side W



「何であいつが付いて来んだよ……」


 アキチャとウナギが呆れた顔をするのもわからなくはなかった。私……俺れらのチームに妙な因縁を付けては追いかけ回してきたんだからな。殴られもしたし暴言も吐かれたし、そりゃ呆れもするだろう。むしろ俺がこいつらの立場だったらキレるとも思う。きっとキレる。多分キレる。絶対にキレる。


「まぁ良いじゃねぇか」
「良くねぇよ!ヲタ、お前はあいつに偉い目に合わされただろうが!」


 いやいやいやいや、ウナギさん。偉い目も何もあいつとタイマン張ってる時にラッパッパが乱入してきたって話であって、別にあいつのせいじゃない。単に運が悪かった。俺の運が悪かった。入学初日から矢場苦根に絡まれて、3日目にはトップ集団から目を付けられる。そしてついには集団リンチだ。運が悪いと言わずして何と言えば良いんだか。
 とは言え、良いことだってその分あったんだ。ウナギとムクチとアキチャという仲間ができた。と……友達って言って良いんだろうか。一緒にいる仲間ができた。優子さんのような人達にも出会えた。そして、素直じゃないけど。不貞腐れてるけど。バンジーが俺達4人の少し後ろを付いて来ていた。


「俺はお前を仲間だなんて認めねぇぞ!」


 ウナギが立ち止まって、バンジーを指さした。右手の人差し指を真っ直ぐバンジーに向ける。橋の上。入学式の日に、優子さんが降ってきたあの橋の上。矢場苦根の溜まり場が近くにあるってのは分かってる。けど、何となく今日は大丈夫なんじゃないかなって野生の勘がそう言ってる。


「知るかっ」


 バンジーはそっぽを向きながら、吐くようにそう言った。うわー。バンジーはバンジーで愛想悪いなー。なんでそこまで愛想悪いのに俺達に付いてくるんだか。まぁ誘ったのは俺なんだけどさ。こんなにも素直に……素直に?素直かどうかはわかんないけど、付いてくるもんだとは思いもしなかったんだ。
 いばらの城から抜け出して一週間。騒動は想像以上に沈静化していた。まるで何事も無かったんじゃないかってぐらいに。俺達が無関係であることを優子さんが言ってくれたからだろうか。この一週間、ヤンキーに絡まれること無く普通に学校生活を送っていた。


「何だと、こらっ!」
「止めろっての」
「喧嘩なら買うぞ」
「バンジーも落ち着けって!」


 何でこいつらはここまで気が短いんだか。俺と違って根っからのヤンキーなのかもしれない。……って、ウナギは俺と同じビビりだったはずじゃないか。それにバンジーよぉ、少しは性格丸くなっても良いじゃんか。一週間も休んだんだからよ。
 バンジーはこの一週間学校に来なかった。ラッパッパの猛攻に恐れをなしたのか、それとも猛攻によって負った怪我が酷かったのか。一週間ぶりに学校にやってきたバンジーを見れば後者であることは明らかだった。袋叩きにされて残った顔の腫れは引いていなかったし、右脚には包帯を巻いている。見てると少しだけ歩き辛そうだ。


「よ、よぉ……」


 今朝、バンジーはゆっくりと歩きながら、不貞腐れたような顔をして教室に入ってきた。窓際のムクチに席の周りに集まっていた俺達の4人のすぐ傍を不機嫌そうに通り過ぎる。そんなバンジーに、俺はダメ元で声をかけてみた。いや、何となくさ。ここは声かけるべきかなって思って。別に敵じゃないし。もちろん味方でもないけど。一緒にラッパッパにやられた仲なんだから、何となくそんな意識が芽生えちまった。どうせバンジーのことだし、こんなことしたって無視されるんだろうとムクチ達の方に向き直って


「おぅ」


 小さな声でバンジーがそう返事をした。まさかバンジーが応えるなんて思わなくて、呆気に取られたまま今日一日を過ごしてしまった。一週間前は、結局ほとんどなにも話さないままだったから。喋るのもやっとなぐらいにボコボコにされたから。
 で、何処行く宛ても無く4人で帰ろうとしてたら今度はバンジーの方から声をかけられた。


「……お前、何でそんなピンピンしてんの」
「えっ?」


 ピンピンって、そんなにピンピンしてるか?これでもまだ傷とか残ってて痛いんだけどな。痣も沢山あるし。まぁバンジーみたいに歩きづらいとかそんなことは全くもってないんだけど。


「てめぇの身体はどうなってやがんだ……」
「ヲタが丈夫なんじゃね?」

 そう言ったのはアキチャだった。アキチャはウナギと違って、バンジーが話しかけてきてもいつもみたいに能天気にしていた。まぁアキチャだしな。沸点が低いのはウナギとあんまり変わんねぇけど、沸騰しにくいらしい。と言うよりはどうやったら沸騰するのかがわかんねぇ。


「ていっ」
「ひゃんっ!」


 アキチャが急に俺の脚を掴んだ。スカートの下から露わになってる俺の脹脛を。急に触られたせいか、奇声が出てしまった。奇声過ぎて周りの4人が俺をマジな目線で見つめていた。恥ずかしい……。
 奇声が恥ずかしすぎて、逃げるように小走りのまま帰り道。バンジーが付いて来て、そんでウナギがキレてる。素直じゃないけど付いて来るバンジーが嬉しいし、俺のことを心配してくれるウナギの気持ちが嬉しかった。喧嘩はしないでくれたらありがたいけど……まぁそうもいかない。


「本当に仲間にすんのかよ!」
「あぁ」


 何か騒動に巻き込まれる時に、一人でも仲間が多い方が頼もしい。バンジーなら腕っぷしも強いし、俺達に無いような度胸だってある。俺達が変われるかもしれない。そして一匹狼のバンジーが、もしも、もしかして心を開いてくれたらそれも嬉しいなって。……ヤンキーらしくねぇな。


