何故だ、と牛河はそのビニール袋の中で思った。知っているすべてを正直に語った。どうして今さら俺を殺さなくてはならないのだ。…
牛河の縛り上げられた体躯が、地上に放り出された巨大な魚のように畳の上で激しくのたうつのを、タマルは目の隅で見ていた。…
彼の目はタグホイヤーのダイバーズウォッチの秒針を追っていた。三分が経過し、牛河の手足の激しいばたつきが止んだ。…そのあとさらに三分間、タマルは秒針を見つめた。それから首筋に手をやって脈を取り、牛河が生命の全ての兆候を失っていることを確認した。…
彼は輪ゴムを首からはずし、ビニール袋を顔からむしり取った。…牛河は両目を大きく見開き、口を斜めに曲げて開けて死んでいた。汚れた乱杭歯がむきだしになり、緑色の苔のはえた舌も見えた。ムンクが絵に描きそうな表情だった。…
「悪かったな」とタマルは言った。「こっちも好きでやってるわけじゃないんだ」…
タマルは牛河の手足を縛った紐を解いた。肌にあとがつかないように柔らかいタオルの紐を使って、特殊な縛り方をしていた。…牛河の持ち物をざっと調べ、彼が撮影した写真を一枚残らず回収した。…彼がここで誰かを監視していたことがわかると何かと面倒だ。…
あとには大事なものは何ひとつ残っていない。寝袋と食品と着替え、財布と鍵、そして牛河の気の毒な死体が残っているだけだ。最後にタマルは牛河の財布の中に何枚か入っていた「新日本学術芸術振興会専任理事」の肩書きのある名刺を一枚取り、自分のコートのポケットに入れた。
「悪かったな」タマルは帰り際にもう一度牛河に声をかけた。』