その日は午後から想空(そら)の1ヶ月健診でした。


午後2時過ぎ、無事に健診が終わり想空を前におんぶし病院を出た。

出てすぐに、主人に「健診OKだったよ。」のメール。

そして、実家の母に電話をかけた。


妊娠していたころから、産婦人科の健診を終えるとまず主人にメール、そして母に電話するのが

恒例になっていた。


。。。思えばこの時、道端で母に長電話していたことが、幸いだったと思います。。。


電話を終え、駅前の交差点の歩道橋エレベーターに乗ろうと1歩踏み入った時、

「・・・ん?地震かな?」と。。。

とっさに、地震の時のエレベーターは危険!と思い、後ずさりした。


グラグラグラ・・・。

「大きい!」


あっという間に大きな揺れ。歩道の手すりにつかまります。

目の前はおんぼろのビル。

ゆらゆらと波打つようにビルが揺れている・・・。

「危ない!」看板が今にも落ちて来そうだった。

数メートル離れて必死に手すりにつかまっていると、周りの建物すべてがゆらゆら揺れている。。。

ビルから大勢の人たちがどんどん出てくる。

女性の悲鳴、泣きだす人。

道の反対側を見ると、建物がぐらんぐらん揺れているのがわかる。

信号機の鉄柱、外套の鉄柱が、メトロノームのように左右している。。。

「大丈夫だよ、想空!大丈夫だよ、想空!」

必死に想空を抱きしめ、大きな声で言いました。

となりのサラリーマンらしき紳士が

「大丈夫!いや、でも長いな・・・。」

10分くらいでしょうか・・・。その場でじっと踏ん張っているしかなかった。

主人から

《大丈夫?》とのメール。

即座に電話するも繋がらない。


揺れがおさまり、自宅マンションへ向かおうと大通りを歩いていく。

ずらーっと公園の方へ非難するとみられる人の波が見える。


マンションのエレベーターは止まっていた。

階段でゆっくり2階まであがると上から女性が降りてくる。

「中は危険ですよ。」

「え!?中の方が危険ですか?外に出ていた方が良い?」


「ええ。中はもう物が倒れていて危険です。赤ちゃんもいるんだし、一緒に外に逃げましょう。」

「みんな公園の方へ避難しているみたいです。」

マンションの住人の女性と共に公園へ向かう。


続々と集まる人々。

小さな公園に数百人の人が集まっている。

大きな余震のたびに悲鳴や恐怖の声があがった。

公園の木々がゆさゆさと揺れている。サイレンの音、クラクションの音。

小学校の窓からは防空頭巾をかぶった子供たちが不安そうにこちらを見ていた。


しばらくの間、公園で待機。寒くなって小雨も降ってきた。

幸い、健診日だったのでバッグの中には替えのおむつ、おしりふき、3回分の粉ミルク、哺乳瓶、着替えも1着分持っていた。

『・・・大丈夫。コンビニでお湯をもらえばミルクは作れる・・・。』




女性と一緒にマンションへもどる。

彼女は1階下に住んでおられるようだ。初めてお話しする。

「何かあったら来てください、赤ちゃんもいるんだし。」

「ありがとうございます。」



5階の部屋に入って、愕然とする。

食器棚、大きな鏡、テレビ、みんな倒れていて前に進めない!


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「・・・。外にいて良かった。。。家にいなくて本当に良かった!!」

食器棚の物がすべて粉々に割れてあたりに散らばっていた。


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奥の黄色いシマシマのチェアーは想空のバウンサー。

お気に入りで毎日、機嫌よく座っている。

そのすぐそばに電子レンジが飛び出してきている。。。

何てことだろう!

もし、ここにいたらどうなっていたか・・・。。。



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大きな鏡、テレビも倒れていた。




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棚を起こそうにも、お腹に想空を抱っこしているし、奥のベッドまで進めないので寝かせられないし、

片手で起こそうにもビクともしない。


しばらくただ座り込んで、部屋を見ていた。

「・・・どうしよう・・・。」



想空が泣きだした。

ガスは出ない。

お湯をもらいに行かなきゃ・・・。


階下の彼女を訪ねると、こころよく私を中に入れてくれた。

ティファールでお湯を沸かしてくれ、ソファーで私にあたたかいお茶を入れてくれた。

「赤ちゃんにミルクを飲ませたらお部屋の片づけ手伝いますよ。」

なんて親切な方なんだろう!


彼女の部屋のテレビからは、信じがたい様子が映される。。。

「これは本当に日本なの!?」


彼女が懸命に手伝ってくださって、部屋はなんとか片付いた。



17時。Jちゃんからのメール。

千葉の実家では津波警報が出て、皆な小学校に避難したとのこと。

私も無事だということと経過を返信した。


固定電話の留守電には何件も主人からメッセージがあった。

18時。固定電話に主人から電話。

「こっちは大丈夫。今日は会社に泊まりになるかもしれない。大丈夫?」と。

声を聞いて安心した。



想空を寝かせて、1つ1つかたづけていく。

なんとかテレビをつなぎ、ニュースを流しながら。

自分でも呆然としているのがわかる。何をしても落ち着かない。


19時30分。お母さんから電話。

「やっと繋がったわ。麗子ちゃん大丈夫?」

私はこれまでのことを吐き出すように話した。

ひとりで辛かったから、お母さんと話すことでだんだんと落ち着いてきた。


20時30分。Kちゃんから電話。

「こっちはそれほどでもないけど、東京はすごかったでしょう!?

ひとりで大変だけど、麗子はお母さんなんだからね!頑張って!」

ハッとする。そうだ、しっかりしなきゃ。

こんな時でもいつもどうりにしてあげなくちゃ。


22時。主人から「地下鉄が通ったみたいだから行ける所まで行ってあとは歩いて帰る」との電話。

テレビは見ていないようだったので、帰宅困難で道路は渋滞、タクシーはつかまらない、等のテレビの情報を伝えた。


22時30分。実家の母から電話。津波警報が解除され家に帰ってきたという。

体育館に避難し、毛布が配られ白いおにぎりが1個づつ支給されたとのこと。

祖母や姪っ子たちは寒い体育館でさぞかし心配な思いをしたことだろう・・・。


24時。主人帰宅。

よかった、安心した。

テレビで流される報道に2人して愕然とした。



・・・大事にしていたKちゃんからの結婚祝いのバカラのワイングラスも割れてしまったけど。。。

・・・お友達からいただいた大切な食器も割れてしまったけど。。。

・・・Yりんからもらったペアのティーカップも割れてしまったけど。。。

・・・イタリアに行くたび「想い出に」と集めていた陶器たちも割れてしまったけど。。。

なにより、親子3人無事で本当に私たちは良かったと思います。。。


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あの時、外にいて本当によかった。。。
母と長電話していなかったら、ちょうど家に着いていた頃だったでしょう。。。





被災地の皆さん、お辛い思いをなさっていることと存じます。。。

もうこれ以上の被害が出ませんように!と祈るばかりです。。。




私たちに出来ることは何だろう・・・?