side W



「バンジー、制汗剤貸してくれー」
「ん」


 スクールバッグからスプレー式の制汗剤をウナギに渡すバンジー。いつの間にこんな打ち解けたんだか。あんだけバンジーを毛嫌いしていたようなウナギだったのに。いつの間にかって言えば、5月初めの頃にバンジーの家に行った時か。
 あの日、俺とウナギとバンジーと、アキチャとムクチと5人で色々と話したんだ。……訂正。俺とウナギとバンジーとアキチャとで4人。ムクチは何も話してない。あいつは頷いてただけ!
 何で馬路須加に来ようと思ったのかとか、大島軍団とラッパッパの抗争のこととか、趣味とか好きな物とか、とにかく他愛もないこととか。沢山話して、バンジーのお母さんに御飯作って貰った。めっちゃ美味しくして、超満足だったな。あんなに美味いもの食ったことない。うちのおかん?まぁ普通なんじゃん?そのままバンジーの家に泊まって、映画の一本でも見れば仲は深まるもんだろ。『大草原の小さな家』は、俺の趣味じゃなかった。


「6月って梅雨じゃねぇのかよっ、暑ぃっ!」
「ガチで暑いな……」


 窓から外に向かって叫ぶアキチャを横目に、机に突っ伏す。暑いんだよ、マジで。何なんすか、この暑さは!梅雨は梅雨なんだとは思う。今日だって朝は小ぶりながらに雨降ってたし。けど、昼になって急に晴れた。梅雨の合間の晴れ。さすがにもう季節は夏らしい。夏らしくて、夏らしく気温上昇中。
 一匹狼を止めたバンジー。俺らと一緒にいるようになった。まぁチームだし。一匹狼だった奴だし、どうなるかと心配ではあったけど、すんなり打ち解けてる。一人とか団体とか、あんまり気にしない奴なんだな。バンジーが完璧に仲間になったわけで、クラスの中では最大勢力ということになってる。


「お、喧嘩か?」
「マジで?」


 顔を上げて、窓から校庭の方を見てみると、1年生同士で喧嘩していた。またあの2人か。制服の上に着物を羽織った変な格好の2人組。顔にも変なメイクをしてて、1年の中でも目立つ存在感。そして相当な喧嘩の腕だ。2人して喧嘩慣れしている。青と赤の着物。人呼んで


「歌舞伎シスターズじゃん」


 誰が呼び始めたのかは知らない。もしかしたら自分たちで名乗り始めたのかもしれない。直接的に関わったことは無いからよくは知らないけど、喧嘩とは言えないぐらいに卑劣なことをするとかなんとか。凶器でも使うんだろうか。どっちにしても、今現在の1年の中では一番名を上げている。
 そして歌舞伎シスターズと同じくらいに名を上げているのがガクランだった。学ランを着た男装野郎。誰とも徒党を組まない一匹狼。直に学ランの喧嘩を見た訳じゃないけど、かなり強いらしい。俺らの学年でも頭角を現す奴らが、どんどんと名を上げ始めている。


「私らも、ラッパッパに入るんならこんなとこでのんびりしてる場合じゃないだろ。なぁ、ヲタ」
「まぁなー……」


 ラッパッパを目指すのであれば、名を上げることは必要だ。つまりは自分達の強さを示すこと。俺らってばこんなに強いんだぜ?ヤンチャなんだぜ?って、校内のヤンキー達に名を売り込むこと。
 いやいや、売り込むも何も俺らってそんなに強い訳じゃないだろ。歌舞伎やガクランとは訳が違う。蚤の心臓を5つ集めたところで、人間の心臓一つ分にも見たないだろうが。それに名前だけならとことん売り込めてると思う。無駄に広まってると思う。


「そういや、最近ラッパッパの動きとか聞かないな」


 俺らってば無駄にラッパッパに関わっちまってたりするからさ。優子さん達と変な縁があるからよ。校内に名前は広まってるはずだ。チーム名も無いような新入生の一団。ヲタと愉快な仲間達なんて感じで。まぁ実際は全然愉快でも何でもない訳で。この一ヶ月は何も無かった。いや、何も分かった訳でもないか。結構ヤンキーに絡まれたりした。校内外問わず、結構。2日に一回は喧嘩するぐらいの頻度。平日だけ。愉快な仲間たちと一緒に喧嘩してたりする。
 お陰で拳が少し硬くなった。生傷が絶えないし、新品だったセーラー服にも汚れが目立つ。今度の休みにクリーニングにでも出さなくちゃな……。


