長年ブログをしています。


スキルス胃がんで主人を亡くした時、子供達は中学生と高校生でした。

高校生のふゆは留学中で、留学に行く際には行っている間にもしももある事は伝えておりました。

余命宣告を何度も受けて、いよいよの時主人はふゆに知らせるなと言いましたが、私は実の父が亡くなる時に知らせてもらえないことの方がずっと辛いと思う。知らせた上で決めるのは本人にしたいと言いましたね。

結局、主人とふゆの間にどう言った会話があったのかは分かりませんが戻らず、葬儀に出ませんでした。

なので帰国後に一緒に納骨しました。

なつはなつでお父さん子でしたからとても辛かったと思います。

どんどん見た目にも痩せて変わって行く姿を目の当たりにしていたのはどうだったのかな?

主人が亡くなり私はとても泣きましたが人前で涙を見せなかった事がかえって心配でした。金曜日になくなり、葬儀は日曜日お父さんが亡くなった事は言いたくないと金曜日だけ早退し、月曜日から学校へ行った事を今でも覚えています。


心も大人になり今では仲の良いお友達には父親が亡くなっている事を伝えている様です。

過去のブログでは1年4ヶ月の闘病生活も記録しました.

精神的にも大変でしたが、がん保険に入っていなかった我が家は正直治療費で火の車でした。

毎月入退院を繰り返す病院、自宅治療のための在宅医療とは合算できず高額医療控除を申請していても毎月驚くほどの出費でした。娘たちの学資保険を解約し、私の保険も解約し、住宅ローンを払い‥後何ヶ月もつかと怯えていました。


そんな辛い事もあり長らく闘病系のブログは見ない(見れない)状態でした。


が、あるブログのオプジーボに目が止まりました。

当時は保険適用外でめちゃくちゃ高かった。

主人は既に腹水があり、オプジーボはがんには効果がなかったが腹水が少しマシだった。

けれどがんに効かないのであればそれはただの延命、飛躍的な延命にもならないのにあの金額は払う意味がない、それならば少しでも娘たちに残したいのでこの治療をやめると宣言しました。

隣で主人のその選択に私は涙が出るだけで何も言えませんでした。


その方のブログを読んで数年前に保険適用になったと知りました。

それでもまだまだ高いお薬です。

医学的にも、薬も発達したなと感じました。

わたしも少し前を向けれてるなと感じる事が出来ました。

感謝ですね。


今でも自分の人生を最後まで自分の意思でしっかりと受け止め決断した主人を尊敬し、誇りに思っています。