村上
彼らとはちがって、僕は幼少時代や少年時代に、自分が傷つけられた記憶はありません。夙川と芦屋という穏やかな住宅地域で育ち、いわゆる中産階級の子どもで、一人っ子だから葛藤もなく、家庭にも問題はなく、…平穏無事な少年時代というか、早い話、小説にしたいと思うようなことが何ひとつないんですよ。

で、書いているうちにだんだんわかってきたことがありました。幼年時代、少年時代に自分が傷ついていないわけでは決してなかった、ということです。人というのは、だれであろうと、どんな環境にあろうと、成長の過程においてそれぞれ自我を傷つけられ、損なわれていくものなんです。ただそのことに気がつかないだけで。…
両親を非難しているのではありません。両親は両親にできることをしているだけ。どんな動物でも同じことですよね。生きていくためのノウハウを子供に引き渡す。人間の場合はほかの動物とは違って、ものすごく複雑な社会生活を営んでいるから、ノウハウもより複雑になってきます。でもノウハウを引き渡すということは、ある意味でサーキットを閉鎖していくことなんです。
だから、僕が自立して自由になり、自分で働いて、自分の生活システムを立ち上げていくにつれて、自分がどれほどの傷を負っていたかということがだんだんわかってきた。でも繰り返すようだけど、親を批判しているわけではないんです。考え方も生き方もぜんぜん違うけれど、それはしようがない。ただそこから、その痛みから、乖離の感覚から、自分の内的な物語が生まれくるんです。
『1Q84』に出てくる傷つけられた人々というのは、極端に拡大され、誇張されたものではあるけれども、僕自身の投影でもあります。