「……勝手にしろ!」


 そう言うとウナギは一人早足で先を歩いていく。おいおい、一人で行くんじゃねぇよ。また矢場苦根さんに絡まれたらどうすんだっての。バンジーが早く歩けないんだしよ。


「アキチャ、ウナギを一人にすんな」
「りょ!」


 アキチャはまた能天気に敬礼をしてウナギの後ろを付いていく。まず了解を略すなってことと、敬礼は左じゃないぞ。ちゃんとやるなら右でやれって。


「……っ!」


 振り向くと、バンジーがちょうど道端の小石に蹴躓く瞬間だった。小石なんかに蹴躓くなんて、一匹狼が可愛らしいじゃん。なんてことを考えている場合でなく、なかなか危ない状況だった。右脚ケガしてて不安定なんだから、危ないに決まってる。
 と、俺が手助けに入る前にムクチがバンジーの上体を抱きこんだ。


「……わりぃ」


 バンジーはムクチに助けられて、決まりが悪そうな表情だった。人に助けられ慣れてないんだろう。少しだけ、頬が紅くなってる。





side Y



「な、なんでシブヤがいるのっ……!?」
「いちゃ悪ぃのかよっ!」


 トリゴヤにつっかかるシブヤの声が教会の礼拝堂に響いた。ブラックの家である教会。町の片隅に教会はあって、そこが私達5人、いや6人の溜まり場になっている。神聖なとこでヤンキーが集まるなって?何言ってんだ。神聖なとことか髪とか仏とか言う前に、ここは友達の家なんだから良いじゃんか。ブラックだって、気楽そうに長椅子に腰掛けて本読んでるし。ゲキカラなんて祭壇の上で寝てる。何かしらの罰が当たるなら、きっとあいつが一番だろう。いや、ゲキカラだけはどうにも許されるような気がした。それぐらいにあいつは純粋だ。


「それにしても遅かったじゃん、サド」
「すみません」


 トリゴヤと一緒に礼拝堂に入ってきたサド。いつも通りのポーカーフェイス。息を切らしている訳でもなく、汗を掻いてる訳でもなく、ただただ冷静。トリゴヤなんて、サドと正反対に汗だくだし息を切らしてる。まぁトリゴヤの場合はそれが常だな。何かあればその辺のヤンキーに追いかけまわされてる。それぐらいに隙だらけ。基本的にボーッとしてるし、ほんと鶏みたいだ。
 けどトリゴヤはこれで強いんだ。信じられないだろうけど、パンピーぐらいならぶっ飛ばせると思う。それに変に勘が鋭かったり運が良かったり、異常なぐらいに変で、異常なほど面白い。ドジな様子は見てて飽きないんだよなー。


「別に謝ることじゃねぇけど」
「す……みません。コマに遭遇したもので」


 コマなー。ありゃラッパッパの中でも色々厄介だ。何気に優秀な手駒が多い。あれは、ただの木っ端と訳が違う。一人ひとりならまだしも、人数が揃えば私だって苦労する。まぁ勝てないことはないけど。結局は人海戦術なんだから対処できないこともない。


「うちのサークルは使わせ」
「使う気は無いっての」


 シブヤは結局、素直に私らのとこに来てくれるようになった。まぁここに来るのは今日が初めてなんだけど。シブヤはシブヤでこの一週間、ギャルサーのメンバーと色々話したようだ。上下関係を気にしないつっても、名目上は私の下に付くのと同義だもんな。スタッズをちりばめた真っピンクのパーカーを身にまといながら、長椅子に腰かけてトリゴヤを睨みつけている。シブヤを追いかけてたのは基本的にトリゴヤだからな。まぁシブヤの性格じゃキレるかもしれんな。


「タイマンと多人数で戦い方変えねぇと。なぁ、ブラック」
「私は……いつも同じ」
「あはは、そかそか」


 ブラックのオヤジさんは私達が来ると部屋に引っ込んでしまう。そんなにビクビクすることでもねぇだろ。そりゃ確かにムカついて一発殴っちまったけどさぁ。お客さんが来たらお茶とかお茶受けだすもんだろうが。って、私客やないかっ!
 ブラックは相も変わらず暗い。暗くて黒い。サドと同じに寡黙なタイプ。基本的には黙って本を読んでる。聖書とか詩集とか。そういうのが好きなんだろうな。身体を動かすよりは文化系なタイプだし。でも結構ノリは良かったりして、私の冗談に乗っかってきてサドやトリゴヤをイジることもしばしばある。顔はいつだって無表情だけど、楽しいんだと思う。信頼がおける奴だ。ゲキカラも妙に懐いてるから任せられる。


「コマが動いてんの?」
「いえ、そうではないと思います」
「トリゴヤはどう思う」
「うーん、嫌な予感はしない……かな?」


 唇を尖らせて、明後日の方向を見つめながら首を傾げるトリゴヤ。なるほどなるほど。トリゴヤの予感、いや、それはもう予言の域だろう。トリゴヤの予言がそう言うんなら大したことは起きないんだろう。しばらくは動きが無いと見て良さそうか。とは言ってもたまに外れるんだけどな。
 と、そんなトリゴヤとのやり取りをシブヤが唖然とした表情で見つめていた。


「シブヤのかくれんぼを見つけてたのも全部トリゴヤなんだぜ?」
「意味がわかんねぇ……っすよ」


 無理やり敬語に変えてきた。もちろん敬語って言うにはまだ無理があるけど、それでもシブヤなりに敬意を込めている。私は別に良いって言ったんだけど、下に付くって言うのはそう言うことだからってよ。そこまでプライド曲げなくて良いのにな。シブヤはシブヤなりに偉そうにしてりゃ良いんだ。


