ニュースなどで、
ハラスメント、傷害、暴力、性暴力の問題が話題に挙がる度、
二次加害が、二次加害にあたる発言が、ネット上でもたくさん見られて、聞こえて、苦しく思った。
「私は見ていない」「知らない」
同業者がわざわざSNS 等、公の場で発言すること。
(被害者が聞いたら、否定されているように感じるのではないだろうか。保身 )
「(告発に対し、)私たちが悪く思われる、この業界が悪く思われる 夢を売る商売なのに」
(個人の傷より自分の体面、組織の体面が大切 「あの人は何も言わなくて偉い」沈黙する人を誉める) 無言の圧力
「話を盛っているよね」
(被害者を否定)
「なぜ被害をもっと言わなかったのだ」
被害者に責任をもたせる。被害を言えない構造、環境が問題。
「(被害者に対して)忘れようよ!、ポジティブに」
忘れられなくて苦しんでいるのに、被害者に責任を転嫁 直視したくない
「なぜ、今になって被害を言うのだ」
(激しい加害を受け続けると、その時は恐怖しかなく、いや、恐怖も感じられず、何年も経って、傷から血が出ていることに気付く、激しい痛みに苦しんだりする)
「一部の問題なのに」「その一門だけのことなのに」
それはマイノリティー、被害者、弱者の口を塞ぐこと。当事者にとっては生きる死ぬの問題
(私は関係ない 関わりたくない なかったことにしたい 面倒くさい 波風立てたくない)
そもそも自浄作用の全く望めない場だから、被害者は訴えている。
「(加害者を権力者を)悪者呼ばわりしやがって」
加害者扱いすること。
第三者から発言を封じられること。脅されること、無視されること、罰を下されること、、
「かわいいから」「その先生についたあなたが悪い」
(被害者に原因がある。被害者が悪い)
「強くならないと駄目」
「売れてから言え」
「加害者にはお世話になったから」
「よくあること」
「(加害者の)評判を落としたいのか」
「許してあげよう」
「被害者も悪かった」(安心したい) 公正世界仮説
「被害者なのに」
(被害者然としていないと不満。被害者に異常な品行方正さを求める)
○
高座の上で、生病老死、様々な人間の苦悩すべてに配慮するのは難しいが、
何か表現することは、同時に加害性をもっていることだと認識していたい、
悪意ない加害、差別をしないように。
又圧倒的に加害者、被害者が存在する 犯罪 に対しては、考慮しなければならない、考慮したいと思う。 SNS でも、この いいね が誰かを傷つけることに繋がっていないか、、気を付けてまいりたい。
ハラスメント研修に出た時、かつては、これが修行だ!と言われてひたすらに従っていた事の一億分の1にも感じられない様な事柄が、ハラスメントだと記載されていた。
さながら黒塗り教科書のように感じた。過去ひたすらに取り組んだ、心身共に麻痺するまで我慢した事はなんだったのだろう、と思った。
近年、上がっている被害は本当に氷山の一角だと思うが、それでも、微かにはよくなってきていると思いたい。
○二次加害発言される方にも、同調圧力や、不安、組織の中で長いものにまかれないと生きていけないという様な背景があるのかもしれない。
しかし、激しい被害、脅しを受け続けると、被害者は私が悪いのだと思わされる、思い込む(それは、加害者の支配成功を意味する)。
二次加害を受けると、あ!やはり私が悪いのだと、傷口に塩がぬられてしまう、また、二次加害発言は加害がフラッシュバックする引き金にもなる
「(発言した)相手は悪意がないのだから」 ?
○
私自身、自分の経験していない痛みについて、おどろくほど冷淡なところがあるのだと思う。そう自覚しつづけてゆきたい○