「大島軍団に動きがないんじゃ、必然的にラッパッパも動かねぇだろ」
「そんなもんかなぁ……」


 そんなもんでもないと思うんだ。ひきこもりがちのハナさんはともかくとして、シンディさんは行動派だとか聞くし。ラッパッパの動きも、大島軍団の動きも、めっきりと聞かなくなっている。シンディさん、ハナさん他、四天王も部長も副部長も。もちろん優子さん達も。息を潜めているのか、相手の出方をうかがっているのか。どちらにしても嵐の前の何とやらって奴だ。
 けど風の噂でも聞く。優子さんが街のゲーセンでレースゲームやってたとか、クレーンゲームで景品が取れないのにいらついて機体を思い切り蹴ったとか。大島軍団の面々がゲーセンを飛び出していくのを、マジ女の生徒に見られていたらしい。優子さんならやりかねない。


「俺達も売り出してみるかー」
「どうやってだよ」
「ラッパッパを倒すとか」


 バンジーをのぞく3人から一斉にチョップを喰らった。いや、あの、思いっきりやらなくても良いじゃん。どう考えたって冗談に決まってるじゃん。大島軍団のことを考えてたらちょっとだけ強気になっちゃっただけじゃん。


「冗談じゃねー!!ふざけんなー!!」
「私らが勝てるわけねーだろっ!!」
「!!」
「ムクチ、言いたいことあるなら口に出せ!」


 次のツッコミはムクチに向くのだった。そりゃ口をパクパクさせながらチョップして来るようじゃ突っ込みたくもなるわ。鯉じゃねーんだからよ。つか、そろそろ普通に喋れよ。


「うんうん、ふざけたことぬかしてんじゃねーよ、カス」
「えっ?」


 いきなり言われると心苦しい毒舌に振り向くと、目の前の席に女が座っていた。まるでずっとそこにいたみたいに。最初からそこにいたみたいに。ごく自然な風にいた。とてつもない美人。前髪を分けたショートカット。マジ女の生徒とは思えない、ごく普通の制服の着こなし。優雅な笑顔。
 何かの見間違いかと思った。こんな人がマジ女に、俺の目の前にいるはずがないと、そんな風に思った。


「てめーじゃハナにも勝てねーよ、ゴミ」


 また言われた。とんでもない毒舌。そんな笑顔で言わなくても良いじゃない。しかも高い声。アニメ声って奴だ。聞く人が聞けば鼻に付くだろうって声。俺自身は別に気にならないけどさ。好きなアイドルとかこういう喋り方するし。


「だ、誰……?」
「誰も何もねぇ……」


 また振り返る。バンジーが壁に寄りかかりながら、強い視線で優雅な笑顔の女を見つめていた。っていうか睨んでいた。良い雰囲気じゃない。その目付きだけで、女が何者なのか察することができる。
 優雅な笑顔だったはずなのに、また見たら恐怖しか湧きあがってこない。何なんだよ。俺ってば本当に不幸かよ。不幸の星の下にでも生まれたのかよ。


「ラッパッパ四天王……、マーメイド・セリーナ!」


 それにしたって、いきなり過ぎやしないか?





side G



「暑い……暑い……暑い……」
「暑いのはわかったから少し黙れよ……」


 シブヤに怒られた。
怒られたけど、別に怖くない。優子さんじゃないし。
優子さんは怖くない。でも強い。凄い。優しい。
 6月は雨が降ってばっかり。今日も降ってた。
朝から降ってて、さっき止んだところ。空、晴れてる。
雨上がりの匂いだ。雨上がりの匂いとシブヤの匂い。
ツユだっけ?雨が降るのはつゆだからってブラックが言ってた。
 学校の中は、今日もたくさんのヤンキーが歩き回ってる。
まじすかじょがくえんはそういうトコ。ヤンキーがたくさんいる。
ヤンキーの匂いがたくさん。血とかキンゾクとかケショウの匂いとか。
たくさんの匂いな中でも、あの匂いだけ見つからない。あの変な匂い。
たくさんと戦ったときに匂う、いっぱい血が混ざったみたいな匂い。
血と汗と人の匂いが混ざったみたいな。