「私もトリゴヤのことはよくわかんねぇよ」
「優子さんってばひどーい!」
「だってわかんねぇもん!」


 サドは……何か知ってるらしい。サドとトリゴヤは小学校の頃からの幼馴染ってやつで、付き合いもそれなりにあったらしい。トリゴヤを紹介してくれたのもサドだ。すっとぼけてるけど使える奴とか何とか。初めて見た時は私もシブヤと同じような気持ちだった。こんな絵に描いたようなドジっ子で大丈夫かよ……って。まぁそんな不安は付き合いを重ねて行くうちに払拭出来たから良い。トリゴヤに何があるのかも聞かない。別に知りたくもない。見ていて面白けりゃ、それで十分。


「ま、ラッパッパのことは置いとこ」
「置いていいのかよっ!……良いんすか」
「そんな無理すんなって。おい、ブラック。例の物」
「もうそこに」
「えっ?」
「はっ?」


 シブヤと2人して長椅子の方に振りかえった。さっきまでそこには何も無かったはずなのに、置いてあった。何がって紙袋が。何時の間に……。何時もなら何となく付いていけるブラックのスピードなのに、油断した。ってか私の隙を付くとはなかなかやるじゃないか。


「ほい、シブヤにプレゼント」
「プレ……、はっ?」


 シブヤの好きそうなピンク色のスカジャン。スカジャンはうちに結構あるんだ。ちっちゃい頃から、着るわけでもないのにさ。多分両親の物だったんだろう。両親が着ていたんだろう。顔も知らない両親。祖母ちゃんには死んだって聞かされてる。どうせうちにあっても着るもんじゃないし、それならいっそ誰かに来て貰った方が嬉しい。ブラックが身に付けているように。ゲキカラが身に付けているように。トリゴヤが身に付けているように。シブヤにもスカジャンを上げたかったんだ。
 一応サドにも銀色のやつ上げたんだけどさ、あいつはあいつの信条として毛皮のコートを羽織ってる。私を慕うあいつが唯一断ったことだ。それならそれで良い。


「スカジャンって……」
「嬉しいだろっ!」
「これから夏になんのに……っすか?」
「あっ!」
「あっ!って!!」
「優子さん……スカジャンは暑い」
「本当に暑いよー」


 静かに無表情のままのブラック、そしてスカジャンを着崩しているトリゴヤの頬に汗が流れていた。そういや今日は暑くなるとかサドが言ってたっけ!サドを見ると、静かなに真っ直ぐ立ちつくしてるけど、どう見ても毛皮のコートは暑そうだった。


「お前ら、暑かったら脱げよ!」
「一人だけ制服で涼しそうにしてるのは優子さんじゃーん」
「こればっかりはトリゴヤに同意……っすよ」
「麦茶、取って来ます……」


 爆睡してるゲキカラだけは、暑さを感じさせないぐらいに気持ちよさそうだ。





side W



「ちょうどここで助けられたんだ。優子さんに」


 橋の欄干に寄り掛かって、下のランニングコースを見下ろす。矢場苦根に絡まれてたムクチをここで助けたんだった。もうそれも1か月前のことか。結構早かったな。あっという間だった。まぁその間に何度ヤンキーに絡まれたかはわからないし、自分がどう変わったのかもわからない。


「それでも優子さんとの出会いは大きいと思う。な、ムクチ」


 俺と同じようにして橋の下を見下ろしていたムクチがニッコリと頷く。そういやムクチは出会ってからと言うもの、全く喋ることは無かった。たまにメールを打つこともあるけど、メールの中だけは超絶と言って良いぐらいに饒舌だった。今日はこんなことしたよねとか、こういうのが嬉しかったとか、ラッパッパにやられた時も心配のメールをくれたし。声は聞いたことないけど、何となく繋がってる気はする。


「大島優子……」
「バンジーも優子さんに憧れてる口?アキチャが憧れてんだよ」
「結局お前は大島優子と繋がってんのか?」


 あー、そこから聞くんだ。まぁ聞きたくもなるんだろうな。一応これでも学校の話題にはなったらしいから。シンデレラといばら姫に目を付けられた新入生。大島優子と繋がりを持つ新入生。作りたくもない噂や伝説を絶賛制作中。本当にそんなものはいらないんだけどな。


「入学一ヶ月で大島軍団、シンデレラ、いばら姫と接触だ。注目されるのも無理はねぇ」
「でももう弱いのはバレてんだろ?」
「だろうな」


 一週間で全くと言って良いぐらいにヤンキーに絡まれなかったのが良い証拠だ。注目株も大暴落ってわけだ。それで良いよ。別に優良株ってわけじゃないし、優子さんの名前で上に行っても面白くは無い。迷惑はかけられないだろ。


「繋がっちゃねぇよ」
「まぁお前なんか助けても仕方ないもんな」
「他人に言われると何か腹立つ。お前も慰めんな!」


 俺の肩をポンポンと叩きながら、何か良い笑顔のムクチ。こいつは何様なんだよ、全く。調子に乗ってるんじゃねぇぞ。バンジーも口が悪いのは変わらない。憎まれ口で目つきが悪い。ヤンキーになる為に生れて来たような奴だな。


「逆にバンジーは、よくラッパッパの部室に一人で行こうとか思うよな」


 姉ちゃんが取れなかったものを取るって言ったって、入学して早々に上るもんでもないだろう、あれは。人が降ってくるんだぜ?人間技じゃねぇよ。優子さんやサドさんだって、あんな細い腕であれだけの力を出せるってどうなってんだよ。身体の構造が気になって仕方ない。


「自分を試すにはちょうど良いだろ」
「試すにもレベル高すぎんだろ!」
「馬路須加に入ったくせにチキンな奴だな、お前」


 うぐっ……。今更そこに触れるんじゃねぇ。チキンなんてのは自分でもよくわかってんだ。一ヶ月でやっとこさ慣れたところなんだよ。人が飛んだり、瞬間移動したり、血塗れだったりしてさ。それでもそういう人間はマジ女のほんの一部なんだってようやくわかった。最低でも俺達のクラスには優子さん達やラッパッパみたいなヤンキー、それに学ランや着物を着たような妙な奴もいない。冷静に見りゃ、少し粋がってるぐらいの高校生だ。俺らと同じ、中学卒業したばかりの高校一年。


