『あるとき冷たい風に吹かれて公園を監視しながら、青豆は自分が神を信じていることに気づく。唐突にその事実を発見する。まるで足の裏が柔らかな泥の底に固い地盤を見出すように。それは不可解な感覚であり、予想もしなかった認識だ。彼女は物心ついて以来、神なるものを憎み続けてきた。より正確に表現すれば、神と自分とのあいだに介在する人々やシステムを拒絶してきた。長い歳月、そのような人々やシステムは彼女にとって神とおおむね同義だった。彼らを憎むことはそのまま神を憎むことでもあった。
生まれ落ちたときから、彼らは青豆のまわりにいた。神の名の下に彼女を支配し、彼女に命令し、彼女を追い詰めた。神の名の下にすべての時間と自由を彼女から奪い、その心に重い枷をはめた。彼らは神の優しさを説いたが、それに倍して神の怒りと非寛容を説いた。青豆は十一歳のときに意を決して、ようやくそんな世界から抜け出すことができた。しかしそのために多くのものごとを犠牲にしなくてはならなかった。
もし神なんてものがこの世界に存在しなければ、私の人生はもっと明るい光に満ちて、もっと自然で豊かなものであったに違いない。青豆はよくそう思った。絶え間ない怒りや怯えに心を苛まれることなく、ごく当たり前の子供として数多くの美しい思い出をつくることができたはずだ。そして今ある私の人生は、今あるよりずっと前向きで心安らかで、充実したものになっていただろう。
それでも青豆は下腹に手のひらをあて、プラスチック板の隙間から無人の公園を眺めながら、心のいちばん底の部分で自分が神を信じていることに思い当たらないわけにはいかない。機械的にお祈りの文句を口にするとき、両手の指をひとつに組み合わせるとき、彼女は意識の枠の外で神を信じていた。それは骨の髄に染み込んだ感覚であり、論理や感情では追い払えないものだ。憎しみや怒りによっても消し去れないものだ。
でもそれは彼らの神ではない。私の神だ。それは私が自らの人生を犠牲にし、肉を切られ皮膚を剥がれ、血を吸われ爪をはがされ、時間と希望と思い出を簒奪され、その結果身につけたものだ。姿かたちを持った神ではない。白い服も着ていないし、長い髭もはやしていない。その神は教義も持たず、教典も持たず、規範も持たない。報賞もなければ処罰もない。何も与えず何も奪わない。昇るべき天国もなければ、落ちるべき地獄もない。熱いときにも冷たいときにも、神はただそこにいる。』
生まれ落ちたときから、彼らは青豆のまわりにいた。神の名の下に彼女を支配し、彼女に命令し、彼女を追い詰めた。神の名の下にすべての時間と自由を彼女から奪い、その心に重い枷をはめた。彼らは神の優しさを説いたが、それに倍して神の怒りと非寛容を説いた。青豆は十一歳のときに意を決して、ようやくそんな世界から抜け出すことができた。しかしそのために多くのものごとを犠牲にしなくてはならなかった。
もし神なんてものがこの世界に存在しなければ、私の人生はもっと明るい光に満ちて、もっと自然で豊かなものであったに違いない。青豆はよくそう思った。絶え間ない怒りや怯えに心を苛まれることなく、ごく当たり前の子供として数多くの美しい思い出をつくることができたはずだ。そして今ある私の人生は、今あるよりずっと前向きで心安らかで、充実したものになっていただろう。
それでも青豆は下腹に手のひらをあて、プラスチック板の隙間から無人の公園を眺めながら、心のいちばん底の部分で自分が神を信じていることに思い当たらないわけにはいかない。機械的にお祈りの文句を口にするとき、両手の指をひとつに組み合わせるとき、彼女は意識の枠の外で神を信じていた。それは骨の髄に染み込んだ感覚であり、論理や感情では追い払えないものだ。憎しみや怒りによっても消し去れないものだ。
でもそれは彼らの神ではない。私の神だ。それは私が自らの人生を犠牲にし、肉を切られ皮膚を剥がれ、血を吸われ爪をはがされ、時間と希望と思い出を簒奪され、その結果身につけたものだ。姿かたちを持った神ではない。白い服も着ていないし、長い髭もはやしていない。その神は教義も持たず、教典も持たず、規範も持たない。報賞もなければ処罰もない。何も与えず何も奪わない。昇るべき天国もなければ、落ちるべき地獄もない。熱いときにも冷たいときにも、神はただそこにいる。』