『「…四半世紀まえには、私たちはもっと自然に近い豊かな魂を持っていたのかも知れない」
「しかしそこは残酷な世界でした。子供たちの半分以上は、慢性的な疫病や栄養不足で成長する前に命を落としました。ポリオや結核や天然痘や麻疹で人はあっけなく死んでいきました…女はたくさんの子供を産み、三十代になれば歯も抜け落ちて、おばあさんのようになっていました。…子供たちは小さいときから、骨が変形してしまうくらいの重労働をさせられ、少女売春は日常的なことでした。あるいは少年売春も。多くの人々は感受性や魂の豊さとは無縁の世界で最低限の暮らしを送っていました。…」
「…歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだということです。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることにそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物であり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちたちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちたちが幸福になろうが不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです」
「それにもかかわらず、私たちは何が善であり何が悪であるかということについて考えないわけにはいかない。そういうことですか?」
老婦人は肯いた。「そのとおりです。人間はそれについて考えないわけにはいかない。しかし私たちの生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛盾が生じることになります」
…青豆は世界の奇妙さについて思いを巡らせた。老婦人が言ったようにもし我々が単に遺伝子の乗り物に過ぎないとしたら、我々のうちの少なからざるものが、どうして奇妙なかたちをとった人生を歩まなくてはならないのだろう。我々がシンプルな人生をシンプルに生きて、余計なことは考えず、生命維持と生殖だけに励んでいれば、DNAを伝達する彼らの目的はじゅうぶん達成されるのではないか。ややこしく屈折した、ときには異様としか思えない種類の人生を人々が歩むことが、遺伝子にとって何らかのメリットを生むのだろうか。
…何はともあれ、私はこの人生を生きていくしかない。
…それが私という乗り物のあり方なのだ。』
「しかしそこは残酷な世界でした。子供たちの半分以上は、慢性的な疫病や栄養不足で成長する前に命を落としました。ポリオや結核や天然痘や麻疹で人はあっけなく死んでいきました…女はたくさんの子供を産み、三十代になれば歯も抜け落ちて、おばあさんのようになっていました。…子供たちは小さいときから、骨が変形してしまうくらいの重労働をさせられ、少女売春は日常的なことでした。あるいは少年売春も。多くの人々は感受性や魂の豊さとは無縁の世界で最低限の暮らしを送っていました。…」
「…歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだということです。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることにそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物であり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちたちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちたちが幸福になろうが不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです」
「それにもかかわらず、私たちは何が善であり何が悪であるかということについて考えないわけにはいかない。そういうことですか?」
老婦人は肯いた。「そのとおりです。人間はそれについて考えないわけにはいかない。しかし私たちの生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛盾が生じることになります」
…青豆は世界の奇妙さについて思いを巡らせた。老婦人が言ったようにもし我々が単に遺伝子の乗り物に過ぎないとしたら、我々のうちの少なからざるものが、どうして奇妙なかたちをとった人生を歩まなくてはならないのだろう。我々がシンプルな人生をシンプルに生きて、余計なことは考えず、生命維持と生殖だけに励んでいれば、DNAを伝達する彼らの目的はじゅうぶん達成されるのではないか。ややこしく屈折した、ときには異様としか思えない種類の人生を人々が歩むことが、遺伝子にとって何らかのメリットを生むのだろうか。
…何はともあれ、私はこの人生を生きていくしかない。
…それが私という乗り物のあり方なのだ。』