昨日、退院しました 。

肺癌からきたものなのか不明だけれど、呼吸困難と胸痛で救急車を呼びかかりつけの病院へ運んでもらいました。

炎症値が普通は1だとすると私は50あったそうです。

運ばれてそのまま入院となりました。

胸痛が酷く1時間起きに痛み止めを飲み20日間ベッド上安静で家族以外面会謝絶でした。


正直、死を覚悟しました。

でも看護師さんと主治医のもと手厚い看護のおかげで今生きています。

人間中々死なないものですね。子供のため家族のため生きなければなりません。

今の私は生きていくため生活が制限されています。

まずはHOT(在宅酸素)、家にいるときは24時間酸素を必要とします。お風呂の時もトイレの時も。

お出かけには酸素ボンベを持って行きます。私はもう酸素無しでは生きれないようです。

入院中、呼吸のリハビリをしました、6分間酸素をしながら歩くのですが150メートルで息が上がってしまい、脈拍が170まで上がってしまって6分間歩くことができませんでした。

ずっと寝ていたから体力が無くなっているのもあるけれど正直ショックでした。

寝たきりにはなりたくないので体力をつけなければ・・。

食事はお義母さんが来てくれて作ってくれています。

今の私はキッチンに立つことすらできないんです。

それでも前向きに頑張らなくては周りの心配してくれている方たちに顔向けできません。

難病の多発性筋炎&肺癌&肺血栓症・・・・

病気知らずだった私に神様はどんどん病気を与えていきます。

あと何年生きられるんだろう・・・。息子が独り立ちするまでは生きていられるんだろうか。

息子にさみしい想いはさせたくない。だから毎日一生懸命生きる。

宮城にいる母も心配していて毎日の電話は欠かせない。

母と話すために母と同じ会社の携帯を購入し毎日話している。今日は何食べたとか、どこ行ったとか

他愛もないこと。そんなことでも母は毎日電話がほしいらしい。

次、母に会えるのはいつになるのかな。

元気になって母に会いたい。頑張らなくちゃ。

ちょっと疲れてきました。 また体調のいいときに書こう。