昨日まで母は介護施設Aに金曜日に入居するつもりであった。

 

しかし、今朝になって「もっと安いとこないんかな」「一旦入ってからもっと安いとこ探して移ればいいかな」と言い出したので、前に母が見学して気に入っていたと聞いた施設Bをもう一度見学に行った。

 

 

 

 

母は去年末、だから、私が日本へ呼び返される以前にその施設Bを見学したはずだが、どんなところだったか覚えていないという。

 

現地では「以前にお合いしましたよ」と迎えてくださった二人の職員さんに個室と公共部分を案内してもらったあと、皆でテーブルに座って母の介護ニーズに合わせた必要費用を提示してもらって長々と話をしたあとで「今晩ゆっくり考えるの?それとも今決断してあるの?」と母に尋ねると、「ここでよろしくお願いします。これは初めての経験なのでよろしくおねがいします。」と頭を下げてその決意を表明した。

 

施設BはAと比べて毎月の支払いが少ないので、安いところから体験して嫌ならひと月前に申告することで退去し他所へ移れば良いのだ、という理論。

 

先日契約書こそ取り交わさなかったけれども、金曜に契約・入居でお願いします、と言ってあった施設Aに変更を伝えるべく介護施設紹介人に急いで電話を掛けその旨を伝えると、すこし驚いていたものそちらからも変更を伝えてもらえるとのことで少し安堵した私。

 

 

介護保険を有効に利用するためには住民票を施設Bに移してくださいと言われたので、母の心がまた変わる前に、その足で区役所へ母と向かった。

 

役所で一仕事終わったものの、午後6時頃まで区役所で足止めにあい、すっかり暗くなってマイナス1度で冷たい風の吹きつける寒い街角で流れてくるタクシーを待つ。なかなかの空車が通らず、「あっちで待ったらエエねん」「こっちから来たから反対方向になるのになぜそっちに行かなあかんのん?」「あんたの手の振り方が悪いんや」などと車椅子の母が私を叱咤する。寒さと不安で機嫌がむらむらと悪化して喧嘩気味になっていたころにようやく捕まえたタクシーに乗って病院に戻ることができた。

 

あと2夜寝れば、お正月ならぬ、お引っ越し。

「病室に水分がないから肌が痒いんや」と訴える母の体の側面には湿疹のような、ダニにでも噛まれた後のような傷がたくさんあり、彼女は退院し環境を変える日を心待ちにしている。

 

あさって。

 

この連夜、私は彼女の寝具、タオルや衣類にマーカーでひらがな・カタカナで名前を書いた。

まるで新学期の準備をしているよう?

母はこのような作業を私の為にしたことがない。

私の父との離婚後すぐに働く女性として復帰し、社交生活にも忙しかった母は高齢女性を住み込みのお手伝いさんとして雇っていた。その人達が家事・料理、そして私の世話をしてくれた。先日発見したレトロな紙製の弁当箱だって、そんなおばちゃんたちが私に作ってくれたお弁当を彷彿させるものだった。

 

そんなおばあちゃんたちは、なんやかやの理由で首にされた。

例えば、酒を飲むとか、料理の細かい注文を聞いてくれないとか、掃除が下手だとか、何らかの理由でお手伝いさんが1年以上続くことは珍しかった。おじやに落とした卵が固すぎになるまで煮てしまうおばさんは、母に怒鳴られて泣いて母の寝室を飛び出し、そのあとすぐに辞めて去っていった。

 

母が家にいる時間は、どのお手伝いさんも私も、いつ母が爆発するかと怖い思いで過ごしたものだ。お手伝いさんが存在しない間は、私は近所のお兄さんたちとあそんだり、母の知り合いの家に数日お邪魔していたりした。私が中学2年の頃には「もうお手伝いさん要らんやろ。あんたが家事し。」と宣言され、家出を繰り返しながらも私が家事をしていた。

 

そんなだから、私が母の持ち物に名前を書く作業は感傷的になる性質のものではないけれど、なんだか不思議な性質のものだった。

 

10人部屋である母の病室にいる多くのおばあちゃんたちは、「娘さんがおってよかったねえ」「やっぱり娘ちゃんが一番やね」「ホントの家族愛やね」と毎日通う私と出かける母を羨ましがってくれている。家族の内情とはわからぬものだ。私はわたしに出来ることはすると決めたけれど、そんなに親孝行なわけでもない。

 

母が実際に施設に入ってからの感想を聞くのが楽しみなのだ。