「喰らえぇっ!!」


 ガツンって、頭をナグられた。痛い。てつパイプ?それともカクザイ?
ナグられたとこ触ったら、ヌルッてする。血の匂いがする。痛い。


「はっはっは!狂犬仕留めた!!」


 笑い声。誰だか知らない声。ヤンキーが笑ってる。
見たことないヤンキー。イチネンセイだと思う。だって知らないもん。
でもイチネンセイでもニネンセイでも、皆同じにしか見えないや。
とにかく楽しそう。私を殴って、楽しそう。嬉しそう。笑ってる。


「クソガキ……!」


 シブヤが隣で怒ってる。殴られたの、私なのにな。
何でシブヤが怒ってるんだろ。シブヤはいつも怒ってるけど、優しい。
そういうところ、優子さんに似てる。匂いは全然違うんだけど。
 それより、頭が痛い。ズキンズキンって痛い。


「血だぁ」


 血だ。
血だ。血だ。血だ。血だ。血だ。血だ。血だ。血だ。血だ。血だ。
血を見てると、ニヤッて笑っちゃう。嬉しくなっちゃう。
何で?だって、血って温かいじゃん。寒くたって、温かいじゃん。





side Sb



 狂犬ゲキカラ。狂った犬か。子供っぽくて、幼稚な奴かと思ってたけど、なるほどな。こりゃ確かに狂ってるわ。血まみれになってニヤニヤしてるし。
 背後から不意打ちしてきたヤンキーは5人組だった。5人組で、私らと同じ二年生。チームを組んでたんだろうな。揃って似たような髪型してたし。どんな髪型かって言えば……どんなだったろう。もう忘れた。


「ねぇ……怒ってる?」


 ゲキカラがニヤニヤしながら、血まみれのヤンキーの髪を切り刻んでる。どこかから取り出したハサミで。目の前で、楽しそうに。5人が5人とも、廊下に転がってる。壁や床には固まり始めた血がこびりついてる。折角整えたであろう髪も、こうなっちまえば何も残らねぇな。
 ゲキカラの問いに、ヤンキーは誰一人答えない。答えられない。気失ってやがる。この光景には呆れるばかりだ。驚く?恐れる?そんなことは全くない。私だってこういうことには慣れてるからよ。これでもヤンキーなんだ、根っからの。


「一人ぐらい残しとけよ……」
「何か言った?」
「……別に」


 こいつは敵に回したくないな。負けはしないけど、勝てるかもわからない。こいつの場合、攻撃を読むとかそんなことが出来やしないし、とにかく体力が半端ない。どっちかって言えば体力に自信のある方じゃない私だから、勝てるかわかんねぇ。髪も切られたくないし。


「うーん……」


 ゲキカラが急に立ち上がって首を傾げた。髪を着るのに飽きでも下のか、それとも別の何かか。全く何考えてんのかわからん。ゆ、優子さんやブラックなんかはどうしてわかるんだか。


「ゲキカラの考えなんて読もうと思って読めるもんじゃない……」


 サド……さんに聞いたらそんな風に言ってた。それが普通なんだろう。まぁ幼稚な奴だから、子供とでも思ってりゃそれで良いんだろうけど。


「どした?」
「違うなぁー……」
「また匂いかよ」
「うん」


 血まみれの爪をカリカリと髪ながら頷く。爪を噛む癖が何の意味があんのか知らねぇ。爪が美味しいのか、それとも爪に付いた血が美味しいのか。どっちにしても私の趣味じゃねぇ。爪は飾ってこそのもんだ。
 最近こいつは匂いだかに拘ってる。匂いってなんだよ。いくら嗅いでみたって雨の匂いぐらいしかしねぇし。狂犬って……実は狂ってるって方よりも、犬って方から付いてるんじゃねぇだろうな。血の匂いとかわかるわけない。


「でも違う」
「もっと嫌な匂いなんだろ?」


 コクッと頷いて、ゲキカラは持ってたハサミを放り投げた。気を失っているヤンキーの傍に勢い良く落ちる。おいおい、刺さったら死ぬぞ。さすがにそれはヤンキーの度を越している。
 本当によくわかんねぇ。ゲキカラって奴は。こんな動物を、優子さんはどうやって手なずけたんだろうか。もしも仮にだ。もしもこんな奴が私のサークルにいたら……。そんなことを考えると複雑な気分になる。