「私の見立てじゃ、1年C組で最強と言えるのはお前らだ」
「へっ」
「お前の言う通り、クラスの奴らは少し粋がってるだけだ。どうせ中学で問題児とか言われて調子に乗ったんだろ」


 あはははは……はは。正直に言えば、俺もその口だった。中学で粋がって、人もまともに殴れねぇのに馬路須加にやってきた。今にして思えば、ただ持て囃されてただけだろう。ヲタクのくせにな。まぁ語るほどのものでもない。中学時代のことなんか別に興味ないだろ。


「大島優子やその類みたいな人間じゃなきゃ、人数が物言うだろ」
「クラスじゃ俺らのチームが最多ってことか」
「それだけじゃねぇ。アキチャとウナギって野郎も、その辺の奴よりは腕っぷしはある」


 へぇ。こいつって、短気なくせして結構冷静に周り見てんだ。まぁウナギはどうか知らないけど、確かにアキチャは強いと思う。私に比べたらな。タッパはあるし、何か慣れたような動きだし。


「お前も大概変だし」
「変とは何だ!」
「シンデレラにあんなに攻撃喰らって普通に立ってたじゃん。なぁ」


 バンジーに同感と言わんばかりにムクチが頷く。あー、そういやそんなこともあったっけ。あの時は……何で立ち上がれたんだろうな。俺自身訳わかんねぇや。


「ムクチだっけ?お前はよくわかんねぇや」
「こればっかりは何もフォローできねぇよ、ムクチ」


 バンジーにせせら笑いされてプゥッと頬っぺたを膨らませるムクチだけど、膨れるのは違うだろ。膨れるぐらいなら何か喋れっつの。キャラ付けって言っても徹底しすぎだろうが。


「そういやウナギとアキチャはどこまで行ったんだか」
「どっかで絡まれてんじゃねぇの?」
「……不吉なこと言うなよ」


 そんなこと言われると何か心配になってきた。追いかけるか?いや、けどバンジーを置いていくわけにもいかないし。あいつら、ケータイ持ってるはずだし掛けてみた方が早いかな。
 ポンポンと、またムクチが俺の肩を叩く。今度は励ましとかじゃなくて、向こうを見ろって言う合図。振り返ってみると、ウナギとアキチャがこっちに向かって駆けて来ていた。


「おー、お前らー……って」
「めんどくせぇもん引き連れてんなぁ」
「おめーら逃げろー!!」
「待てやごらーっ!!」
「糞ガキッ!!!!」


 俺もムクチも思わず一歩引いた。一か月前にここで出会った矢場苦根のヤンキー達だった。ですよねー。俺の野生の勘なんて当てにならないことぐらいわかってるよ。相当怒ってらっしゃるし。そりゃそうだ。ウナギが倒したヤンキーもその中にいるんだ。
 全部で7、8人。見た感じ木刀とか鉄パイプみたいな危なっかしいものは持ってない。せいぜい鞄ぐらいか。学校帰りと見た。


「早く行け」


 バンジーが涼しい顔でそう言った。行けって言っても、お前が逃げらんないじゃんか。走れないからって囮になろうとでも言うんじゃねぇだろうな。つか絶対にそのつもりだろ。マジ女の制服着てんだから、ただで見逃して貰えるわけもない。自己犠牲のつもりか?囮になる私カッケー!みたいな?いやいや、それがマジならカッコ良すぎんだろ。漫画や小説じゃあるまいし、そんなカッコ良いことさせるかよ。


「てめぇ一人残していくか、バーカ」
「あっ?」


 馬鹿って言ったら睨んだ。本当にこの子ってば短気で困るわー。なんて怯むかよ。怯んでる場合じゃないだろ。いつもの俺なら逃げるけどよ、逃げるのがダメなら拳握るだろ。頭垂れて謝るのだって、プライドが許すわけがない。ちっぽけなプライドだけどよ。


「ウナギ!アキチャ!回れ右!」
「えっ!?」
「そう言ってくれると思ったぜ、リーダー!」


 アキチャってば良い笑顔だなー。やっぱりそれなりに喧嘩好きなんだな。キュッと橋の上でブーツを鳴らして、瞬時に構える。呆れ顔のウナギだけどこの際関係ないね。腹括れ、腹!
 本当は泣きそうな俺だけどさ、虚勢張るぐらいしか出来ないんだ。物凄い形相で迫ってくるヤンキーはマジで怖いけど、それでもラッパッパに遭遇するより何倍も、何十倍もマシだ。つーかムクチよぉ、喧嘩の直前なんだからもう少しそれっぽい表情作れないのかよ。キョトンとしやがって。あー、吐きそう。







「いってぇ……」
「無闇に突っ込むからだろ」
「ヲタもウナギもへっぴり腰なんだよ」
「うっせぇっ」


 矢場苦根のヤンキーとの喧嘩は結局勝った。勝ったんだと思う。興奮してたし、よく覚えてない。ただ、気付いた時には「覚えてろ!」ってヤンキーの一人が声を張り上げていた。まともに喧嘩できるのがアキチャだけだってのに、よくぞまぁ勝てたもんだ。もちろん、こっちも被害はゼロだったわけじゃなくて、それぞれ顔とか身体とか殴られて怪我してる。バンジーなんて見るからに怪我してたもんだから右脚ばかり狙われてた。


