フルート奏者と目の見えないおじいさん | a part of my life  世界一周旅日記

フルート奏者と目の見えないおじいさん

昨日、シドニーの街中の駅の構内で、
フルートでクリスマスソングを素敵に奏でる人を見かけた。
多分、オーケストラに属しているのであろう。
演奏は本当に素晴らしくて、
通行人はどんどん彼のフルートケースにお金を入れていた。

それを見て、タイでの出来事を思い出した。

ウボンという街で、夕食を屋台で食べていたときのこと。
女の人と目の見えないおじいさんが連れ立って歩いていた。
目の見えないおじいさんは背中にアンプのようなものを背負い、
歌を歌って歩いていた。
手にはマイクと紙コップ。小銭を入れてもらうためだ。
歌を歌いながら、屋台のテーブルをまわる。
少しばかりの小銭を入れた。
なんとも悲しい歌声だった。

夕食を食べ終え、宿へ帰ろうとすると、
その二人が道端に座って休んでいた。
なんとなくその二人の対面に座ってみた。
女の人と目が合ったが、力のない、悲しい目をしていた。

こんな悲しい、苦しい目を見たのはいつぶりだろう?
この二人の関係は夫婦なのか、兄弟なのか、親子なのか
さっぱり見当がつかなかったが、明らかにこの二人は疲れていた。

とっさに、何かあたたかいものを食べてほしいと思い、
夕食に食べた餃子のようなものがとても美味しかったので買いに走った。
買い終え、元の場所に戻ると二人の姿はなかった。
周りを探して歩いたけれども見当たらず、
手元にはあたたかい餃子だけが残った。
涙が出た。
何をしているんだろう?私。
私に何ができるというんだろう?

東南アジアを旅していると、こんな場面にもよく出会う。
カンボジアなんかは明らかに地雷で手足をなくした人や物乞いが多い。
お金をくれと手を出される。
その度に苦しむ。

物乞いに簡単にお金を与えてはいけない。
手を出せばお金がもらえたら、それがクセになり、
その人達の将来につながらなくなるから。
彼らが自分でお金を作り出せるようにならなければ、彼らに将来はない。
それが私の出した答えであった。
知り合いのJAICAの人も同じことを言っていた。

だが、どうしたらいいんだ?
明らかにお金がなくて、食べれなくて、仕事もなくて、苦しんでいる人に。
明日の生活を心配している人に。
手を出される度に葛藤する。
葛藤という言葉はこういう気持ちを表すためにあるものだな
と思ってしまうくらい、葛藤する。

そのおじいさんは必死に生きようとしていた。歌を歌って。

同じ人間だ。
人間は本当に平等なのか。
幸せは平等にあるのだろうか?

あたたかい餃子を持ってあたりを見回す。
自分は何がしたいんだろう?
どうしたらいいんだろう?

フルートケースにどんどん入れられる小銭を見ながら
ウボンで出会ったおじいさんのことをぼんやりと考えていた。