母は先週の金曜日に初めて介護施設というものに入り、三夜そこで過ごしたあと「こんなとこ出ていったる」と言ったものの、そのときにはハッタリであった。一週間過ぎたばかりの金曜日、またもやなんぞ気に入らぬことがあったらしい。

 

施設からこんなメールが来た。

〇〇様もう帰るといわれて、怒っておられます。ドア開けてくれ、自分で帰るといわれておられます。」

日が暮れたあとで寒くなりつつあったので出かけるのが億劫な私は施設でどうにか子守してくれるのを願っていたが、第二信が「再度ご連絡申し上げます。〇〇様、お話させていただいておりますが、頑として帰るといわれ、食堂におられます。ドアを開けてくれ、自分で帰る。家は近いからといわれております。娘様が明日来られることもお話しましたが、関係ない、腹立っていると言われて、お部屋に戻ろうとはされません。返信の程よろしくお願い申し上げます。」と母が介護人を困らせているようなので、私は介護施設に向かった。

 

今日の昼間、私は母が所望した小さな整理タンスを運び込んだところだ。

タクシーで運ぶ意図を告げると、担いでこれないか、と言う母はまるでコンババ(根性ばば色)な姑である。

それをチャレンジと受け取って母のwalker を使って休み休みタンスを運んだにも関わらず、喜んでもくれなかったので、やはり尽くし甲斐のない人である。

 

 

午後7時を過ぎて、介護施設の事務所の前に来ると施設の経営者などの主要人物が勢揃いして話し合っているようだった。

「ご迷惑おかけします、」とあいさつをすると副社長さんが、「外に出してくれたら一人で帰る、と仰るんですけど、そんなことできないですしね」と言われる。

食堂に入ると暇そうにしている若い介護人が、私を見て「あ、」などという。

母は落ち着いた声で「もうここは嫌。家に帰る。家でシャワーでお風呂する。」と言う。その間にこの施設で働くひとたちがわさわさと食堂に入ってくるようすだったので、「お母さん、ここに居たら皆さんがお家に帰れないから、お部屋に行って話しようか」というと、「喧嘩するんやろ」というので、「喧嘩しないでお話きくから」と車椅子を回して部屋へ向かうと抵抗するでもないので、母をそのままあっさりと部屋にいれることができた。

 

なにがそんなに腹立たしかったの?と尋ねてみると:

  • 歯ブラシと歯磨きチューブのセットを、車椅子に付けた自分のバッグに入れられた。これはバッグに入れないで、食堂にある洗面台に置いといて欲しい。
  • 自分の味のりの缶を食堂に置いておきたかったのだが、海苔を喉につまらせて死亡する老人のケースもあるので、海苔は食堂に置いてはおけないと言われた。
  • 車椅子の後ろにオシメを入れたバッグをぶら下げられた。オシメを変えるのはたいてい自室であるか、または週に3回の入浴後に浴室の隣の更衣室でかなので、なぜオシメを毎時ぶら下げなきゃいけないのか。
  • 食事が物足りないときのためにカレー粉と海苔の佃煮を用意したが、食事時にそれらをテーブルに出してくれない。
  • 自室から食堂に行くときに、TVを消してと頼んだのにつけっぱなしであった。
などと、それぞれ些細なことで、その時介護にあたっているひとに丁寧にお願い・注意すれば、彼女の意図を覚えてくれそうなものだが、我慢できないくらい腹が立つそうだ。
 
それは私にとっては家事の進め方が微妙に母の嗜好と異なるお手伝いさんを連続的に首にした時期を彷彿とさせる。
 
あんたには会社員は到底務まらんな、おかん。。と思いついたことは言わなかった。このひとは誇り高い自営業者で、なんにん人を雇っても文句言って、何がしかの被害にあって解雇して、どの雇用者のこともありがたいと思えない人なのに、それでも雇われるより雇う側でいることが大好きなのである。人使いが上手とは決して言えない、人にどうしてほしいか伝えたり教えることができないおこりんぼだ。
 
母の言い分を聞いたあとで、「それぞれの介護人さんにいちいち説明していたら、いつかお母さんの好みに慣れてくれそうな気もがするけど、そうは思わない?」と尋ねると、「もうええわ。初めてだからやってみたけど、違うところやったらどうかなと思って」と言うので私は反論せずに、「ここはひと月前に退去する意志を伝えなきゃいけないから一月分はどちみち支払うことになるけど、一ヶ月待ってから移るの?それともお金払うだけ払って、できるだけ早く次のところへさっさと行きたい?」と尋ねる。
 
「はよ出たい。」と母
 
「じゃあ、ここの人たちには次見つかり次第引っ越しますと宣言して、介護施設紹介人のかたに連絡するね。それで、明日はお母さんの売りたい家具を家の方に引き取りにくるから、朝私がお母さんを迎えに来るけど、家具の引き渡しのあと、お母さんはここにまた帰ってきて、次のところへ移れるまではここに居なきゃ駄目よ。ほら、もう今夜はベッドに入っとき。」
 
車椅子の母と抱き合わせになるようにして母をベッドへ移す。脚を持ち上げて布団に入れ、靴下は履いたままで良いのか尋ねると、「今日替えたとこ」と的外れな返答。 母の体をベッドの上部にずらすために私もベッドに上がって母をまたいた状態で肩甲骨あたりを抱えて彼女の体を動かす。「私こんなしょうもないことで呼び出されるん嫌やで。」というと、「なにもあんたを呼ぶこと無いねん」という。
「私保証人やもん」
「保証人ならんでもええ。」と言う母が続けて「痒いから薬塗って」と言う。
「え、また?今日の午後にも塗ったよ」
「痒くてたまらん」
「イライラしてたら痒いのがもっとかゆくなるねんやろ。ちょっと、げ~したらごめんやで。」と私
「何げ~て?」
「晩ご飯食べてたら呼び出されてお腹いっぱいやのにこんな下向いてそんなん見せられてこんなことしてたら、うえってなりそう。」と私。
「ほなせんでええ」と言いながらも「腕も」「こっちも」と塗り薬を塗ってもらうのを待っている母。
 
「なにこれ、これ全部おしめ?」と母の下腹部にある大きな膨らみを押してみる。「なにかが勃起してるみたいやな」というと母がわははははと笑って「牛の金玉みたいやろ」と言う。
「牛の金玉てそないにでかいんか?見たことないわ。ほな明日の朝来るから、なんか幸せになれるええこと考えてよう寝えや。」
「ない!」と目を見開いて返答する母におやすみと告げて部屋を出た。
 
 
階下では介護施設の職員さんたちが心配そうに私を待っていてくれた。
些細なことで腹を立てているので何処へ行っても同じだと話してみたが、自分の金でいろいろ試すんだと言われればそれまでなので、次が見つかり次第退去するとゆうことで、まだ暫くの間よろしくお付き合いください。と説明した。「母の我儘な癇癪に振り回される介護施設の方々に申し訳ないと思う反面、私も保証人辞めますと言っておきました。皆さん遅くまでお疲れ様でした。」と頭を下げると、むこうも口々に「お疲れ様でした。気をつけてお帰り下さい。」と送り出してくれた。
 
鬼は外、福は内と豆を投げつけてやりたいひとの顔をあなたは思い浮かべることがありますか

 

I was supposed to be enjoying the Flower festival in warm Chiang Mai Thailand this weekend...

 

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