勃発
1951. 9. 8 サンフランシスコ講和条約 締結(Treaty of Peace with Japan)
1952. 1.18 李承晩ライン 宣言
1952. 4.28 サンフランシスコ講和条約発効
       GHQによる日本占領が終了、日本国主権回復
1953. 7.27 朝鮮戦争 休戦 (国連軍対中朝)
1958. 9. 7 シベリア抑留最終引揚船が舞鶴 に到着
1965. 6.22 日韓基本条約 締結

1966~1977 文化大革命(中共)