登戸に来ていた。大を轢いたダンプの運転手に会おうと思ったのだ。
彼は微妙な立場にいた。
荒木兄弟は葬儀の席で、彼を殴ろうとして兄弟達に止められたという。子を轢かれた父親として、それは当然の心情かもしれない。だが別の目から見れば、彼は“被害者”だといってもよかった。
むしろ殴りたいのは父親でなく、彼の方ではないかと言う者さえいた。

なぜ大は巻き込まれたのか。
第一に道が狭かったという点が挙げられる。
自転車で車道を走っていた大は、交差点で信号待ちをしている彼のトラックの側方に入っていた。
その幅は、四、五十センチだった。さらにその交差点が正確な十の形の十字路でなかったため久地駅方面に向かう車は、わずかにハンドルを左に切らなければならなかった。そのため、ガードレールとトラックの間はより狭くなり、大はトラックの後輪に巻き込まれたのだった。
彼にしてみれば、わずかに左にハンドルを切りながら直進しただけなのに、子供を轢いてしまったことになる。しかしそれだけでは済まなかった。

粗末な木造アパートだった。‥荒木兄弟の所とどっこいどっこいだ。ベルを鳴らすと、丸刈りの五つくらいの男の子が出てきた。
「お父さんかお母さんいますか?
「いません。どなたですか」
警戒しているのか、口調がむくれている。自己紹介をし、両親がいつ帰るかと聞いた。母は仕事で帰りは「夜遅い」と言った。父は七時頃帰るという。…

彼は微妙な立場にいた。彼の轢いた子供は、病院に運び込まれた時には、全治二ヶ月、という診断だった。それならば、彼のしたことは「業務上過失致傷」になる。
だが、病院に運び込まれて四時間二十二分後に、その子どもは死んだ。彼は「業務上過失致死」の疑いで取り調べを受けた。致死か致傷か、その判断によって彼の立場は大きくなる変わることになる。

裸電球の赤い光の下で、彼はほうちょうを握っていた。
猫の額ほどの玄関に顔だけ突っ込んで話をした。奥では子供達がテレビを見ていた。テレビ的な笑声が聞こえてくる。猫の額ほどの玄関に顔だけ突っ込んで話をした。奥では子供達がテレビを見ていた。テレビ的な笑声が聞こえてくる。
玄関のすぐ隣が流しになっている。子供達に夕食を食べさせようとしているのだろう、ステテコをはいて何かを切っていた。
話をすると、いかにもうっとうしげに、後で来な、と言う。いつ頃がお暇でしょうか、と尋ねると、黙り込んでしまう。それでは二、三日したらまた寄ってみますので、と言うと、来なくていい、と吐き捨てるように言った。
とりつくしまがなかった。短く切った半白の髪の、くたびれた横顔が、何も話したくない、早く帰ってくれ、と言っていた。…

彼を初めて見たのは、大の死を報ずるテレビのニュース番組だった。葬儀の帰り、王国会館の周りをふらふら歩いている彼を、TVカメラはとらえていた。彼はうわごとのように「俺は、俺は何も…」と繰り返していた。
人を殺したのだった。どんな状況が絡もうと、それに変わりはなかった。だからこそ、彼もまた彼の家族も、そのショックから立ち直れないでいた。