「大丈夫かよ……」
「人の心配してる場合か。唇切れてんぞ」


 一人じゃ歩き辛そうだったからバンジーに、肩貸しながらゆっくり進む。バンジーのことだから拒否されるもんだと思ったけど、案外素直に応じてくれた。それぐらいに一人で歩くのが辛いんだろう。
 いやいや、そんなことあるわけないやろ。なんて思いながら空いた右手の甲で口許を拭ってみると……ほんまやん!ほんまに血が出てるやん!と、エセ関西弁で驚いてみる。
 実力としては拮抗してたのかな。苦戦と言うほどの苦戦では無かったし、善戦と言うほどの善戦では無かった。数が少なかった分、善戦だったと思っておこう。勝ったわけだし。


「完全に顔覚えられてんな……」


 そう呟くウナギ。アキチャ曰く、橋の先の方までしばらく行ったところで矢場苦根に絡まれたらしい。ウナギの顔を覚えていたんだろう。あの時だってたった2人の新入生に倒されたわけだから、因縁の一つも抱いてて可笑しくない。もうこの辺を一人で気軽に歩くなんてことはしない方が良いな。ビビりのウナギに関しては、絶対にそんなことはしないと思うけど。


「どんだけビビりなんだよ」
「ビビりじゃねぇ!慎重に生きてんだよ、てめぇと違って!」


 噛みつくようにウナギはバンジーに言い返した。慎重に生きてるか。その言い方は良いな。俺もそれ使うようにしよ。


「で、何処だよ。お前ん家」


 先導するように俺らの少し先を歩くアキチャだけど、もちろん道を知らないままに歩いてる。そりゃまぁそうだろう。知り合って間もない同級生の家なんてそう知ってるもんじゃないし。俺だってこの中じゃウナギの家しか知らない。アキチャもムクチも帰り道が結構違うから。そんな俺達は今、バンジーの家に向かってる。このままバンジーを一人で家に返すわけにもいかないし、どっかで傷の手当てでもしたいなってことでバンジーが


「家……来るか?」


 って。断る理由も特に無し。ウナギだけはちょっと意地を張ってたけど、俺らが行くって決めた時点で断れなかったようだ。バンジーを一人にするわけにもいかないし、まさか自分が一人になれるわけもない。結局満場一致で可決。
 橋から少し離れた住宅地。俺やウナギの家とも大分離れてる。アキチャも家は学校挟んで逆側らしい。ムクチは……よくわかんなかった。色々伝えようとしてたけど、手の動作だけじゃ誰にも理解出来なかったし、揃って「いや、喋れよ」って突っ込んだ。また頬っぺた膨らましてたムクチだけど、今は呑気に一番後ろを歩いてる。


「もうすぐだ。そこの教会んとこ、左に曲がれ」


 この街には似つかわしくない古びた教会だった。古びてるけど、外観はとても立派だ。この街にこんな所があったのか。まさかヤンキーが踏み込んで良い場所じゃなさそうだし、構うものでもない。
 左に曲がるとごく一般の住宅が並んでいる。その中に仁藤という表札の家があった。ちょっと小綺麗なクリーム色の外壁。協会とは別の意味で、ヤンキーが住んでるとは思えない。何て言うか、絵に描いたような綺麗な家だもん。案外と良い家のお嬢様か何かだったりして。


「まぁ可愛らしいお家ですこと」
「あぁっ?」


 ウナギの馬鹿にしたような含み笑いに、バンジーが眉根を寄せる。ウナギの隣でムクチも震えてるし。まぁ似つかわしくないって言う意味で言えば……俺も笑ってしまいそうだ。けど、家は家だし。そういうので人のことを笑っちゃいけないんだぞ。


「バンジーって良いとこのお嬢様か何か?」
「んなわけねぇだろ、この街に住んでて」
「ふーん……」


 ただ、裕福そうではある。うちはパパ……親父はただのリーマンだし、そこまで裕福ってことは無い。マジ女に入ったのだって、学費が安いって言うのも一つの理由だし。私立であるはずなのに、学費は格安なマジ女。さすがに騙されてるんじゃないだろうかってぐらいの。まぁ授業をちゃんとやってる訳でもないし、何となく理由はわかるけどもさ。あの校長のことだから、考えはわかんねぇ。


「とりあえず上がれよ」


 そう言いながら、バンジーは玄関扉を開けた。片腕は俺の肩に回してるから手伝ってやらんと大変そうだ。右脚がこれじゃ踏ん張りも聞かないだろうし。開けてみると、またまた小綺麗な玄関。花とか飾ってあるし。てっきりこんな目つきの悪い短気な子が住んでるもんだから、外観は綺麗でも中は荒れ放題……とか思ってたのに。


「姉ちゃんもマジ女だったんだろ?」
「あ?違ぇよ」
「え?でも姉ちゃん、マジ女のテッペン目指してたって」
「中学の時にな。姉貴は優等生だからよ。そう言うのに憧れてたんだよ」


 えー。思ってた話と違う!姉ちゃんがマジ女のテッペンを前にしてトップに敗れたものと思ってたのに!こんな子の姉ちゃんだから相当の人だと思ってたのに!


「ただ単に姉貴に自慢できると思って」
「騙されたー!!」
「御帰りなさい。萌乃ちゃん」


 急に現れたその人は、多分バンジーのお母さんだろう。バンジーに似た感じの清楚なお母さん。美人。ただ、釣り目ではないから優しそうな印象を受ける。俺もウナギもアキチャも揃って口にした。


「お邪魔します」
「あらあら、お友達?」
「まぁ……」


 お母さんに向かってまぁって何だよ。真っ直ぐ顔も見ないし。何だ?反抗期か?親孝行したい時に親は無しとか言うだろ!ちゃんとしなきゃダメだぞ!って言おうとして、でも言わなかった。バンジーの耳が真っ赤だったから。バンジーが照れてる。バンジーなりの強がりで、素顔を見せた瞬間だった。






「ほら、テキトーに使えよ」


 そう言って、バンジーは救急箱を部屋の床に置いた。バンジーの部屋。玄関や外観に比べたら普通の部屋。家具は最小限って感じで小ざっぱりしてる。ベッドと机と本棚。ちょっと大きめのテレビは床に直置き。一人ぐらしの大学生か何かかよ。本当に小ざっぱりって言葉がよく合ってる。