「っ!!」


 ゲキカラが急に顔を上げた。何かに反応するように。それはまるで家鳴りを聞いた猫のように。……犬の次は猫かよ。なんて思うよりも先に、野生の勘が働いた私もなかなかのもんだ。
 廊下を走り出すゲキカラ。くそっ。嫌な予感しかしねぇんだよ。





side G



 匂い。どんどん強くなる。
嫌な匂い。血みたいな。優子さんにも似た匂い。
でも優子さんとは違う。好きじゃない。嫌いだ。
どこにいる。どこにいる。どこにいる。


「おいっ!」

 急に肩を引っ張られた。シブヤに。

今日はシブヤと一緒。ブラックはトリゴヤと一緒。
シブヤは、最近よく一緒にいる。嫌いじゃない。
怒るけど、たまに優しい。辛いおセンベイくれるし。


「これ以上行くなっ」
「んー?」
「階段上ることになるぞ」


 目の前には階段があった。
階段。暗くて嫌な匂いが続く階段。
この匂い、ラッパッパの匂い。ラッパッパの誰かの……。
なら、今すぐにでも消しちゃえば良いじゃん。
殴っちゃえば良いじゃん。倒しちゃえば良いじゃん。
誰か知らないけど、臭くてたまんないし。
 シブヤの手を振りほどこうとする。
でも離れない。シブヤは、手の力が強い。
ボクシングか何かをやってたんだって。
私と違って、お家がお金持ちだから。


「優子さんに怒られんぞ」
「でも、嫌な匂いする……」
「最近そればっかりだな」


 学校の中でこの匂いを見つけるのは大変だった。
他にもたくさんの匂いがあるし、この匂いはあったり無かったりだから。
見つけるのが難しい。やった……、やっとこの嫌な匂いを消せる。


「おいっ」


 廊下の向こうからサドさんが歩いてきた。
こんなに暑いのに毛皮のコートをはおってる。袖は通してないけど。
何だか怖い顔。サドさんは、優子さんと違っていつもあんな怖い顔。


「それ以上階段に近づくな。優子さんの言いつけだぞ」
「……」


 いやだ。こんな匂いは嫌いだ。怖い顔も嫌だ。
怒ってる。私を……、怒ってる。嫌だ。匂いも、怖い顔も……嫌だ。


「怒ってる……?」
「お前が進むなら、怒る。私じゃなくて、優子さんがだ」


 優子さんが……怒る。それも嫌だ。
シブヤがまた、私の肩をぎゅっと掴む。
戻ろうって、そう言われたような気がした。





side W


「人魚姫……!?」
「だからてめーの仲間がそうだっつってんだろうが、頭空っぽかよ」


 何だろう。そんな優雅な笑顔で毒舌を言われても、怒りが込み上げてこない。むしろ呆気に取られてしまう。本当に目の前のこの人がそんなことを言ってるのだろうかって、そんな感じ。ギャップ萌え的な。優雅な笑顔にアニメ声。ハナさんとは違って、また別の意味で四天王とは思えなかった。全くと言っていいほどに、ヤンキーには見えないし。


「な、何の用ですかっ……?」


 アキチャが口を開いた。急過ぎる登場に呆気に取られ過ぎて、聞くのすら忘れていた。ただただ恐怖に似た感情だけが支配してくる。こんなに暑いって言うのに、背筋がゾクゾクする。ギャップ萌えから来る、謎のようなもの。何をしでかしてくるか予測ができない。
 マーメイド・セリーナ。人魚姫。ラッパッパ部員にして、四天王の一人。本名は……不詳らしい。教職員に聞けばすぐにわかるのだろうけど、噂じゃ教職員にすら口止めしているとかなんとか。じゃあセリーナって何か。何かって言えば、芸名って奴なんだろう。声楽を習ってるとか何とかで、その世界じゃ有名だとか。


「廊下歩いてたらこいつの声が聞こえて来たんだよ、ウスラバカ」


 ウスラバカと呼ばれたアキチャは少しカチンと来たらしい。来たらしいけれど、何も出来ずに怒りを飲みこんだ。そうするのが正解だ。得体が知れない以上は手を出すべきじゃないし、こっちから仕掛けるのは間違っている。


