しかしスガシカオの音楽世界は、決してネガティブな、自壊的な方向を目指しているわけではなさそうだ。というかむしろ、彼の音楽には不思議に明るい強さ、現世的なへこたれなさ、あるいは開き直りのようなものが見受けられる。言い換えるなら、かれの音楽は、そのカタストロフ憧憬っぽい抑圧的な「気分」を、白昼堂々と遵法枠内でスマートに内燃させていくのである。つまり、現実をいったん懐疑し、その懐疑をまた懐疑することによって、また現実に戻る…、みたいな。「頭がわれるくらい暑いから/ミートソースを食った」(「ミートソース」)みたいな。「謎の壺とか買わされなくてよかったね…って/みんなにいわれたけど でもうまくすれば英語もしゃべれるし…」(「GO!GO!」)みたいな。
そんなわけで、僕は車のハンドルを握って、東名高速道路の見慣れた風景を眺めるともなく眺めながら、あるいは小田原ー厚木道路のどこかに潜んでいるはずの覆面パトカーに怠りなく注意を払いながら、車内のスピーカーから流れるスガシカオの音楽の歌詞に、ついつい耳を澄ましてしまうことになる。
これがけっこう習慣化してしまうというか、中毒っぽくなってしまうのだ。僕もあるいは「どや、兄ちゃん、よかったやろ?クーっとくるやろ?」的な世界に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
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しかし考えてみればそれだけ、スガシカオ的な「気分」がかくも急速に、そして幅広く世の中に受け入れられていくだけの素地が、社会の側に手堅くこしらえられていた、ということになるのだろう。柔らかなカオス、あっけないほどの自明な屈託、局所的カタストロフの予感、健全な自虐、明るいラディカリズム…。こういう「気分」はおそらく、右肩上がりのバブル時代には、少なくとも目につく流れとしては、存在しなかったものだろう。
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そんなわけで、僕は車のハンドルを握って、東名高速道路の見慣れた風景を眺めるともなく眺めながら、あるいは小田原ー厚木道路のどこかに潜んでいるはずの覆面パトカーに怠りなく注意を払いながら、車内のスピーカーから流れるスガシカオの音楽の歌詞に、ついつい耳を澄ましてしまうことになる。
これがけっこう習慣化してしまうというか、中毒っぽくなってしまうのだ。僕もあるいは「どや、兄ちゃん、よかったやろ?クーっとくるやろ?」的な世界に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
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しかし考えてみればそれだけ、スガシカオ的な「気分」がかくも急速に、そして幅広く世の中に受け入れられていくだけの素地が、社会の側に手堅くこしらえられていた、ということになるのだろう。柔らかなカオス、あっけないほどの自明な屈託、局所的カタストロフの予感、健全な自虐、明るいラディカリズム…。こういう「気分」はおそらく、右肩上がりのバブル時代には、少なくとも目につく流れとしては、存在しなかったものだろう。
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