「何か淋しいな」
「漫画とかねぇし」
「あんまジロジロ見んなよ……」


 ウナギもアキチャも俺も、傷の治療よりも部屋を眺めることを重要視してた。ヤンキーって言っても、こういうところ女子だね。バンジーはやっぱり恥ずかしいんだろう。まぁジロジロ見るって程見るものねぇんだけど。本棚も縦に細長いタイプで、難しそうな本と、映画かドラマのDVDが並んでる。大草原の小さな家。シリーズ1から……いくつまであるんだか。


「……好きなの?」
「見ちゃ悪ぃかよ」


 やっぱり耳を真っ赤にするバンジーだった。へぇ……バンジーってこういうの好きなんだな。ぬいぐるみとか置いてあってもあれだけど、これはこれで可愛いとこあんな。DVDをボックスで揃えてるし。
 ムクチはベッドの傍に腰を下ろして、いつのまにやらそこにいた猫を撫でてる。膝の上に乗せて。多分この家のペットなんだろう。可愛らしい首輪付けてるし。バンジーに似た目付きの銀色の虎柄。何だっけ……。アメリカンショートヘアだっけ?わからんけど、雑種とかではなさそう。


「へぇ、そいつが懐くなんて珍しい」


 そう言いながらムクチの隣に腰を下ろすバンジー。ペットが飼い主に似るのであれば、多分気性の荒い猫なんだろう。いや、でもムクチに懐いてるようだし。しかもウナギも平気で撫でてる。ん?ウナギさんはさっきまで意地っ張りじゃなかったか?


「おー、可愛いニャンコだねー!おりゃおりゃおりゃー!」


 猫を平気で撫でまくるウナギだけど、そんな勢いで撫でたら毛とかふけとか飛ぶだろ……!くそっ!


「ハックション!!ブアックション!!」
「くしゃみすんなら口押えろよ!!」
「わ、悪ぃ!ハックション!ただ、俺、猫アレル……ヘクシッ!」
「猫アレルギー?」


 ウナギの目がキラキラと輝いた。ひーっ!こいつ、俺で遊ぶ気だっ……!という予想の通り、猫を抱き上げて俺に向かって真っ直ぐ突き出した。バンジーもムクチも止める様子もなく冷静な顔して見てる。アキチャは……何でベッドで寝てんだしっ!


「や、やめろ、ウナギ!!」
「ひっひっひ!人の不幸は蜜の味ってなっ!」
「鬼!悪魔!ろくでなしーっ!!」
「何とでも言えー!!」


 ウナギがふはははは、と大きな笑い声を上げて駆け寄ってくる。やめろ!結構真面目にやめろ!これは一旦部屋の外に避難するしかないっ!部屋のドアを思い切り開けて廊下に転がり出る。大きな音で迷惑とかこの際どうでも良い!と、大暴れしてるのに住人であるはずのバンジーは冷静にこっちを見ていた。


「外行くんなら何か食えるもん買ってきてくれよ、来る時スーパーあったろ」
「待て待て待て!リーダーをパシリにする気かっ!!」
「買ってこないと大変なことになるぞっ!ふはははは!」
「戻ってくるまでにどうにかしとくから」


 人の不幸が本当に楽しそうなウナギと、案外優しく対応してくれるバンジー。もうこいつらがチームのメンバーだなんて……どうすりゃいいんだよ!
 どうするもこうするも、ウナギが猫のふけを撒き散らしてる以上は部屋から避難するしかなかった。しょうがない。しょうがないから買いに行ってやるよ、食えるもん。俺だってさっきの喧嘩のせいでお腹が空いたとこなんだ。一人で外に出て絡まれようと知ったことか!こうなったら自棄だよ。自暴自棄だよ。


「あ」
「え」


 バンジーの家から出て、ちょっと歩いたところで出会った。何でそこにいるのかは知らないけど、大島優子と出会った。優子さんが教会から出てくるところだった。制服の裾からお腹が見えるくらいに伸びをしながら。何で教会から優子さん……?優子さんってそっち系の人?しかも一緒に出てきたのは、ゲキカラさん。いつも着ているスカジャンを肩のあたりまで下ろして、その下には黒いタンクトップ。大きく欠伸を吐きながらこっちを見ていた。


「優子さん……」
「おぉ、ヘナチョコじゃん。何?お前、この辺住んでんの?」


 優子さんは、さも俺が知り合いであるかのように話しかけてくる。一応マジ女でもトップクラスの実力持つような人だぞ。俺なんかが何でこの人みたいな人に普通に話しかけられてるんだろ。


「い、いえ……友達ん家が近くで」

「へー、そうなんだ。私らもだぜ?ここ、ブラックん家」


 そう言って優子さんが指さしたのはすぐ後ろの教会だった。え?ここ?ブラックさん家が……ここ?ヤンキーとは無関係に近そうな印象を受けたはずのここが?


「どうせ誰も来ないし。って、おい。ゲキカラ」
「ひっ!!」


 いつの間にやらゲキカラさんが目の前にいた。おいおい……ブラックさんじゃないんだからさ、そういうのは止めて下さいよ。そして、初めて出会った時のことを思い出して身体が固まる。蛇に睨まれた蛙状態。ゲキカラさんはスンスンと鼻を鳴らして俺の身体中を嗅ぎ回ってた。


「血の匂いだぁっ」
「え」


 俺の口元を真っ直ぐに見詰めて、ゲキカラさんがニヤリと笑う。ひぃぃぃぃぃぃ!バンジーん家の猫と比べ物にならないぐらいに怖ぇ!何なんだよ、この恐怖体験!真っ直ぐに細い腕を伸ばしてきて、その指で口元を拭ってくる。まだ乾いていなかった俺の血液がゲキカラさんの左手に付いていた。


「……違う?」


 手に付いた俺の血を嗅いで、ゲキカラさんがそう言った。違う……?違うって何が?俺の血は血じゃないとでも言うのか?