「いや、あの!あれは冗談で!」
「当たり前だ、てめーらがラッパッパに手を出せるとでも思ってんのか、ミジンコ」


 セリーナさんは毒づかなくては生きていけないのか、人の悪口を言うのが癖らしい。何かもう、欝な気分にさせられるには十分過ぎる。そうです、俺がミジンコです。
 と、俺の前の席の主が教室に入ってきた。ガラの悪い奴で、それ以外はよく知らない。思えば、クラスメイトのことなんてウナギ達以外よく知らねぇな。知る必要も特には無いけどよ。


「人の席で何やってんだよ、お嬢ちゃん」


 えっ。こいつ、四天王のこと知らねぇの……?って偉そうに出来る訳もない。俺自身知らなかったんだから。普通に見れば、セリーナさんなんて、こいつが言うようにお嬢ちゃんにしか見えない。何も知らなければ、もしかしたら手を出していたかもしれないんだ。バンジーが知っていたからこそ、手を出していないだけ。


「あ?この汚ぇ席はてめぇの席かよ、ゴリラ」


 ゴ……ゴリラ。悪口としては結構突き刺さる部類だ。これにはカチンとくるだろう、どうだ、どうなんだ、1年生!ってキレてるーっ!!そりゃ、そうだーっ!!言われてカチンと来ない方がおかしい!明らかに眉間にしわを寄せて、今にも拳を振ろうとしている!
 なんて脳内実況を繰り広げては見るものの、教室内には緊迫した状況が広がっていた。当然だろう。この人が四天王の一角とさえ知っていれば、この状況がどんなものなのかがわかる。バンジー以外にも、この人が人形姫であることを知っている。……つまりは入学当初から今までに、階段を上ろうとしたわけだ。
 次の瞬間、1年の方が腕を振り上げたように見えた。見えただけ。また次の一瞬には、マーメイドの右足の裏が1年のお腹に密着していた。大きな音を立てて、1年が教室の真ん中まで転がる。


「歯ごたえゼロだ。調子に乗るなよ、ゴミ」


 その声は多分、1年には聞こえていない。鳩尾を思いっきり蹴られたんだ。痛いとかそんなこと思う前に、あの威力じゃ気絶して当然だ。誰もが息を飲む一瞬だった。瞬きしたことすら後悔してしまう。


「お前も来るか?ミジンコ」
「……い、いえっ」


 こんなのと勝負しようなんて、想像することすら間違ってる。ましてや口に出して言うなんて。ハナさんと良い、この人と良い、四天王は得体が知れない人の集まりなのか?シンディさんがまだまともに見えるくらいだ。あんだけボロボロにされたんだけどよ。


「そんな度胸も無いくせにラッパッパ目指そうとか、蛆虫以下だ」


 そう言いながら、セリーナさんは椅子の上に立ちあがる。優雅な笑顔に……見下ろされる。見下ろすその笑顔は、不敵な笑みだ。この笑顔……、どっかで見たことがある。どこだっけ。誰かの笑顔に似てる気がするんだ。狂気に満ちたような、笑顔。


「てめーの力を知れ。お前らなんかに階段は登れねー、燃えもしねーゴミ共」
「黙って聞いてりゃ舐めやがって!!」


 ウナギが強く机を叩いた。振り返ると、ウナギとアキチャとバンジーがガンを飛ばすようにしてセリーナさんを睨みつけていた。おいおい、ふざけんな。お前ら、自分達の実力分かってキレてんのかよ。ムクチもムクチだ。頬っぺた膨らまして、見るからに怒ってますよ!私だってキレてますよ!みたいな顔してんなよ!


