母が大腿骨骨折した時、救急車を呼びました。


若い救急隊員の方は黙々と仕事をされていましたが、一番年上の多分隊長さん?は
認知症があって何が起こったか分からず不安で抵抗が激しかった母に、何度も「そんなに暴れたら病院に連れて行ってあげないよ」と

言いました。私には「手をしっかり押さえて下さい」と。
母の手をしっかり握りながら懸命に「大丈夫だからね」と声を掛けながら、とても悲しい思いをしたことを今でも覚えています。

 

 

次姉には母の容体がどんどん悪くなっていった2月頃に、母の手術の説明を一人で聞き、承諾書に署名したことを責められました。

「何故高齢で腎臓の持病があるのに手術したのか、一人で説明を聞き、一人で承諾書に署名したということは、全責任を一人で負うことにもなるのよ」と。

母の手術のことは骨折が分かった日に姉にも伝え、医師からの説明(手術をすることになること、認知症があるのでリハビリはあまり進まないかもしれないが、2か月~3か月で車椅子で帰れるように頑張りましょう、というような説明)や手術日もメールで伝えました。

 

メールしてから手術までは数日あったので、その時に強く反対の気持ちがあれば何か言って来たりすることも出来たはずです。

手術の日や時刻を伝えても来なかった姉が、医師の言葉の通りに回復に向かわず、どんどん状態が悪くなっていく母を前にして、私に気持ちをぶつけてきたのです。

 

次姉には母が骨折した時私がそばにいなくて、一人でテレビを見せていたことも責められました。

たしかに母は最近はテレビを見ていると混乱してきて、嫌がったり怖がったりしてテレビを叩いたりすることもありましたが、好きな歌番組を楽しんでいるように見えたので、その間に自分の家のことを片付けようと、40分くらいだったでしょうか自分の家に戻っていたのです。

その間に起こった事故でした。。。

 

これについてはケアマネさんには「いつ起こってもおかしくないことだったと思います」と言われ、友人には「そばにいたのに、お義母さんが転んで骨折したの」と言ってくれて、優しい言葉に心が幾分軽くなったものでした。

 

母が亡くなってもう2週間経ちますが、入院してから色々なことがありました。