「こらこら、ゲキカラ。後輩ビビらすなっつの。行くぞっ」
「けど……んー」
「じゃあなー、ヘナチョコ」


 これでもかってぐらいの角度まで首を曲げて傾げるゲキカラさん。何だってんですか、ゲキカラさん。物凄い気になるんですけど。
 左手の血を見つめたままのゲキカラさんを連れて、優子さんはそのまま行ってしまった。





side G


 暑い。
さっきまでぐっすり寝てて、起きたら暑かった。
ブラックのお家、好きだけど涼しくない。
優子さんが何か買いに行くって言って


「私も行きます」
「良いよ、サドは休んでろ」
「じゃー私行く」
「おぉ、起きてたのかよ。ゲキカラ」
「うん」


 サドさんは優子さんが大好きだなー。
私も大好きだ。優子さんは強いもん。
喧嘩が強くて、頭もよくて、温かくて、大好き。


「シブヤー、オセロやろー」
「やるわけねぇだろっ!!」
「えー、どしてー」


 最近仲間になったシブヤ。
匂いがよくわかんない。
まだ慣れてないからなのかな。
でも悪くは無いと思う。嫌いじゃないな。
トリゴヤも普通に話してるみたいだし。


「私が相手になるよ」
「わーい、さすがサドー!」
「けっ」
「怒ってる?」
「あ?」


 シブヤが怒ってるみたいに見えた。
怒ってる。怒ってる。怒ってる。怒ってる。
怒ってる人を見ると、喧嘩したくなる。
小さい時からずっとそう。喧嘩。血。


「行くぞー、ゲキカラ」
「あー、うん」


 優子さんと一緒に外に出る。
外にはマジ女の制服きた子が一人でいた。
優子さんはそいつに普通に話しかけてる。
どっかで見たことある。良い鼻だ。
パンチしたら、すぐに折れちゃいそうな鼻。
それに優子さんの匂い。血の匂いもする。


「血の匂いだぁっ」
「え」


 鼻の子は、口に血が付いてた。
まだ乾いてないそれを指で取る。
ん?違う。血の匂い。
沢山する。これだけじゃない。


「何が違うんだ、ゲキカラ」


 1年が見えなくなって、優子さんが言う。
いつもみたいに笑ってない。マジな顔。
何が違うって。この匂いだけじゃない。


「もっと沢山、匂いがする」
「沢山?」
「優子さんが喧嘩したときみたいな」


 沢山と喧嘩した時の、匂い。
どこからかはわかんない。でも匂いがすごい。
血と違う匂いもちょっとする。


「心当たりは?」
「学校で嗅いだ」
「確かか?」
「うん」


 学校で嗅いだことある。
学校のどこかで嗅いだことある。
優子さんの匂いじゃない。
サドじゃない。ブラックじゃない。
トリゴヤじゃないし、シブヤじゃない。
学校のどこで嗅いだ匂いだっけな……。


「近くにいんのか……?」
「わかんない」


 この辺りが沢山匂いする。
よくわかんないけど、この匂い。
あんまり好きじゃない。





side W



 優子さん達との遭遇率、俺ってば結構高いよな……?何だろう。野生の勘が何か言ってる。何か怒る気がしてならない。いやいや、勘弁しろよ。一人でラッパッパに絡まれるとかマジで無理。心細いなんてもんじゃない。どうする?このまま進むか?道を引き返して優子さん達に用心棒でも頼む?
 アホかっ。そんなこと出来るわけねぇだろ。それこそ優子さん達に迷惑かけてんじゃねぇか。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。それに野生の勘が当たるとも限らねぇじゃん。さっきだって大丈夫と思いこんで絡まれた訳だし。バンジーが言ってたスーパーも目の前だ。ゲキカラさんの言ってたことがかなり気になるけど、大丈夫だ。絶対に何も無いって。どうせ私……俺の勘なんて当たりやしないんだからさ。


「ちょっとそこのお嬢ちゃん……!」
「ひっ!!」


 誰かに声をかけられた。へ、変質者か!?いや、女の人の声だった。まぁ女の人だからって変質者じゃないとは言い切れないんだけどさ。その場に立ち止まって周りを見回す。スーパーは目の前。その辺には普通に自転車に乗ったおっさんとか、店先で井戸端会議してるおばさんとかはいるけど……。


「こっちだっつの」
「えっ!?」


 振り向くと、スーパーと隣の床屋のちょうど間。細い路地の間に一人の女がいた。マジ女の制服を着た、見るからに怪しい女。見るからに怪しいって、ゲキカラさんのように血塗れだとか、ハナさんみたいに変な格好してる訳ではない。普通の格好。普通にマジ女の制服。アクセサリーとかもちょいちょい付けてたりして、ヤンキーの一人なんだろう。


「ちょっと助けて……!」


 そんな普通の格好の女の人の何処が怪しいかって言えば、お尻からゴミ箱に嵌っていた。お店とかによくありそうな大きなゴミ箱に。何で路地裏でそんなことになってんだか知らないけど、どうにも怪しい。


「だ、誰……?」
「いいから助けてっての!」
「は、はいっ」


 弱弱しい笑顔がとても素敵な美人。俺の好きなアイドルグループとかにも普通に居そうなぐらいに。ただ少し眉間に皺を寄せるだけで怖い。妙な威圧感を感じる。まぁ良いや。身動き出来なくて困ってるみたいだし、ここは助けても良いんだろう。
 多分マジ女の先輩であろう女の人の伸ばした手を掴んで引っ張る。


「えっ……」


 掴んだ瞬間、さらに怪しさが増した。掴んだ女の人の右手一杯に、赤い液体が付いてた。赤黒くて、多分血だ。ヌルッとして、引っ張りづらい。っていうか俺の手を掴むこの人の力、結構強いんだけど。まるで締めつけられてるみたいな。何なんだよ……この人。絶対にヤバい人だ。