「何が人魚ひ」
「やめろっ!」


 何とか止めなくちゃと、ウナギの前に右腕を上げる。止めなくちゃ、こいつらは止まらない。また……シンディさんの時のように、こいつらがやられるのは黙って見てられない。だってよ、ほら、上げた右腕が震えてんじゃん。どうせここでセリーナさんと闘ったって、俺は……私は何もできない。私がリーダーなんだから、一番しっかりしなくちゃいけないのに。


「ヲタ……!!」
「俺らが5人いようが勝てねぇっ」


 ヒューッ、と高い音が教室に響く。セリーナさんが吹いた口笛。甲高く、そして綺麗な音。それはメロディーを持っているようにも聞こえる。さすがは人魚姫と言ったところか。毒舌だが、音楽の才能は本物のようだ。


「ははっ、胸糞悪いぐらいに正しい判断だよ、ヘナチョコ」


 ヘナチョコ。それは優子さんが俺を呼ぶ時に使う言葉。何だろう。セリーナさんは毒舌のつもりで言ったのだろうけれど、不思議と評価された気分だ。悪口ばかり言われて、胸糞悪くなってるのは俺らの方だって言うのに。


「入学早々、注目された理由がよく分かった。大島優子との繋がりもできるわけだ」
「えっ……!?」


 そ、その辺りは誤解が解けたんじゃ!いや、確かに優子さん達との繋がりが無い訳じゃないけど、でも!セリーナさんと思いっきり視線があった。心を捕われるような不思議な視線。その目は、人魚姫と言うよりどちらかと言えば……海の魔女。心を捕われ、声を奪われる。俺は唖然として、声が出せなかった。


「くくくっ、図星か、脳無し」
「い、いやっ!」
「安心しろ。てめーらみてーなのは相手にしねーよ。喧嘩したって面白くねー。骨無しに骨のある喧嘩なんかできねーだろ?」


 はい、その通りです。俺みたいな骨無しチキンは手を上げられません。負けるってわかってますもん。そんな無謀な喧嘩しませんってば。つか、骨無しチキンって唐揚げか何かかっ!と、心の中でつっこんでみる。


「なら何でここに……」
「だからてめーの声が聞こえたんだよ、ウスラバカッ!!」


 セリーナさんが言い終わると同時に、大きな音を立てて椅子が飛んできた。今さっきやられたヤンキーが目を覚ましたのかと思ったが、どうやら違うらしい。っていうか違う。廊下の方から飛んできた椅子は、一度も床に落ちることなくそのまま窓ガラスを突き破った。ガシャンと。そりゃーもう見事に。
 そんな椅子をセリーナさんは机の上に立ったままヒラリと避ける。避け方すらも華麗と言わざるを得ない。


「どこの馬の骨かと思えば、玲奈じゃんかよ」


 椅子を投げ飛ばしたのは、ゲキカラさんだった。暴れ馬のように鼻息を荒げている。それは今までに見たことが無いぐらいにイラ付いているゲキカラさんだった。あぁ、そうか。誰かに似てるようなセリーナさんの笑顔は、ゲキカラさんの笑顔に似てるんだ。狂気という言葉がとても似合っている、あの笑顔。
 ってか、ゲキカラさんって玲奈って名前なんだ……。その印象と違って、また随分と可愛らしい。





side G


 何がニンギョヒメだ。
何がマーメイドだ。偉そうに。
あいつはいつだって、私のことを見下してるんだ。
初めて会ったときから。ずっとずっとずっとずっとずっと!
 シブヤと一緒に、ロウカを進む。
むしゃくしゃする。イライラする。
匂いのもとがもう目の前にあったのに。
あとちょっとなのに。匂いを消したい。
この大嫌いな匂いを、けしさってしまいたい。
けどそれは許してもらえない。
サドさんでもシブヤでもない。
優子さんに許してもらえないんだ。
優子さんが怒る……。怒られちゃう。
そんなフクザツな気分の時にあいつがいたから、怒った。
私が、怒った。近くの教室にいたあいつに、椅子を投げた。


「そんなん当たらんよ、玲奈」


 ふははは、っておかしそうに笑う。むかつく。
あいつの匂いも嫌いだ。胸がざわざわする。
殺してやりたい。ちょっとだけあの匂いもする。
当たり前。あいつもラッパッパだもん。
あいつも、あの階段を上ったり下りたりしてるんだ。
匂いはするはず。してトウゼン。


「何やってんだ、ゲキカラ!!」


 シブヤがまた私の肩を掴む。
怒ってる?怒ってるだろうね。ふふっ。
ふはははは。何だかテンション上がってきた。


「騒ぎを起こすなって言われてんだろっ!!」
「サワぎ?でもラッパッパがそこにいる」


 指さした先に、あいつがいる。人魚姫。
昔から知ってる、私の大嫌いな人間の一人。
イチネンセイの教室?そんなこと知るかっ。


「相変わらず狂ってるなー、玲奈」
「その名前で呼ぶなっ!!」


 嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。


「大嫌いだっ!!」





side Sb



 ゲキカラがこんなにイラ付いてるのなんて初めて見た。いつだって訳わかんねぇ奴だけど、今日はいつにも増して訳がわかんねぇ。
 ラッパッパ四天王の一角、マーメイド・セリーナ。奴もまた、ゲキカラ同様に狂ってるとか聞く。まともに見えて、悪い噂ばっかりだ。声楽だか何だか知らねぇけど、裏の顔は真っ黒なんだろ。マジ女にいる時点で、黒くて当然なんだろうけどよ。


「あー、悪い悪い。今はゲキカラだったか?」


 得体が知れない。けどひとつだけわかることは、ゲキカラとマーメイドの間に何かがあったってことだ。馬鹿の私だってそれぐらいはわかる。だってゲキカラの本名を知ってるんだから。私だって知らなかったゲキカラの本名だ。知ろうとも思わなかった。玲奈か。可愛い名前じゃんかよ、狂犬。
 って、そんなことを考えてる場合じゃない。優子さんには、ラッパッパと関わらないようにしろって言われてんだ。ラッパッパに関わらず、校内の情報を集めろって。けどよ、元々そんなん無理なんだよ。だってゲキカラと一緒なんだからよ。狂犬のリードは、ブラックほど上手くは引けねぇ。


「うあぁぁっ!!」
「挑発に乗るなっ!退くぞっ!!」


 椅子の次は机でも投げようと思ったのか、机を掴むゲキカラを止める。優子さんに従ってばかりいる訳でもねぇが、ここでトラブルを起こすのは良い予感がしないんだ。
 しかし、そこはゲキカラ。私が思っている以上に力が強い。怒りだか憎しみだか、この無駄なエネルギーのもとが何なのかはわからんけど、ちょっと強過ぎやしねぇかっ!?私はウェイトがそこまであるわけじゃねぇんだよっ!!


「くっ……!!」


 押し退けられた。屈辱だ。1年の教室に尻もち付いちまった。と、咄嗟に顔を上げると、マジでビビった。見たことあるか?机が鼻の頭ギリギリを飛んでく光景。普通じゃねぇ。私もろとも巻き込まれるとこだっつーんだ、ふざけんなっ!!


「はっはっはっ!!相変わらずイカれてるじゃねぇかっ!!」


 鼻に付くような声で、マーメイドが笑う。窓を突き破る音はそりゃあ物凄い音だった。周りにいた1年もさすがにこの事態に恐れをなしたのか、教室の端に避けている。その中には見知ったような顔も居たけど、誰だったっけか。見覚えはあるんだが、忘れちまった。


「ぶっ殺す!!」
「お前はぶっ殺すつもりでも、私は逃げるぞ。こっちも言い渡されてんだ、部長にさ。そっちも大事にしたくないはずだっ。なぁ、友美ちゃん」


 一瞬誰に話しかけてんのかわからなかった。はっ?って頭にハテナが浮かんだ。けどすぐに頭がはっきりとする。私の名前じゃねぇか。何であいつはそんなこと知ってんだよ。マーメイドの方に振りかえると、それはもううざってぇ笑顔だった。ゲキカラじゃなくてもぶん殴ってやりたいような、見下すような笑顔。
 けど、ここで挑発に乗ってたまるかっ。あいつはこの場を治めようとしてる。しかしただの振りだ。実際はさらに事態を大きくしようと狙ってる。そんな笑顔だ。


「私はゲキカラほどじゃねぇっ」
「……なーんだ、つまんなっ!」


 何がつまらないだっつーんだよ、ふざけんな。こちとらゲキカラを抑えるのに必死なんだよっ!!


「まぁ良いや、何か飽きた」


 マーメイドはそう言って、机の上で大きく欠伸を吐いた。飽きたって偉く呑気だけど、この場からどうやって逃げるんだよ。入口はゲキカラがおさえてるんだ。簡単には出られないぞ。
 なんて、もっと簡単な答えを私は無視していた。やつの真後ろには窓がある。ゲキカラによって破られた窓が。ここが3階だからって、考えから外れてたんだ。まさか、マーメイドがそこから飛び降りるだなんて、想像も出来ないだろ?