「ふんっ!」


 女の人の気合いの声と共に、スポッと軽々抜けた。抜け出た。ゴミ箱はガラガラと音を立てて地面に転がった。女の人は、八つ当たりのつもりなのか、そのゴミ箱を思い切り蹴り飛ばす。蹴り一発でゴミ箱は簡単に割れ、路地の奥に向かって勢いよく転がっていく。


「いやぁ、助かったよ、お嬢ちゃん」


 何も言えなかった。言えるわけがなかった。もう何を言って良いのかわかんないし。声も出てこない。喋ったら殺されるんじゃないかってぐらいに、身体が緊急信号を発してる。ホイッスルなんて吹けるわけねぇ。吹いた瞬間に、俺の身体があのゴミ箱と同じ状態になってる気がした。


「何か道に迷っちゃってさ。ここ、何処かわかる?」
「あ……い……え……」
「よく道に迷っちゃうんだよ。さっきも矢場苦根の奴らとやり合ってさー。帰ろうかと思ったら転んでハマっちゃって」


 ドジっ娘……?いや、ドジっ娘が手を血塗れにしてるわけない。やり合ったって……もしかしてさっきの矢場苦根じゃないだろうな。いや、結構離れてるし違う。本当に何なんだよ、この人。


「まぁ良いや。学校ってどっち?」
「あ……」


 あっちって、簡単な言葉も出なかった。ただ、何とか学校の方向と思われる方を指さすことで精一杯だ。多分向こうの方。方向感覚には自信ないからあっているかはわからないけど。


「ん、向こうね。あんがとー。お礼にあげるよ」


 あどけない顔をして、血塗れの右手で俺の手に何かを乗せて行った。紙。クシャクシャになった……一万円札。いやいや、こんなのいらねぇっすよ!って、拒否することもできない。無駄に口を滑らせて、殴られるような気がした。


「じゃあねー、お嬢ちゃん」


 あどけない表情で去っていく女。俺が指さした方向とは真逆に歩いていく。腰にぶら下げたアクセサリーの束をチャラチャラと鳴らしながら。実はちゃんとした方向をわかっているのか、それともただ頭が可笑しいのか。優子さんとゲキカラさんを足したようなその人が残していったものは、血塗れの諭吉と、音符型の銀色のアクセサリーの印象だった。







 その後、普通にスーパーで買い物をした俺ってば、なかなかの精神力の持ち主だったと思う。誰だか知らないし、関わりたくないし、とにかく忘れたかった。記憶を自在に操れるんだったら、早く消し去ってしまいたいぐらい。実際はスーパーでの記憶もほとんどないに等しい。ほとんど無意識だったんだ。
 バンジーの家の前に戻ってきて、一万円札が無いことに気付いた。代わりにお釣りと思しき金が、商品と一緒にビニール袋の中に入ってる。あんな血塗れのお金で支払いしたんかよ、俺。店員に怪しまれただろうな。俺があの人を怪しんだように。


「おい」
「え?」


 スーパーからひたすら顔を上げずに地面だけを見つめて来た俺に、誰かが声をかけた。顔を上げると、そこにはバンジーがいた。たった2、30分程だったのに、バンジーの顔が妙に懐かしく思えた。


「おう、バンジー……」
「何かあったのか……?」
「あ、あぁ……まぁ色々」


 一目見りゃ何かあったことぐらいわかるだろう。あの人に掴まれた俺の右手も、血塗れになってんだから。あの人が誰だかもわからない。この血が誰のものかもわからない。


「大丈夫か?怪我しての?」
「いや……大丈夫」
「何があったんだよ」


 話せば長くなる。長くなりそうだ。たった数分の出来事だったけど、色々と整理して話すとなると長く掛かる。俺だってよくわかんなかったんだ。しょうがないじゃんか。


「はぁ……」


 バンジーの顔を見て、一気に力が抜けた。ずっと強張ってた身体中の筋肉が一気に緩むみたいだった。目付きが悪いバンジーでも、あんなのに比べたら遥かに安心感がある。怖かった……。


「すぐそこにしちゃ遅いからよ」
「悪ぃ……」
「とりあえず行こうぜ。ちゃんと掃除もしてあるから」
「あぁ」


 何も言わず、俺の荷物を持ってくれるバンジーだった。結構良い奴だな。猫アレルギーにも気遣ってくれるし。歩きづらいくせに外まで見に来てくれるし。頼りになるんじゃないか。


「なぁ」
「ん?」
「あいつらと仲良くしてくれ」


 ウナギとかアキチャとか、挑発するとすぐカッとなるからさ。バンジーが下手しなきゃ意外とバランス良いと思うんだ。もちろんあいつらが下手しなきゃもだけどさ。ウナギは言えばわかると思うし、今日一日一緒にいればそれで済むだろ。


「仲良くっつかよ、チームなんだろ」
「うん」
「一緒にいなくちゃいけねぇだろ」
「バンジー……」


 本人としてはらしくない台詞だったんだろうか。それはそうだ。この一ヶ月を一匹狼としてやってきたんだから。仲間を作るのが恥ずかしかったのか、バンジーの耳が紅くなってた。素直じゃないなー。意地っ張りで強がり。それぐらいしかまだよくわかんねぇけど、どんどんわかってくるだろ。仲間も友達も、最初はよく知らないもんなんだから。


「つかよ」
「ん?」
「何で醤油何か買って来てんだよ……」


 ガサガサと、ビニール袋からバンジーが取りだしたのは醤油だった。1リットル入り。あー、無意識だったから変な物買っちまった。何だよ、醤油でも一気飲みしようとでも思ったか?


「……お母さんにあげてくれ」


 返しに行くの何か無理だ。しばらくはバンジーの家で、皆で遊んでいよう。どうせ明日からゴールデンウィーク。休日は遊ぶに限る。